爺の独り言+

予期せぬ応援コメントが未だに届きます。皆様には本当に感謝致します。

中越地震で被災した一人として

2024-01-01 20:12:50 | ときど記
⚫ときど記(今日)



最初に...

この度の令和6年能登地震で被災した皆様にお見舞い申し上げます。

爺は平成16年10月23日に起きた中越地震で被災した一人です。
震源地が近かったため、震度7の直撃でした。

地震の経験は、多分過去に書いたと思いますが、改めてお話したいと思います。

その前に...
今回の地震は、こちらでも衝撃的な揺れでした。
市内の観測所では体感より小さな震度だったようですが、仕事中でフロントに立っていたのでしっかり感じることが出来ましたが、ものすごく長い時間揺れましたし、中越地震で何度も大きな余震を体験した感じからして、震度5弱から5くらいの揺れだと感じました。

ただ、縦揺れが全くなかったので、震源地から距離があること。
距離があるのに揺れが大きかったので、震源地が大きな揺れだったことを感じ取りました。

温泉施設で働いているので、入浴中のお客様に
余震が怖いので「慌てずに風呂から出て下さい」とお願いし...
フロントの受付をすぐにストップ。
お金を払ったけどまだ入浴していなかったお客様で帰られる方には返金対応。
30分程様子を見て、改めて「大きな余震があったら、慌てずにお風呂から出て下さい」とお願いをして受付再開をして帰って来ました。
その時自宅にいた支配人は、気象庁の発表で震度〇だったから、営業しろと言う指示が出ていましたが、それを無視して30分営業を止めると共に、お客様への中越地震の体験のお話、市内の震度情報をお伝えし、入浴中で情報が分からなかったお客様にも館内放送で震度等の情報をお伝えしました。

支配人と爺との感覚のズレは、中越地震の経験から来ています。

同じ市内に住む二人ですが、爺の家の近くにある川を挟んで東西の地盤が違ったために、同じ市内なのに、中越地震では全く違う揺れが起きたのです。

我が家は震源地と同じ地盤だったために大きく被災しました。
実家は半壊。
2階の鍵のかかった窓ガラスが6枚吹き飛んで地面で粉々。
同じ2階の別の部屋の窓ガラスは、鍵がかかっている部分が引っかかり、くの字に窓が飛び出していました。
電線が切れたので停電。
電気温水器が倒れて配管を引きちぎったので、水も止めざるをえませんでした。
玄関は半分開いて傾き、全く動かなくなりました。

あれから5日間...
父親は慌てて職場に行って、帰って来ませんでした。
爺と母親は、昼間は家の片付け。
隣の空き家の水道が生きていたので、我が家から石油ストーブを持ち出して、冷蔵庫他にあった食材でポトフを作り、当時4軒程の近所の皆さんで食事をしていました。

家の中はめちゃくちゃでした。
ガラスや食器が粉々になっていたので、靴を履いて玄関から少しずつ片付けをする日々でした。

車でテレビを見ることが出来ましたが...
肝心な近所の情報が全くなく、同じ情報の繰り返しで全く役に立ちませんでした。

ラジオは〇〇様から〇〇様へ
という安否確認のための放送しかなく、こちらも役に立ちませんでした。
まだ、FOMAが爺の家周辺をカバーしたばかりの頃で、今のスマホのような情報が得られず、情報からも隔離されていました。

玄関が閉まらないので...
爺の車はフルフラットになったので、母と当時の愛犬の寝床にし、爺は母親が使っていたカローラで足が伸ばせない中、玄関前に車を停めて眠る日々を過ごしました。
案の定、泥棒さんはあちこちから来ていました。
我が家から見える普段はほぼ誰も走らない農道によく車が停りました。
自転車で近づくと、慌てて走り去る車を何度も目撃しました。

番犬のように家の前でウトウトし、昼間は片付けをする毎日を過ごして5日目の出来事でした。
母親が精神的に参っているのを感じた爺は、少しドライブをしようと提案しました。
母親は、イヤだと言いましたが、気分転換が絶対に必要だから、周りも見に行ってみようと無理やり連れ出しました。

近くの川にかかる橋を渡った時...
二人で唖然としました。
何も起きていないのです。
更に少し走ると、お店が普通に商売をしていたのです。
川を挟んだ地盤の違う隣同士で、ここまで違う???という世界がありました。

市や村全体が被災した地域は、テレビを観ると、地震のすぐ後からたくさんの支援が届き、自衛隊も派遣され、自衛隊風呂が用意されていましたが、爺の住む地域は被災した地域が一部だったため...
片付け中に届いた物資は、母親と爺の分のマスク2枚と500mlの水が2本だけ。
その後自衛隊が市役所に自衛隊風呂を開きましたが、入って避難所に行っていた人は、被災しなかった人達でした。
しかも、暗くなると家に帰るという???な人達...
爺は隣の空き家の水のシャワーを凍えながら浴びて、汗を流していました。
避難所に行きたくても、
家はめちゃくちゃ
泥棒さんウエルカム
という状況だったので、本当に被災した人達は行けなかったのです。
ちなみに...
小学校の同級生の家の全てが爺と同じ地盤の地域だったため、同級生の家の3分の1が全壊しました。
しかし、川をひとつ挟んだ先は全く被災しなかったのです。

ガスは???
と感じた方もいらっしゃるでしょう。
これは、中越地震の市役所の一職員の手柄だと思いますが、本震の直後に上司の確認を取らずにガスを止めたのです。
そのため、ガスの供給がなくなり、夕食時だったにも関わらず、火災が少なかったのです。


東日本大震災に比べたら、とても小さな地域での震災でした。
能登半島という土地柄を考えると津波の心配もしていますし、火災のニュースを観て、胸が詰まります。

心よりお見舞い申し上げますが...

もし家が残っている被災した皆様に。
家が残れば、中の物は残っています。
壊れたものもたくさんです。
靴を履いて、ぐちゃぐちゃな家の中を歩く度に、大切なものを踏んでしまうこともあると思います。

ただ、命はそこにあります。
大切なもので、残っているものもたくさんあります。

地震直後に、近所のコンビニは停電した中1時間程営業を続けました。
爺も慌ててコンビニに行きました。
真っ暗な店内で、動かないレジの脇で店員さん達は頑張っていて、お客様はしっかり列に並んで、ライトを持っているお客様同士で店内を照らしていました。

それが現実です。

震災当日...
停電のために星空がすごく綺麗だったことを今でも覚えています。
そして、まだ死んではいないから大丈夫と思ったことを今でも覚えています。

不安に包まれている今被災している皆様...

途方に暮れていると思いますが、
命があれば、何とかなる。
思い通りにはならなくても、必ず何とかなる。
というメッセージを文末に添えさせて頂きます。

一日では解決しない問題ですので、ご無理だけはしないようにして下さいm(_ _)m




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コメント (2)
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