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「源氏物語絵巻・11薄雲」~写真と短歌で綴る世界文化紀行

2024-04-06 06:29:36 | 源氏物語絵巻・巻名歌返歌
「源氏物語絵巻・11薄雲」~写真と短歌で綴る世界文化紀行
 
24年1月7日日曜日NHK大河ドラマ「光る君へ」が始まりました。そこで源氏物語や紫式部日記・紫式部集に興味を持ちました。それらには和歌(巻名歌等)が沢山ありますが、その和歌の返歌を口語短歌と絵巻でブログ掲載をと思いつきました。返歌は源氏物語の内容や進行に合わせてではなく、短歌に沿った言葉・単語や自然・地名からヒントをもらい詠もうと思っています。そして源氏物語は絵巻もあります。平安時代から現在まで数多くの絵師が時代の華やかな景色を描いていますので合わせてご紹介したいと思っています。



源氏物語巻名歌・11薄雲(うすぐも)
歌の背景
光源氏三十二歳。藤壺の宮が崩御される。源氏は念仏堂に籠もり、一日中泣き暮らしている。

「入り日さす 峰にたなびく 薄雲は もの思ふ袖に 色やまがへる」 光源氏
人聞かぬ所なれば、かひなし。



返歌
「悲しみの 鈍色(にびいろ)染める 喪服には 我が泣きぬれて 涙したたる」



明石の姫さまが、二条院に迎えられることになりました。 母君の袖をつかまえ、「早くお乗りになって」と、これが母子の別れとも知らずお迎えの車に無邪気によろこぶ姫さま。明石の君は別離の悲しみに、涙が止まりません。 紫の上はその母の悲しみを思い、愛らしい姫さまを、実のお子のように慈しまれます。 翌年の春、源氏の殿に深い悲しみが訪れました。 藤壺の尼宮が、三十七歳で身まかったのです。源氏の殿は、かつての花の宴の折などをお思いになるにつけ、一日中泣き暮しておられます。夕日がはなやかに射し、雲の薄くたなびいているのが鈍色なのを、しみじみとごらんにならずにはいられないのです。 護持(ごじ)の僧から、ご出生の秘密を知らされた帝は、父を臣下としてきた不孝の罪におののき、 御位(みくらい)をお譲りになろうとほのめかしになりますが、源氏の殿はかたくなにご辞退申しあげるのでした。

参照
https://angel-zaidan.org/genji_kanmeika/kanmeika-01/
https://www.shikibunosato.com/f/hakubyo19

「源氏物語絵巻・10松風(まつかぜ)」~写真と短歌で綴る世界文化紀行

2024-03-24 06:30:09 | 源氏物語絵巻・巻名歌返歌
「源氏物語絵巻・10松風(まつかぜ)」~写真と短歌で綴る世界文化紀行
 
24年1月7日日曜日NHK大河ドラマ「光る君へ」が始まりました。そこで源氏物語や紫式部日記・紫式部集に興味を持ちました。それらには和歌(巻名歌等)が沢山ありますが、その和歌の返歌を口語短歌と絵巻でブログ掲載をと思いつきました。返歌は源氏物語の内容や進行に合わせてではなく、短歌に沿った言葉・単語や自然・地名からヒントをもらい詠もうと思っています。そして源氏物語は絵巻もあります。平安時代から現在まで数多くの絵師が時代の華やかな景色を描いていますので合わせてご紹介したいと思っています。



かねてより造営中であった二条東院が完成し、源氏は西の対に花散里を住まわせた。明石の君を東の対にと考える源氏だが、明石の君は身の程を思い決心できない。そこで明石の入道は大堰川のほとりに娘を住まわせるための家を用意した。明石の君は、入道と涙ながらに今生の別れをし、娘とともに移り住んだ。口実をつくり紫の上の不満をかわした源氏が明石の君を訪れる。三年ぶりに再会したふたりだが、源氏は成長した我が子の将来を思い描く。二条院に戻った源氏は紫の上に明石の君との娘の養育を持ちかける。子どもが好きな紫の上は満更でもない様子だった。
源氏物語巻名歌・10松風(まつかぜ)
歌の背景
光源氏三十一歳。明石の君の一行は上洛し大堰に住むが、源氏はあまり訪れない。明石君はかつて源氏から贈られた琴を奏し、明石君の母の尼上はその音を耳にして、わびしさを歌に詠む。


