花も嵐も寅次郎

ラインブログから、また戻ってきました。

トリハダの首塚(((^_^;)高崎市下小鳥町

2014-09-24 07:25:00 | 旅行
先日、妻とドライブした帰りに、高崎市の北部環状線と旧三国街道が交差する辺りで「首塚」というブキミな案内板を見つけました。早速、車を停めて探索したかったのですが「もう寄り道はダメ!!それよりオナカすいた~!ノドかわいた~!」と言うので、泣く泣くあきらめたのでした(T_T)
というわけで、今回は単独行動で探索(^_^ゞ



何やら立派な碑と高札。首塚といえば平清盛のように、名を知られた武将の首を埋めて供養した場所。ハテどなたの首であろうと、読んでビックリ!(^o^;)
江戸時代の初期、高崎藩主であった松平丹波守康長(まつだいらたんばのかみやすなが)という殿様が、村人を皆殺しにした!!Σ(×_×;)!あとで調べてみると、この殿様は人格に問題あり、行く先々で不祥事を起こしていたようです。あの徳川家康の孫であるということで、揉み消されたらしいのですが(^_^;)
さて高崎藩主になったバカ殿が重い年貢を課したところ、この村が反抗。怒った殿様は安中藩の侍たちまで動員して、村を取り囲み、一人残らず斬殺。穴を掘って死体を放り込み、埋めてしまったのだとか!それから、この場所は切干塚(きりぼしづか)とか首塚と呼ばれるようになったとのこと。不思議なことに、こんな大事件であったのに、高崎藩には何の記録も無いのだそうです。言い伝えだけが残され、明治になって立派な碑が建てられました。


「老人や幼子まで、ことごとく容赦なく殺害した」という意味の文字が読み取れます。この碑の裏側にある小さな自然石が、もとの墓石。歴史から消されても、忘れまいとした人々がいたんですね。秋の日差しが強い日でしたが、この場所だけは空気が冷えているみたいでした。トリハダ!!(-_-;)

ポンポン石と神代杉(^_^)道端はフシギがいっぱい!(^_^)v

2014-09-20 11:23:00 | 旅行
「もう貴方とは出かけない!」とプンプン怒る妻。気持ちは、よくわかります(^_^;)道端に面白そうな物を見つけると、妻を車に置いたまま、探索に夢中になる熊さん。美しい倉や、古い道祖神などを見つけると、車ごと妻を放ったらかしにして、畑の畦道にズンズン入って行ってしまう熊さん。悪いとは思っているのですが(^o^;)ということで、またまた面白い物を見つけちゃいました(^_^ゞ

中之条町の国道で、信号待ちをしていて、偶然目に留まった「ポンポン石」の文字。「また~?」とウンザリ顔の妻を気にしながら車を停めて、看板を確認(^_^ゞ

いまから二万年前(!)浅間山の大噴火の際、大規模な土石流が発生して、こんな大きな石がゴロンゴロンと転がってきたらしいです。そういえば、我が町前橋市にも「飛び石稲荷」と呼ばれる神社があります。同じように、浅間の大噴火で運ばれた大石に稲荷が祀られています。
吾妻線の工事に邪魔だったため、一部を削られてしまったそうです。その工事人夫達が上に登って跳び跳ねると、ポンポン音がしたので「つづみ石」とかポンポン石とか、呼ばれるようになったとのこと。おそらく内部に空洞か何かあるんでしょうが、妻をこれ以上、怒らせたくないので、上に登ってピョンピョンするのは断念!(((^_^;)やってみたかったなぁ(^o^)
線路の向こう側は見渡す限り、真っ白な蕎麦の花が咲いていました(^_^ゞ

国道に戻って北へ車を走らせると、またまた発見!(^_^)v

樹齢ナンと千四百年!(^-^)/遥かなその昔、日本武尊(にほんぶそんじゃありません!ヤマトタケルのみこと)が、お手植えになったもの。矢倉鳥頭神社の神代杉(やぐらとりかしらじんじゃのじんだいすぎ)早口言葉みたいな名前の古代杉です(^-^)/

一部が焼けているのは、江戸時代に旅人が暖をとるために焚き火をして、燃やしてしまったとのこと。それも何か人間臭くてイイですね(^o^;)


花が咲いていれば車を降り、眺めのよい橋があればストップ。この次のドライブは、途中停車できない高速道路に致します、奥さん!m(__)m

チョッとコワ~いお地蔵さんと関所跡(^_^;)信州街道大戸宿

2014-09-19 07:12:00 | 旅行
初秋の吾妻路を妻とドライブしていたら、チョッとコワ~イお地蔵さんを見つけました(^_^ゞ


国定忠治といえば時代劇映画によく登場する、我が上州の大親分(熊さんの好きな座頭市シリーズにもでてたなぁ)(^_^)v現在の伊勢崎市の人ですが、大胆にも代官所を襲ったりして、追われる身となり、最後は刑死したとは知っていました。ここが磔(はりつけ)になった場所だったんですね(^_^;)それにしても、顔が無い!のは、チョッとブキミ。何か理由があるんでしょうかσ(^_^;)?



