小林ぜんいちです。
5月26日、27日の両日、東日本大震災に見舞われました東松島市と仙台市を訪ねて参りました。
三陸自動車道の左右に長く続く光景は、片や家があり緑がある既存のままの地域、その一方で色彩を失った海とも陸ともいえない地域、このまったく違う景色に愕然としました。
また、テレビや新聞、書籍では知ることのできなかった「におい」「臭気」が鼻を突き、現地の皆様方の思いを肌で感じました。
こんな中、授産施設「まどか荒浜」を縁あってお訪ねしてまいりました。
この授産施設は海沿いの若林区荒浜で震災による津波被害を受け、現在は太白区に避難され、皆で「福幸(ふっこう)だるま」を作っています。
中村施設長様のお話は、理論的かつ明快で、現地でこれから毎日過ごしていかなければならないという思いや、地震・震災に対する自然との共生、そして震災後の活路、販路の拡大に対する強い思いを伺いました。
お話を聞いた私たちが、少しでもお応えしなければならない、新しい時代を作っていかなければとの決意を深く致しました。
5月26日、27日の両日、東日本大震災に見舞われました東松島市と仙台市を訪ねて参りました。
三陸自動車道の左右に長く続く光景は、片や家があり緑がある既存のままの地域、その一方で色彩を失った海とも陸ともいえない地域、このまったく違う景色に愕然としました。
また、テレビや新聞、書籍では知ることのできなかった「におい」「臭気」が鼻を突き、現地の皆様方の思いを肌で感じました。
こんな中、授産施設「まどか荒浜」を縁あってお訪ねしてまいりました。
この授産施設は海沿いの若林区荒浜で震災による津波被害を受け、現在は太白区に避難され、皆で「福幸(ふっこう)だるま」を作っています。
中村施設長様のお話は、理論的かつ明快で、現地でこれから毎日過ごしていかなければならないという思いや、地震・震災に対する自然との共生、そして震災後の活路、販路の拡大に対する強い思いを伺いました。
お話を聞いた私たちが、少しでもお応えしなければならない、新しい時代を作っていかなければとの決意を深く致しました。