「身を変へて 一人帰れる 山里に 聞きしに似たる 松風ぞ吹く」 明石の尼君



返歌
「訪ねしは 秋の愁いに かこつけて 明石の君に こころ届ける」


幼い姫君の住む山荘を訪ねます。幼い姫君を見て思わず可愛らしくなり、頭を撫でようとしているところです。
※当時の部屋は1つの空間が広い為に、人々が住む空間は几帳や御簾で仕切られていて、人目につかないようにされていたようです。

参照
https://angel-zaidan.org/genji_kanmeika/kanmeika-01/
https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/2493/#toc-24

「源氏物語絵巻・9澪標(みをつくし)」~写真と短歌で綴る世界文化紀行

2024-03-23 06:56:42 | 源氏物語絵巻・巻名歌返歌
「源氏物語絵巻・9澪標(みをつくし)」~写真と短歌で綴る世界文化紀行
 
24年1月7日日曜日NHK大河ドラマ「光る君へ」が始まりました。そこで源氏物語や紫式部日記・紫式部集に興味を持ちました。それらには和歌(巻名歌等)が沢山ありますが、その和歌の返歌を口語短歌と絵巻でブログ掲載をと思いつきました。返歌は源氏物語の内容や進行に合わせてではなく、短歌に沿った言葉・単語や自然・地名からヒントをもらい詠もうと思っています。そして源氏物語は絵巻もあります。平安時代から現在まで数多くの絵師が時代の華やかな景色を描いていますので合わせてご紹介したいと思っています。



明石から、明石の御方が女児を出産したという便りが届きました。大喜びの源氏は古くから仕える女房を乳母として派遣します。明石の御方は心労から衰弱してはいましたが元気で、赤子の美しさは比類がありません。源氏が紫の上にこのことを伝えると、子どものできない紫の上は「私が一人で寂しかったときにそんなことを……」と嫉妬しますが、その横顔の美しさに源氏は見とれるのでした。五月、明石の姫君の「五十日の祝」が開催され、源氏は豪華な品、日常の品などをたくさん明石に送りました。明石の御方からの返事の筆跡の上品さに、紫の上はまたも嫉妬心を覚えます。その年の秋、源氏が須磨・明石で立てた「願」を解くために住吉に詣でますと、公卿・殿上人らは先を競って従いました。その時偶然にも、明石の御方が毎年恒例の住吉詣に舟でやってきました。盛大な源氏一行の華やかな様子を見て、あらためて身分差を思い知らされた明石の御方は涙を流し、住吉から難波に舳先を廻らすのでした。その話を惟光から聞いた源氏はぜひ再会したいと願い、難波の津にちなむ「澪標(みをつくし)」の歌を明石の御方と交わすのです。
源氏物語巻名歌・9澪標(みをつくし)
歌の背景
光源氏二十九歳。源氏が住吉神社に参詣したとき、明石の君の参詣も偶然重なってしまった。源氏の君の一行の素晴らしさに気おされてしまった明石君に、源氏は歌を贈る。

