さっかんの小部屋

個人的な日々のできごとです。ご笑覧あれ。

瓢箪から駒,徳利から楕円球

2000年08月24日 | ラグビー
吉條宏孝(ひげありバージョン)
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瓢箪から駒、徳利から楕円球
(奈良ラグビー第9号(1994)より転記,改行位置変更)

ノックオンクラブ 吉條宏孝


酒場では,どんな話から花が咲くかも知れぬ。
飲んだ勢いとは怖いもので,そんな冗談話からわがラグビーチームはスタートした。

奈良市の酒場「松月」(現・南市町の「田川」)で店の主人と客の会話から始まり,舟橋町の県立商科大学グラウンドで毎週日曜日,ゴムのラグビーボールで遊びはじめたのだ。

それが嵩じて1980年2月,私が『ラグビーマガジン』に投稿,ずいぶん待たされて10月号に掲載された。
直ちに数人から連絡はあったものの私の腰は重く,翌年4月5日,金子,吉貝の二氏と会って本格的にスタートさせることを決めた。
5月の県リーグ総会で天平クラブなどと共に加盟は受諾されたものの,素人が多すぎるということでリーグ入りは認められなかった。

そんなわけで最初の一年は練習に明けくれ,県立商科大学,帝塚山学園,教育大学付属中学などグラウンドを転々とし,ようやく今の平城宮跡に落ち着いた。
82年5月Bリーグ入りするも1不戦勝7敗, 83年に新設のCリーグに降格されやっと初勝利,朝日新聞奈良版にその記事が載ったほどだ。

それからおよそ10年,転勤による退部や新しいメンバーとの入れ換わりもあり,結成当時からの古顔は6名ほどとなった(「松月」の仲間は今でも飲み友達ではあるが,本気で練習をはじめた頃にはエスケープしてしまった)。

年齢も住所も職種もまちまちの我々だが,よくもここまで来れたと思う。
特に昨秋(1993年),豊田市で行なわれた関西クラブチーム大会に県代表で出場できるなんて,本当に感慨深いものがある。
また,今春の府県対抗の奈良県の代表チームにも何人かのメンバーを送ることができるまでになった。

現在,高校生から40代までのラグビー大好き人間が平城宮跡で毎週日曜日に集まっている。
即戦力メンバーの加入は大歓迎だが,未経験者や試合には出場できない中・高生ももちろんウエルカムだ。

毎年,御杖村で夏合宿を行なっているがミーティング(半分,酒宴)は夜遅くまでつづき,みんな本当にラグビーが好きなんだなと,つくづく思う。

今後は高年齢層メンバーを主体としてチーム内チームの結成,クラブハウスの開設など,ラグビーキッズの夢はつきない。
地域に根ざしつつも外に開かれた,ヨーロッパやNZタイプのスポーツクラブをめざしたい。

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