国定一家十二人衆と呼ばれた、有名な子分達と立派な慰霊碑。


お尋ね者になった忠治が、信州へ逃げようとして、ここ吾妻の大戸にあった関所を破ったのは、昔の講談や浪曲で知られています。(^_^ゞと言っても若い方には、ちんぷんかんぷんてしょうが(^_^;)


これは、関所の斜め向かいにある加部安左衛門という人の生家だそうです(^_^ゞこの人の名は、歴史好きの熊さんも知りませんでした。この信州街道大戸の宿の豪商で、生糸で大儲けし、ついには横浜の大通りに大きな店を構えるまでに成功しましたが、趣味の俳句に打ち込むあまり、商売も忘れ、没落して寂しく亡くなったのだそうです。熊さんも気をつけよう!(^o^;)

大戸の宿は、何となく昔の面影を残しています(^_^)




いつまでも歩いていて、妻に叱られ、危うく置いてきぼりにされるところでした!お地蔵さんより恐かったりして(((^_^;)熊さんは歩きはじめると、時間を忘れちゃうもので。これからは気をつけますm(__)m

本物のコーヒーが飲みたくて(^_^)珈琲で哲学?

2014-09-18 07:06:00 | 日記
たまには、ゆったり気分で本物の珈琲が飲みたい!(最近はセブンカフェ専門。スタバは落ち着かないし)(^_^;)そう思い立って、妻とお茶してきました(^_^ゞ

高前バイパス沿いのお店。ここなら、中年夫婦もスーッと入れそう!じつは他のお店も覗いたのですが、若者がいっぱいで、何だか気おくれがしてしまって(^_^;)

なんとなく昭和の雰囲気を感じる店構え。


妻と席に案内されたら、美しい方が深紅のバラの一輪挿しをテーブルに飾ってくれました。コレだけでグッときちゃった熊さん!妻は平然としてましたが(*^^*)

珈琲は美味しく、店内は静かで、これこそ大人のお店!という感じ。本当に久しぶりに、ゆったり気分で、香りゆたかな珈琲を味わう時間が持てました\(^_^)/
ただ、帰りに見たコレはチョッとσ(^_^;)?

「サラダは女、ドレッシングは男。あなた次第で味付けが決まる」って!寒~いオヤジギャグでしょ!いくら昭和レトロ感を出すお店でも、これはout!(^_^;)
でも珈琲は、とても美味しかったので、また寄らせてもらい~ます!(^_^ゞ

レトロと最先端が混在する町(^_^)高崎ちょい散歩

2014-09-17 18:45:00 | 日記

高崎駅前から散歩を始めた熊さんは、割引乗車券の自販機を見てビックリ!(*_*)
都会の人には当たり前なンでしょうが、山から出てきた熊さんは、初めて見ました!(^^)/昔の人は「お江戸見るなら高崎田町」と言ったそうだけれど、本当だ~!(チョッと言い過ぎ?)

駅前通りの豊田屋旅館。国の有形文化財。いまも営業しているそうです!(^-^)

連雀町交差点。高崎は旧町名を残しているのが素晴らしい!\(^_^)/

これこそ高崎の風景!という感じ。昭和レトロと最先端が混在!(^_^)v


高崎城趾。石垣と松が美しい!(^_^)

現在は乾櫓(いぬいやぐら)と東門だけが、当時の姿をとどめています(^_^ゞ




こんな碑を見つけました(^_^ゞ

「昭和三十六年ときの高崎市民これを建つ」誇らしげに胸を張っている感じ。

これは群馬音楽センターのことだったんですね!(^_^)我が町は文化で発展するぞ!という意気込みが伝わってきます。

アントニン・レーモンドという有名な建築家が設計したものだそうです。レーモンド松屋なら知ってるんですが(^_^;)
これはモニュメントかと思ったら、電話ボックス!さすが音楽センター!(^^)/

お堀も美しい!土塁もイイネ!(^_^)v





現代の天守閣!今も昔も権力者は高いところが好きσ(^_^;)?

隣接する高崎公園。明治時代に作られたのだそうですが、高崎は緑豊かな町です(^_^)

そして、車から見かけるたびに気になっていた頼政神社。


江戸時代、松平輝貞(まつだいらてるさだ)というお殿様が高崎に封ぜられたとき、ご先祖の源頼政(みなもとよりまさ)公を祀ったのだそうです(^_^ゞ
ちなみに源頼政といえば、源氏でありながら平清盛の信頼あつい人物でしたが、のちに平氏打倒の兵を挙げ、敗れて悲劇的な生涯を終えた武将だったとか。
狛犬(こまいぬ)がチョッと変わってるσ(^_^;)?


熊さんの目を引いたのはコレ!

「生糸仲間」の寄進。高崎が生糸で潤った、古き良き時代が思われます(^_^ゞ

そして見つけた「紺屋仲間」に「酒屋中」の文字。商業で栄えた歴史が偲ばれます。

高崎はチョッと歩いても、面白くてたまらない町。また散歩したいと思います。本日は、ここまでm(__)m