「みをつくし 恋ふるしるしに ここまでも めぐり逢ひける えには深しな」 光源氏

「数ならで 難波のことも かひなきに などみをつくし 思ひそめけむ」 明石君


返歌
「めぐり逢い 深いつながり そこはかと 惹かれあうこそ 心許して」

「恋ごころ 出会いの不思議さ 深い縁 愛おしく思う 相手のすがた」


御代替わりに伴って伊勢斎宮も交替。帰京した六条御息所は娘の前斎宮(ぜんさいぐう)を源氏に託しますが、くれぐれも色目を使わないようにと強く念を押し、源氏も承諾します。安堵した御息所はまもなく静かに息を引き取りました。先帝の院は前斎宮を好ましく思っていましたが、源氏は藤壺女院と相談し、前斎宮を自分の養女にして新帝への入内を計画。幼い帝には前斎宮のような年上の後見役が必要だと考えてのことでした。しかしすでに権中納言の姫が弘徽殿女御として入内していますし、紫の上の父・兵部卿宮も姫の入内を画策しているのです。

参照
https://angel-zaidan.org/genji_kanmeika/kanmeika-01/
https://webtaiyo.com/culture/10167/

「源氏物語絵巻・8花散里」~写真と短歌で綴る世界文化紀行

2024-03-10 06:48:30 | 源氏物語絵巻・巻名歌返歌
「源氏物語絵巻・8花散里」~写真と短歌で綴る世界文化紀行
 
24年1月7日日曜日NHK大河ドラマ「光る君へ」が始まりました。そこで源氏物語や紫式部日記・紫式部集に興味を持ちました。それらには和歌(巻名歌等)が沢山ありますが、その和歌の返歌を口語短歌と絵巻でブログ掲載をと思いつきました。返歌は源氏物語の内容や進行に合わせてではなく、短歌に沿った言葉・単語や自然・地名からヒントをもらい詠もうと思っています。そして源氏物語は絵巻もあります。平安時代から現在まで数多くの絵師が時代の華やかな景色を描いていますので合わせてご紹介したいと思っています。



五月雨の晴れ間、桐壷帝の後宮に仕えた麗景殿女御の妹花散里を訪ねようと中川辺りを通ると、ある邸宅からにぎやかな琴の音が聞こえてきた。そこは以前一度だけ逢った女性の家で、源氏は歌を詠み、使者として惟光を入らせる。
源氏物語巻名歌・8花散里
歌の背景
光源氏二十五歳。世の中を煩わしく思う源氏は、亡き桐壺の帝に女御の一人として使えていた麗景殿の女御と御妹の三の君(花散里)を訪れ、女御と桐壺の帝が在世であったころの御物語などをあれこれとする。

橘の 香をなつかしみ ほととぎす 花散る里を たづねてぞとふ 光源氏



返歌
「ほととぎす 今も変わらぬ 優しさに 安らぎ想う 花散る里に」


亡き桐壷院がまだ帝位にあったころ、その後宮に麗景殿女御(れいけいでんのにょうご)と呼ばれる女性がいた。桐壷院との間に子は無く、院の死後は後ろ盾もないため、源氏の庇護のみを頼りにひっそりと暮らしていたのだった。麗景殿女御には花散里(はなちるさと・三の君)と呼ばれる妹がいて、源氏とは忍び逢うこともあった仲だったものの、気の多い源氏の性格もあり、半ばほったらかしの状態が続いていた。政局は右大臣側へ完全に移り、なにかにつけて面白くない時世になってしまったことも重なって、源氏は思い悩むことも多い。そんな腐った気分の折には花散里のことも思い出すようで、惟光たちだけを連れて、目立たぬように訪ねてみることにした。中川のあたりを過ぎたところで、風情ある琴の音色が聞こえてきた。思い起こせば、そこは昔に一度だけ通った女人の家だったのだ。あれからずいぶん時間が流れたが覚えているだろうかと源氏は惟光を家へ遣わせてみるが、その家の女人も今更訪ねて来られても…と口惜しく思っていたのだろう、良い返事はもらえなかった。源氏はそのまま麗景殿女御の屋敷に向かう。屋敷はやはりひっそりとしていて人も多くない。女御は品良く落ち付いていて、優しいままの姿だった。昔のことを語らい、懐かしんでは涙を落とす源氏。時が移ろっても、変わらぬ態度でいてくれる女御を並々ならぬ人だと思うのである。その後、源氏は花散里のいる西面の部屋に移った。普段、通いがない源氏のつれなさも、ひとたび姿を見るとすっかり忘れてしまうらしく、花散里は幸せそうにしている。源氏も優しく睦言をかけては、心癒される風情。長らく訪ねずにいると、変化してしまう人の心というものはそれはそれで仕方のないものだ、あの中川の女を責めることはできないと源氏は考えを巡らせた。それだけに花散里の素晴らしい性質がいっそう際立つのである。

