こうふ取材日記

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甲府歴史講座

2019年07月08日 | 紹介

動乱期の甲府をみる~武田氏滅亡~


6月26日遊亀公民館展示室にて「甲府を学ぶ」(全6回)第1回が開催されました。

こちらは開府500年を記念して開かれる歴史講座です。

「甲府を学ぶ」(全6回)についてはこちら

 https://www.city.kofu.yamanashi.jp/bunkashinko/kofu-rekishikouza30.html

シリーズ初回は、帝京大学文化財研究所数野雅彦先生をお招きし、

「動乱期の甲府をみる~武田氏滅亡~」テーマに講演していただきました。

 

 

定員をゆうに超えて、会場は140人もの聴講者満席

受付で資料と一緒に開府500年記念ティッシュが配られました。

 

市の担当課より先生の紹介などがあり、いよいよスタートです

まずは、武田氏滅亡紐解くカギとして、「落ちない城」と称される

上田城の真実乱取りの世界殿様と家臣の怪しげな関係についての

お話がありました。

群雄割拠の戦国時代天下一と称された武田軍

しかし、信玄の死後を継いだ勝頼は、結局、非業の最期をとげます。

 

いったい、どんな状況武田家滅亡へと向かっていったのか。

数野先生はオリジナルの年表を使い、説明してくださいました。

年表「天正6年8月、武田・上杉両氏が同盟を結ぶ」からスタート

本拠地を韮崎に移し、新府館(しんぷやかた:「新府城」)築城に着手するも

「この年あたりから、織田・徳川両氏に内通する家臣が出始める」

「木曽義昌謀反」「小山田信成の離反が明らかに」など

勝頼の立場で眺めれば、なんとも悲しい思いがしてしまいます。

 

長篠の戦い大敗北をきし苦悩しつつも必死で立て直しに奔走していた勝頼

一時は武田家最大の版図を獲得しつつも、

金の産出減り重税課したため、求心力急速に失くしていったと先生は説明されます。

他にもさまざまな史料を読み解きながら、勝頼信頼を失っていった理由

開府以来の初の敵進入の事態織田勢の寺社焼き討ちの実態等々

わかりやすく解説してくださいました。

熱心に耳を傾ける参加者の皆さん

最後の質疑応答でも積極的に質問が飛び交っていました。

先生は最後「甲府にプライドをお持ちの方はどのくらいいるのでしょうか?」

と皆さんに聞かれました。

最近、勉強なさっている水晶事例挙げながら

“プライドを持って生きること”を皆さんにおすすめされていました。

 

甲府の一市民であることに胸をはって誇りを持って過ごせるよう

さらにいろいろな学び深めてゆきたいと思いました

 

数野先生、どうもありがとうございました。

「まなび奨励ポイント制度」推奨事業になっているため、帰り際にスタンプをついてもらう方も見かけました。

「まなび奨励ポイント制度」についてはこちら

 http://www.city.kofu.yamanashi.jp/shogaigakushu/kyoiku/gakushu/manabinet04.html

先生講演中に紹介された「甲府歴史ものがたり」についてはこちら

 http://www.city.kofu.yamanashi.jp/kaifu500/torikumi/kinenshi.html


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