昨日、夕やけ小やけ号の写真を撮りに行った帰りに寄り道してみた。
浅川の川岸を通る道路から、路地に入ってすぐの所に、コンクリート製の何かがあるのだか、近くによってじっくり見たことが無くて、なんだかわからなかったが
、どうやら線路の橋脚部分のようだ。
南側には台形の橋脚、数メートル離れた北側には、
下がすぼまった形の橋脚が、住宅の境界に立っている。
形の違う物が、数メートルの間に残されているのも、珍しい、夫婦のようでもある。
なぜ残されたのか?
多摩御陵への多くの参拝者の移動手段として、京王電気軌道社が敷設し、普段は北野~多摩御陵前(1931年3月20日開業)の間を折り返し運転、土日には、新宿からの直通運転の列車があったという。
休線になり、 山田駅~多摩御陵前駅が廃線、後に北野駅~山田駅の間が、京王高尾線の一区間に取り込まれる形で復活したという
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』京王御陵線を参考にしています。
背中が痛い