さっかんの小部屋

個人的な日々のできごとです。ご笑覧あれ。

糸魚川という地名について

2006年12月26日 | Weblog
上の図は糸魚川市の市章です

過日,糸魚川に行ったことをお伝えしました
そのとき,何で「糸魚川」っていうんだろうと思ったんです。

そこで,ネットで探してみました。
最初は簡単に考えて,川があって「糸魚(糸のように細い魚)」がよく泳いでいるから「糸魚川」。
そこから転じたのかな?? と。

ところが,なかなかそんな記載にぶつかりません。
「糸魚川」という川もなさそうです。

そこで,あつかましくも,糸魚川市の方に問い合わせました。
そしたら親切にも,市史編さん室の方から回答をいただきました。

転記の許可をいただきましたので,以下に記載します。
ブログの関係上,若干改行位置等を変更しています。
------------------------
こんにちは。
このたびは、糸魚川の地名に興味をお持ちいただき、大変うれしく思います。
疑問につき、市史編さん室が回答いたします。
さて、その由来については・・・

■■「糸魚川」という地名について■■■■■■
「糸魚川」という河川が無いのに何故このような地名が付いたのか、その疑問にお答えするため、下記のようにまとめてみました。
伝説レベルでは下記のようなものがあります。

(1)弘法大師(空海)が竹管に糸を巻いて川に投じたところ、たちまち魚となって泳ぎまわったことから。
(2)対立する軍(どのような軍かは不明)がこの地で挑(いど)みあったので「いどみ川」から転じて「いといがわ」となった。
(3)淀(よどみ)川から転化して「いといがわ」となった。

その他、災害がよくおこるので「厭川」から転化したなどもあります。

また、最もまことしやかに囁(ささや)かれる説に下記のものがあります。
(4)糸魚(イトヨ)が市内の河川に多く棲(す)んでいたことから付いた。

イトヨは背の3本のトゲが特徴の魚です。
これが旧糸魚川市(昭和29年[1954]6月1日市制施行)の市章となったものですから、いよいよまことしやかな説になっているようです。

昭和30年1月8日、告示第52号で糸魚川市章は次のように定められました。
■意匠説明
名産の糸魚三尾をもって市民を表わし、密接に連繋するが己の分を守り、他を尊重する意味である。

ちなみに、イトヨは昭和40年代前後から河川の汚染等で市内では全くと言っていいほど見られなくなりました。

次に『糸魚川市史』第1巻(糸魚川市役所 1976)で執筆者の青木重孝が唱えた説があります。
(5)古代、新羅人が日本に渡り帰化人となり、糸井と名乗り、この地に住み着いたことから付いた。

青木の説によると、新羅のある集団が日本に渡り、まず、兵庫県の但馬の地を開き糸井造(いといのみやつこ)という姓(かばね)を名乗り、その後、この一族がこの地方に入ってきたことから付いたということです。

実際、兵庫県のこの地域には糸井村・糸井川(いずれも現在の朝来[あさご]市内)という名前が今に伝わっています。

青木は、糸井造の一族は当地方では具体的に姫川(糸魚川市を流れる1級河川)を見下ろすことの出来る地に館を構え、眼下の荘園を管理したとしています。

この説に基づきますと、糸井造の勢力を象徴する河川である姫川がかつて「糸魚川」と呼ばれていた可能性があるといえます。
しかし、史料はありません。推測の範囲です。

同じく『糸魚川市史』第1巻(糸魚川市役所 1976)では、古文書の中から地名の出現を探っています。
そこには,以下のように例示されています。

沼河   延元2(1337)年2月  禰知盛継状
沼川   康永4(1345)年2月  村山高直軍忠状
沼川   正平7(1352)年閏2月 村山右京亮軍忠状
糸井川  至徳4(1387)年9月  市川頼房軍忠状
糸井河  永享4(1432)年9月  一之宮梵鐘名
いとい川 寛正6(1465)年7月  堯恵「善光寺紀行」
糸魚川  永正6(1509)年9月  村山氏系図
糸魚川  永正6(1509)年9月  長尾為景書状
糸魚河  永正7(1510)年6月  上杉定実書状

これによると、1387年のあたりを境に地名が変わったように見られますが、「沼川(河)」(ぬなかわ・ぬながわ)はより広域を指す地名、比して糸井川(糸魚川)は狭い地域を指して用いられています。

また、「糸井」という言葉は本来、糸のように流れる細い川という意味があるようで、姫川のような大きい河川が果してそのように呼ばれたものか疑問ですし、更に、何故「井」が「魚」になったのか、全く不明です。

上流を姫川、下流を糸井川と呼んだ、あるいは姫川下流の一支流を糸井川と呼んだなどの説もあります。

以上見てきたように「糸魚川」の地名の起こりには諸説あり、現在最も有力とされている(5)の説も疑問点が指摘されているという状態です。

以上、長くなりましたが御理解いただけましたでしょうか?
御不明な点がございましたら、下記へお問い合わせ下さい。
====================================
941-8501
糸魚川市一の宮1-2-5
糸魚川市総務課 市史編さん室
025-552-****(内線****)
====================================

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いや~,ありがたいですね。
こんなに丁寧に解説していただけるとは思いませんでした。
ほんま,ありがたいことです。

でも,結局,糸魚川の名の由来は謎のままです(笑)。







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5 コメント

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すご~い! (bluemoon)
2006-12-26 23:42:44
なんて丁寧なお役所なのでしょうか!
それなのに、分からないとは…。わはは!です~。

すいません、ここに書いておきます。 dqtklb2149
>bluemoon さま (さっかん)
2006-12-27 17:46:56
すごく丁寧な返事をいただきました。
恐縮しています。

でも,不明のままです‥‥ ‥(笑)
フォッサマグナ (葉)
2011-12-30 09:22:19
日本を東と西に分けるとしたらどこで?
という疑問から 糸魚川に興味を持ちました
糸魚川市はあっても河の名前としては
ありませんよね それでこのページに
来たのです 丁寧なお役所の対応 そして
このページに記載して下さったかたに感謝
致します
■葉 さま (さっかん)
2011-12-31 23:32:45
コメント,ありがとうございました。

自分は,日本を東西に分けるなんて発想がなかったですね。
分けた結果何をするかですけど,子午線とほぼ平行に,人口を1/2にするように市町村で分けるってどうでしょうか。
愛川町の由来 (タートル)
2017-10-23 15:48:57
我が在所は、愛川町です。でも愛川と言う川はありません。由来を調べたら、我が町の東岸を流れる相模川が、昔鮎川と呼ばれ、それが訛って愛川となり、町の名になったようです。

そう言えば糸魚川市にも、糸魚川なんて川が無かったっけ。ならどうしてそれが冠された市の名に? と調べていてこちらに辿りつきました。

糸魚川市は複雑ですね。私はざっくり青木の糸井造背説を採らせて頂きます。

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