参照
https://angel-zaidan.org/genji_kanmeika/kanmeika-01/
https://www.chunichi.co.jp/article/542124
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/46098

「源氏物語絵巻・7賢木さかき」~写真と短歌で綴る世界文化紀行

2024-03-09 06:03:32 | 源氏物語絵巻・巻名歌返歌
「源氏物語絵巻・7賢木さかき」~写真と短歌で綴る世界文化紀行
 
24年1月7日日曜日NHK大河ドラマ「光る君へ」が始まりました。そこで源氏物語や紫式部日記・紫式部集に興味を持ちました。それらには和歌(巻名歌等)が沢山ありますが、その和歌の返歌を口語短歌と絵巻でブログ掲載をと思いつきました。返歌は源氏物語の内容や進行に合わせてではなく、短歌に沿った言葉・単語や自然・地名からヒントをもらい詠もうと思っています。そして源氏物語は絵巻もあります。平安時代から現在まで数多くの絵師が時代の華やかな景色を描いていますので合わせてご紹介したいと思っています。



源氏との縁が遠くなり、仲を諦めて伊勢に向うことを決意した六条御息所を、源氏が嵯峨の野宮に訪ねる場面である。榊は葉の色と同じように六条御息所への変わらぬ気持ちを表すもので、榊の枝を暖簾越しに差仕入て歌を詠みかわす二人の姿が描かれている。
源氏物語巻名歌・賢木さかき
歌の背景
源氏二十三歳。源氏とのことを諦めて、伊勢に下ることになった六条御息所の住む野宮を訪れたが、長い無沙汰の弁解は決まりの悪いような思いがして、源氏は榊の小枝を御簾の下から挿し入れ、「変らぬ色をしるべにてこそ、斎垣も越えはべりにけれ。さも心憂く」と言葉をかけると、六条御息所が歌を贈ってきます。

「神垣は しるしの杉も なきものを いかにまがへて 折れるさかきぞ」 六条御息所

「少女子(おとめご)が あたりと思へば 榊葉の 香りをなつかしみ とめてこそ折れ」 光源氏



返歌
「穏やかな 榊に託す 恋ごころ 控えめなゆめ 許せるものを」

「少女子は かの君ならば 想うとき 切なさありて こころときめく」


正妻の葵の上が亡くなり、これで六条御息所も晴れて源氏の正妻に迎えられるだろうと世間が噂するのとは逆に、源氏との縁が程遠くなった御息所。悩める彼女は斎宮とともに伊勢に下る準備をし、いよいよ出発間近となった。このまま別れるのはあまりにも忍びないと、源氏も御息所のもとを訪ねる。顔を合わせてしまうとやはり再び思いが乱れる御息所だったが、予定を変えることなく伊勢へと下って行った。桐壷院の病が篤くなり、死期を悟った院は朱雀帝に春宮と源氏のことを遺言で託し、ほどなく崩御してしまう。時勢は桐壷院の外戚であった左大臣側から朱雀帝の外戚である右大臣側に移って行った。朱雀帝の強く言いだせない優しい性格もあって、政治は右大臣の思うがままになっていく。朧月夜が入内して尚侍(ないしのかみ・女御、更衣に次ぐ後宮)となった。朱雀帝の寵愛は深いが、源氏との恋はまだ密かに続いていた。朱雀帝もそれを知らないではいなかったが、昔から続いていたのなら仕方がないと納得する。

