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番楽特攻隊長(こっき)

富根のいろいろ!
感じるままに、楽しんで!

富根報徳番楽、作番楽に向けて・・・

2014-07-08 16:31:47 | 番楽
こっきです。

小学校の番楽クラブの皆さんへのお誘い。

まだまだ先の話ですが、

9月5日まで練習がありません、そこで、みなさんにお知らせします。

9月14日(日)に富根報徳番楽の年間を通して一番のイベントの作番楽が行われます。
せっかく練習してきたので、皆さんも出演してみませんか?
衣装は、着物があればベストですが、浴衣でもいいんです。
着付けは保存会の方で行いますし、昼食も保存会で準備します。

作番楽の練習は8月1日から1週間程度行います。
場所は富根愛宕神社境内にある上地区会館です、夜7時30分から8時45分までです。

ご家族と相談して決めてください。

皆さんの参加をお待ちしております。


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このように作番楽にもお誘いしました。

はたして来てくれる人いるかな~?

楽しみです。



富根報徳番楽、夏の陣。

2014-07-07 08:36:04 | 番楽
こっきです。

最近は、FBの「番楽スタイル」がメインになりつつあり、ブログが放置の状態ですが、長い文章になるとこちらの方が書きやすいので、今日はブログにします。

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7月に入りいよいよ番楽も始動の時期になりました。
今年から、小学校の方にも教えに行っていまして去年とはまた違った感じで動き出しております。
つい先日も学校の方に行ってきまして、教えてきました。
女子が9人、男子が3人のクラブになっております。

24日にお祭りもあるということで、保存会から皆さんにお知らせの手紙を出しましたので紹介します。

富根報徳番楽クラブの皆さんにお知らせです。
7月24日には、富根愛宕神社の祭典です。 この日は、8時半ころじんじゃからお祭りの行列が出発します。
羽立大神楽を先頭に駒形ささら、下部通音頭、富根報徳番楽と続き、富根の芸能4団体が練り歩きながら町を回ります。最後尾ではお神輿が暴れ回ります。
番楽は旧富根保育園の前や、羽立のお店の前や、老人ホーム(和み)さんの前で舞を披露します。

12時頃お祭りの行列が神社に戻って、社殿の前でそれぞれ踊り、社殿を3周して行列解散となります。

もし興味がありましたらご家族と一緒に遊びに来てください。
前もって知らせてくれれば、お昼(おにぎり)、飲み物などを用意して皆さんのことを待っています。

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これで、また少しでも郷土芸能に興味を持っていただければいいな~って思っています。

私が番楽を始めたのは・・・第3話。

2014-05-15 16:41:23 | 番楽
こっきです。

今回は、少し番楽から離れます。
というのは、例会で集まって、話しているうちに始まった事をお話しします。

7月24日、お祭りの行列の後、昼食を食べながらの話です。
タカヒトさんとの会話で、昔は神社の中に舞台が建ってにぎやかっだったよな~・・・二人で話してました。

確かに私の小さいころは、神社の境内に舞台が建って、歌や踊りが披露され、凄い人でにぎやかな祭りでした。
私は低学年でしたが、はっきりと覚えています。

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その時はといいますと、祭の行列が終われば、神社には誰もいなくなり閑散とした寂しいものになっていました。

そんな話をしていると、タミさんが「おめがだやれじゃ、祭りが寂しくてだめだ」の一言。
よくよく話をすると番楽の先輩達も、過去に何らかの形で舞台に携わってきた人たちでした、協力するからっという話でした。
その時は、そのうち、みたいな返事をして、終りました。

時が過ぎ、そんな話をしたことすら忘れてしまっていましたが、1月の例会で、タミさんが「おめがだやるきあらったが」、「やっるたば、はえぐやらねば、まにあわねど」
先輩たちにさんざん「協力するから」って言われ、7月の祭に向け動き出すことに・・・

とはいうものの、何からなればいいのやらそれすらわからず、とりあえず会館の倉庫の片づけから始めました。
今思うと大変でした、回覧板を回したり、スタッフを集めたり、機材の準備、毎週のように集まって話し合い、そして出し物の練習。
仕事どころではありませんでした。

何とか、実現でき現在にいたる・・・・・・・・・・

今年で6年目に向かって動き出そうとしています。

  

番楽の例会が生んだ新たな動き。
第4話は、番楽に話を戻してお送りします。







私が番楽を始めたのは・・・第2話。

2014-05-14 08:33:30 | 番楽
こっきです。

昨日に続きまして、第2話をお送りします。

1話でお伝えしたのは、きっかけになった出来事でした、今回はその後をお送りします。

夏の二週間程の練習は、アッという間に終わり、次に集まるのは11月の能代市民俗芸能発表会。
そんな年に二回の集まりしかない状態が3年ほど続きました、その間何度か、子供たちの後ろについて踊りを練習してみたりしましたが、練習期間があまりにも短く、とてもものになる状態ではありませんでした。

