ハートフルふじしろ病院の前の道を100mほど北上すると左手に神社の杜が見えてきます。

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参道の入口から見た境内。
鳥居(昭和45年、1970)の注連縄は萱場の鹿島神社と同様に一文字型です。

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参道の両側には石塔などが沢山並んでいます。
これは参道右側の手水鉢(嘉永7年、1854)。

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参道の右側一番手前に弁才天の石祠(明和元年、1764)があります。

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その左隣に天神宮の石祠(文政10年、1827)。

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さらに左隣に金毘羅大権現の石祠(弘化2年、1845)。
背後に写っているのは下萱場集会所です。

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参道の右側一番奥です。
左から稲荷大明神(明治40年、1907)、諏訪神社(明治40年、1907)。

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次は参道の左側です。
左から道祖神(宝暦4年、1754)、道祖神(年記不明)。

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左から雷神宮の石祠(昭和10年、1935)、二十三夜塔(天保5年、1834)。

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参道左側の奥、植栽の陰になって見づらいですが、庚申塔の青面金剛像(享保元年、1716)です。

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この神社には拝殿がなく、本殿は覆屋の中に祀られています。
普段は覆屋の正面の赤い扉に錠が掛かっていますが、この時は運良く開いていました。

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覆屋の中の本殿です。


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参道の入口から見た境内。
鳥居(昭和45年、1970)の注連縄は萱場の鹿島神社と同様に一文字型です。

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参道の両側には石塔などが沢山並んでいます。
これは参道右側の手水鉢(嘉永7年、1854)。

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参道の右側一番手前に弁才天の石祠(明和元年、1764)があります。

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その左隣に天神宮の石祠(文政10年、1827)。

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さらに左隣に金毘羅大権現の石祠(弘化2年、1845)。
背後に写っているのは下萱場集会所です。

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参道の右側一番奥です。
左から稲荷大明神(明治40年、1907)、諏訪神社(明治40年、1907)。

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次は参道の左側です。
左から道祖神(宝暦4年、1754)、道祖神(年記不明)。

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左から雷神宮の石祠(昭和10年、1935)、二十三夜塔(天保5年、1834)。

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参道左側の奥、植栽の陰になって見づらいですが、庚申塔の青面金剛像(享保元年、1716)です。

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この神社には拝殿がなく、本殿は覆屋の中に祀られています。
普段は覆屋の正面の赤い扉に錠が掛かっていますが、この時は運良く開いていました。

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覆屋の中の本殿です。

萱場集会所の向いにブロック塀で囲まれた境内があります。

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鳥居(平成6年、1996)には武神らしく力強い一文字の注連縄が飾られています。
参道の敷石はY字形に分かれています。

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鳥居の右側に手水鉢があります。

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左側の参道の先には地蔵堂が建っています。

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地蔵堂の中には色取り取りの帯状の布を纏ったぽっくり地蔵像が奉られています。
取手市のホームページには享保2年(1717)の文字が刻まれているとあります。

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境内の正面奥には石塔が並んでいます。
左から供養塔、十九夜塔(寛延3年、1750)、水神宮(万延2年、1861)。

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左から如意輪観音像(文化7年、1810)、不明神の石祠。

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左から六十六部供養塔(享保5年、1720)、二十三夜塔(天保5年、1834)、愛宕山石祠(明和7年、1770)。

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境内の右側に社殿があります。

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拝殿の中に本殿が祀られています。

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社殿の右側には天神宮の石祠(宝暦10年、1760)があります。

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神社から十数メートルほど東へ行った道路脇にも石塔が2基並んでいます。
左から庚申塔(正徳5年、1715)、道祖神(寛政4年、1792)。


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鳥居(平成6年、1996)には武神らしく力強い一文字の注連縄が飾られています。
参道の敷石はY字形に分かれています。

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鳥居の右側に手水鉢があります。

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左側の参道の先には地蔵堂が建っています。

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地蔵堂の中には色取り取りの帯状の布を纏ったぽっくり地蔵像が奉られています。
取手市のホームページには享保2年(1717)の文字が刻まれているとあります。

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境内の正面奥には石塔が並んでいます。
左から供養塔、十九夜塔(寛延3年、1750)、水神宮(万延2年、1861)。

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左から如意輪観音像(文化7年、1810)、不明神の石祠。

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左から六十六部供養塔(享保5年、1720)、二十三夜塔(天保5年、1834)、愛宕山石祠(明和7年、1770)。

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境内の右側に社殿があります。

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拝殿の中に本殿が祀られています。

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社殿の右側には天神宮の石祠(宝暦10年、1760)があります。

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神社から十数メートルほど東へ行った道路脇にも石塔が2基並んでいます。
左から庚申塔(正徳5年、1715)、道祖神(寛政4年、1792)。