参照
https://angel-zaidan.org/genji_kanmeika/kanmeika-01/
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/449820解説あり
https://note.com/22ndcentury/n/n43b6335a6b79

「源氏物語絵巻・葵」~写真と短歌で綴る世界文化紀行

2024-02-25 08:14:40 | 源氏物語絵巻・巻名歌返歌
「源氏物語絵巻・葵」~写真と短歌で綴る世界文化紀行
 
24年1月7日日曜日NHK大河ドラマ「光る君へ」が始まりました。そこで源氏物語や紫式部日記・紫式部集に興味を持ちました。それらには和歌(巻名歌等)が沢山ありますが、その和歌の返歌を口語短歌と絵巻でブログ掲載をと思いつきました。返歌は源氏物語の内容や進行に合わせてではなく、短歌に沿った言葉・単語や自然・地名からヒントをもらい詠もうと思っています。そして源氏物語は絵巻もあります。平安時代から現在まで数多くの絵師が時代の華やかな景色を描いていますので合わせてご紹介したいと思っています。



「葵」を代表する場面である「車争い」のワンシーンです。本作は土佐光茂筆と伝わる「車争図」(京都・仁和寺蔵)の写しと考えられます。賀茂祭(葵祭)の当日、女三の宮が賀茂の新斎院になる御禊の行列に源氏の君も加わることになったため、その行列を見ようとする人々で一条大路は混雑していた。源氏の君の愛人六条御息所もひそかに見物していたが、そこへ源氏の君の正妻葵の上も見物に行き、その従者たちが六条御息所の車を喧嘩ごしで押し退けてしまうという場面です。右隻には御禊の行列が描かれ、左隻には六条御息所と葵の上の一行が争う場面が描かれています。屛風の大画面いっぱいに物語のハイライトを大きく描くとともに、賀茂祭の喧噪を今に伝える屏風絵となっています。
源氏物語巻名歌・6葵(あおい)
歌の背景
光源氏二十二歳。びっしりと車が立ち並んでいる賀茂の葵祭の日、女の方から車の場所を譲ってくるのでどんな好色者だろうとみると、「せっかくお目にかかったのに、その注連の内(シメノウチ)には入りかねております」と、「逢ふ日」に掛けて、あの典侍が歌を贈ってきました。源氏は素っ気なく歌を返します。

「はかなしや 人のかざせる 葵ゆゑ 神の許しの 今日を待ちける」 源典侍
注連の内には

「かざしける 心ぞあだに おもほゆる 八十氏人に なべて逢ふ日を」 光源氏


八十氏人(やそうじびと)~多くの人々



返歌
「典侍(ないしのすけ) 恋に想いは みそかごと 葵の簪(かんざし) 祭りに輝く」

「移りかわる 花のほころび 今さかりと 八十氏人(やそうじびと)を 眺めているも」


賀茂の祭りの有名な車争いです。祭りを前に、禊の見物に出かけた葵上の牛車と六条の御息所の車が鉢合わせとなり、車を受け持つ者同士が争い、結局御息所が引くような形になります。葵上は良いとこのお嬢さんらしく我関せずなのですが、御息所は性格がきつくて負けず嫌い、ヒステリーの気味があるから、許せないで、悶々としています。

参照
https://angel-zaidan.org/genji_kanmeika/kanmeika-01/
https://www.fujibi.or.jp/collection/artwork/01064/
https://ameblo.jp/kattsingen/entry-12634163706.html

「源氏物語絵巻・末摘花」~写真と短歌で綴る世界文化紀行

2024-02-24 06:26:51 | 源氏物語絵巻・巻名歌返歌
「源氏物語絵巻・末摘花」~写真と短歌で綴る世界文化紀行
 
24年1月7日日曜日NHK大河ドラマ「光る君へ」が始まりました。そこで源氏物語や紫式部日記・紫式部集に興味を持ちました。それらには和歌(巻名歌等)が沢山ありますが、その和歌の返歌を口語短歌と絵巻でブログ掲載をと思いつきました。返歌は源氏物語の内容や進行に合わせてではなく、短歌に沿った言葉・単語や自然・地名からヒントをもらい詠もうと思っています。そして源氏物語は絵巻もあります。平安時代から現在まで数多くの絵師が時代の華やかな景色を描いていますので合わせてご紹介したいと思っています。