何もできないながらも、行っていたのは、その当時の区長さんに言われた一言がきっかけです、
それは、「酒ばし、飲んでだってだめだったで」の言葉でした、正直カッチンきました。
この言葉で私は「今は、何もできなくても、年よりしかいないんだから、必ず俺の時代が来ると」その様にとらえたのです。
今考えると、吾ながら凄い解釈をしたもんだ、と思っています。
しかし、この考え方が私を支えたのでした。

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そうして雑用をこなしてるうちに、徐々に師匠達にも存在を認知されていきました。
その頃、町内の役員として同級生でもあるタカヒトさんが入ってきました。
この方との再会がのちに新たな展開を生みます・・・。

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その後まもなくして、番楽に動きが出てきます。
ミツグさんが、保存会を町内会から離して単独にしたいというものでした。
師匠達は反対しました、しかしミツグさんは、「自分が会長としてやるから・・・」っと説き伏せて保存会が立ち上がることとなりました。
そこでまずは例会なるものを月に2回、第2、第3水曜日に集まって練習や話し合いを行うことを提案、これが新たなエネルギーを生むこととなります。

この会は、番楽についての各々の考え方などを話し合う場となりました、時には深夜まで及ぶこともしばしば・・・
マサヒデさんと、酒も入り、意見がぶつかることもありました。

私個人が、子供の頃に番楽をやっていないために、子供の頃からやっていたマサヒデさんとは、考え方が違うのは感じていました、目指すところは同じでもそこまで至るプロセスが違っていたんだと思います。

その当時のマサヒデさんの考えは、何とかして残していかななければいけないと必死でした、ブログや動画配信など・・一人で頑張っていたからです。
一方私はと言いますと、何もできないながらも、自分の考えは持っていました、私のポリシーは「楽しくなければやる意味がない」っというものでした。
それは番楽だけの話だはなく何事もなんですが、無償で自分の時間を削ってイベントやら、でるんで自分たちで楽しまないと続かないと思っているからです。
そこは、大分、マサヒデさんとはぶつかった記憶があります。

例会には様々な年代が集まります、80代~30代までの幅広い年代で意見を交換します、そうしているうちに化学反応でエネルギーが生まれてきます。
くすぶっていたものが燃え上がるまでには、そんなに時間のかかるものではありませんでした。

第2話は、ここまでとします
第3話は、このエネルギーが生んだ新たな動きをお送りします。

私が番楽を始めたのは・・・第1話。

2014-05-13 20:14:24 | 番楽
こっきです。

私自身の番楽の歴史を語ってみたいと思います。

私は長男で神社の近くに家がありながら子供の頃、習っていませんでした。
なぜかは自分では覚えてません・・・しかし師匠達のお話では来るには来たそうです、でも上級生とケンカしたらしくその時から来なくなったそうです。

そして、今から10年くらい前でしょうか? 実家に住むことになったんです。
7月のお祭りの当番にここの地区があたりまして、親父に「今回の行列おめ、いげじゃ」って言われたんです。
別に旗もって歩くだけだし祭自体は好きなんで、「いいよ」っと二つ返事でOKしました。
今思うと、これが引き金となりました。

お祭りには、100人以上の住民で、町を練り歩きます、そこには天狗さん、お神輿、羽立大神楽、駒形ささら、下部通り音頭、そして番楽が参加しています。
これは現代も続いています。

そこに私も旗持ちで参加したわけですが、番楽には個人的に私のことを知ってる方が何人かいませて、そこである方に声をかけられたんです。
「おめ、家さいるったべ、んだば番楽さこいじゃ」ということです、祭りは7月24日で、8月になると、作番楽に向けて練習があるんでそん時に来いっというお誘いでした。
そこは、大人の対応で社交辞令の返事をしてもよかったんですが、メンバーを見たら、私が子供の頃に見た囃子方と全く変わっていませんでした。
これを見た私は、「このままじゃ間違いなく無くなるな~」っと確信したのをはっきり覚えています。
そこで私は「自分に何ができるか解らないけど行ってみるか」っと決意、顔を出すことに・・・・・

まずは、会館に誰よりも早くいって電気をつけて窓を開けて、ここから始めました。これしかできることがありませんでした。
でも、毎晩、アツシさん(私を誘った人)とコウサクさんと終わった後日付が変わるまで酒を飲んでそれもまた楽しくて毎日行った気がします。
しかし、番楽の方では何ができるわけでもなく、師匠達には、常に「こいつ何しに来てんだ」と、いう目で見られていました。

そうこうしているうちに、2週間の練習期間は終了。 作番楽が終わればまた来年、当初の番楽はこんな感じの団体でした。
それは保存会が単独でなく、町内会におんぶにだっこ、だったんで、率先して何かをやろうなんて考えてもできない状況だったんです。
毎年決められたことを淡々とこなしていくそんな味気ない感じでした。
この中で、一人奮起している人がいました・・・マサヒデさんです、この方との出会いが私の番楽人生を変えることとなります。


第2話に続く・・・・・