「末摘花」(すえつむはな)は、「光源氏」とかかわりのある女性の中で最も醜く、古くさくて無粋な女性として描かれている人物です。末摘花は紅花(ベニバナ)のことで、末摘花という紅花にちなむ名前で呼ばれるのは、その女性の鼻が長く、先端が赤くなっているからです。しかし、末摘花に対して人々が意地悪く揶揄する描写がある一方で、光源氏が情け深く彼女の面倒を見る様子も綴られており、単に批判されるべき人物として登場する訳ではありません。光源氏は末摘花の容姿に衝撃を受けますが、光源氏をいつまでもけなげに待ち続ける心の清らかさに好感を寄せ、末摘花を丁重に扱うようになります。

源氏物語巻名歌・5末摘花(すゑつむはな)
歌の背景
光源氏十八歳。末摘花の琴を忍び聞いた源氏は、頭中将と競って末摘花と逢います。しかし、雪の明るさに晒された末摘花の鼻に驚くことに、末摘花から贈られた文と装束の様に呆れ果てた源氏は、文の端に、手習いのつもりで歌を書き散らかすのです。
「なつかしき 色ともなしに 何にこの すゑつむ花を 袖に触れけむ」 光源氏
 色濃き花と 見しかども など 書きけがしたまふ



返歌
「鮮やかに 情熱的な 紅花は 無垢な心で 一途に想う」


末摘花は、皇族「常陸宮」の姫君でありながら、父の死によって後ろ盾を失い、ひっそりと質素に暮らしていました。18歳になった光源氏は、屋敷に仕えている「大輔命婦」(たいふのみょうぶ)から没落した姫である末摘花の話を聞いて興味を持ち、会いたくて仕方なくなります。興味を抑えきれなくなった光源氏は、ある夜、大輔命婦に連れられて末摘花の住まいまで足を運びました。近づいていくと、優美な琴の音が聞こえてくるのですが、音は突然止んでしまうのでした。もっと聞きたい、姿を見たいと思う光源氏でしたが、その日は帰ることになります。そののち、光源氏の末摘花への興味は徐々に失われていきますが、あるとき「頭中将」(とうのちゅうじょう)も末摘花を狙っているということが判明、すると光源氏の競争心があおられ、再び興味を持つのです。それぞれ末摘花に歌を送り、どちらが返事を貰えるかの勝負をしますが、いつまでたっても末摘花からは音沙汰がありません。光源氏は、何度か文を送るものの返事をしない末摘花の素っ気なさが気に障り、このままでは引き下がれないと大輔命婦に逢瀬の手引きを依頼し、顔も見ないまま、とうとう2人は結ばれます。ところが雪の積もった朝、光源氏は末摘花の姿を初めて目にしてその醜さに驚き、落胆するのでした。光源氏は、末摘花の容姿を見てしまったことを後悔しつつ、帰宅の途につきます。末摘花は、あまりものを言わず姿も見せず、しかも歌の才能がないので、歌を送られてきてもうまく返歌が書けずにいました。書けずにぐずぐずしているうちに返しそびれてしまい、結局返事をしないままとなってしまっていたのです。しかし、光源氏と一夜を共にしたあとに末摘花は歌を返します。

「からころも 君が心の つらければ  袂(たもと)はかくぞ  そぼちつつのみ」


返歌
「紅花の そぼつ恋路は わけありて 一人悲しみ たもと濡らさん」

参照
https://angel-zaidan.org/genji_kanmeika/kanmeika-01/
https://www.touken-world.jp/tips/100354/
https://www.ishiyamadera.or.jp/info/blog/5096

「源氏物語絵巻・若紫」~写真と短歌で綴る世界文化紀行

2024-02-11 07:02:08 | 源氏物語絵巻・巻名歌返歌
「源氏物語絵巻・若紫」~写真と短歌で綴る世界文化紀行
 
24年1月7日日曜日NHK大河ドラマ「光る君へ」が始まりました。そこで源氏物語や紫式部日記・紫式部集に興味を持ちました。それらには和歌(巻名歌等)が沢山ありますが、その和歌の返歌を口語短歌と絵巻でブログ掲載をと思いつきました。返歌は源氏物語の内容や進行に合わせてではなく、短歌に沿った言葉・単語や自然・地名からヒントをもらい詠もうと思っています。そして源氏物語は絵巻もあります。平安時代から現在まで数多くの絵師が時代の華やかな景色を描いていますので合わせてご紹介したいと思っています。



18歳の光源氏は、病気治療のために北山を訪れていました。そこで女性たちのいる部屋を覗き見し、とんでもない美少女を発見。そしてこの少女が、恋焦がれる女性(父帝の妻・藤壺)によく似ていることに気が付きます。それもそのはず、若紫は藤壺の姪だったのです。これが光源氏と若紫の運命の出会い。ちなみに覗き見で恋が始まるのは、当時はごく普通のことでした。その後光源氏は若紫をこっそり自邸に連れ帰りますが、すぐには手を出しませんでした。2人が結ばれるのは、そこから約4年後です。

源氏物語巻名歌・4若紫
歌の背景
光源氏十八歳。北山の行者の許に出かけた際、ふと見かけた藤壺の宮に生き写しの少女。この少女をこれから自分が細やかに仕込んでいけばいいとは思うものの、胸に期待しているよりも劣っているのではないだろうかと、源氏は気掛かりになります。

「手に摘みて いつしかも見む 紫の 根に通ひける 野辺の若草」 光源氏



返歌
「うら若き けがれを知らぬ 若草の 夢にさまよう 愛おしい人」


幼少期の政略結婚に対して、光源氏は幼い頃から憧れている義母・藤壺への想いから、若紫を熱望しました。それなので「実際に若紫と会ってみたら期待外れなんじゃないか、藤壺とは似ていないんじゃないか」と心配するシーンもあります。ただただ藤壺の姿を求めていた光源氏。その藤壺は、若くして亡くなった光源氏の母に生き写しだと言われた女性です。母の記憶のない光源氏は、藤壺にも若紫にも、母の面影を探していたのかもしれません。

参照
https://angel-zaidan.org/genji_kanmeika/kanmeika-01/
https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/162638/

「源氏物語絵巻・夕顔」~写真と短歌で綴る世界文化紀行

2024-02-10 08:07:12 | 源氏物語絵巻・巻名歌返歌
「源氏物語絵巻・夕顔」~写真と短歌で綴る世界文化紀行
 
24年1月7日日曜日NHK大河ドラマ「光る君へ」が始まりました。そこで源氏物語や紫式部日記・紫式部集に興味を持ちました。それらには和歌(巻名歌等)が沢山ありますが、その和歌の返歌を口語短歌と絵巻でブログ掲載をと思いつきました。返歌は源氏物語の内容や進行に合わせてではなく、短歌に沿った言葉・単語や自然・地名からヒントをもらい詠もうと思っています。そして源氏物語は絵巻もあります。平安時代から現在まで数多くの絵師が時代の華やかな景色を描いていますので合わせてご紹介したいと思っています。



先の東宮妃であった六条御息所と契りを交わす様になった源氏は、六条に赴く折り以前より臥せっていた惟光の母の見舞いに立ち寄る事にした。近くに咲いていた白い夕顔をその屋敷の主人に惟光が一枝貰いに行くと、なよやかな花だからと女主人は文をしたため、扇子に乗せて差し出した。意外な所に風流人がいたものと、源氏は返歌を送り互いに名乗る事もなく逢瀬を交わす仲となった。正妻、葵の上と心通わす事ができずにいる苛立ちに疲れを感じていた源氏の心は、夕顔といるだけで不思議と安らいでいった。

源氏物語巻名歌・3夕顔
歌の背景
光源氏十七歳。源氏あてに届けられた、夕顔の花の添えられた扇と歌に、心を惹かれます。届けた主を調べさせて、興ざめしそうな境遇の女だろうとは思うものの、自分を目指して歌をよこした心のほどは憎からず思い歌を返します。

「心あてに それかとぞ見る 白露の 光そへたる 夕顔の花」 夕顔
「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 花の夕顔」 光源氏



返歌
「白露の 朝の光に 輝いて 風の吹きしく 秋の草原」
「たそがれに 想いは一つ 相ともに 幸せ祈る 穏やかな日々」


江戸時代初期に描かれ、全容がわからないこともあって「幻」とも呼ばれる「盛安本源氏物語絵巻」のうち、ヒロインの一人である夕顔の死を描いた場面が新たにフランスで見つかったと朝日新聞が報じました。源氏物語絵巻で不幸な場面を描いたものは、極めて珍しいとのことです。横たわる夕顔や死を嘆く光源氏、駆けつける家臣、建物の内装などが精巧に描かれた図は縦35センチ、横132センチ。保存状態は良く、金がふんだんに使われているそうです。仏のコレクターが購入後、美術史家のエステル・ボエールさんを介して佐野みどり学習院大教授(日本美術史)が調査。画風などから盛安本(セイヤスモト)の夕顔と確認しました。

参照
https://angel-zaidan.org/genji_kanmeika/kanmeika-01/
https://www.kiritsubo.jp//item/s-35.html

「源氏物語絵巻・空蝉」~写真と短歌で綴る世界文化紀行

2024-01-28 07:24:03 | 源氏物語絵巻・巻名歌返歌
「源氏物語絵巻・空蝉」~写真と短歌で綴る世界文化紀行
 
24年1月7日日曜日NHK大河ドラマ「光る君へ」が始まりました。再度源氏物語や紫式部日記・紫式部集を学ぼうと思いました。それらには和歌(巻名歌等)が沢山ありますが、その和歌の返歌を絵巻と口語短歌でブログ掲載をと思いつきました。返歌は源氏物語の内容や進行に合わせてではなく、短歌に沿った言葉・単語や自然・地名からヒントをもらい詠もうと思っています。そして源氏物語は絵巻もあります。平安時代から現在まで数多くの絵師が時代の華やかな景色を描いていますので合わせてご紹介したいと思っています。



忍び込んできた光源氏から逃げる空蝉、「源氏物語手鑑 空蝉」土佐光吉筆

源氏物語巻名歌・2空蝉(うつせみ)
歌の背景
光源氏十七歳。空蝉の残していった小袖の元で休もうとするが、源氏は眠れず、歌を詠みます。空蝉は、夫を持つ身として源氏を受け入れられない耐えがたい思いを、源氏が歌を書き贈ってきた紙の片端に記すのです。

「空蝉の 身をかへてける 木のもとに なほ人がらの なつかしきかな」 光源氏
「空蝉の 羽に置く露の 木隠れて 忍び忍びに 濡るる袖かな」 空蝉



返歌
「空蝉の 想いはいずこ 遠き空 夢で遭いたい なつかしき人」
「空蝉の 忍ぶ恋こそ 巡り会い 人の情念 河のようにも」


空蝉の寝所に忍び込もうとする光源氏。2度目の試みは失敗に終わる、「源氏物語画帖 空蝉」土佐光則筆

注)
空蝉~蝉の抜け殻の様子から、古来よりむなしいさま、はかないさまの例えとして使われる
また短歌の枕詞としても活用される。

参照
https://angel-zaidan.org/genji_kanmeika/kanmeika-01/
https://ryoutei-senryu.jp/cicada-shell/