旧県道取手東線沿いの新田公会堂の敷地に阿弥陀堂の境内があります。
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参道の右側に弥陀堂第十八番の札所塔があります。
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境内の全景。小堂が二宇並んでいます。どちらも札所塔が立っていて、左が四国十八番、右が四国拾九番(明治33年、1900)と記されています。
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札所塔などから推測するところ、左が新四国相馬霊場第18番の阿弥陀堂、右が第19番札所の大師堂と思われます。『取手市史』石造遺物編にも19番札所が記されています。しかし、第19番札所といえば同じ小文間の明星院にも存在しており、由来については不明。
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大師堂の内部。四国西国秩父坂東供養塔(明治24年、1891)の上に弘法大師像が安置されています。
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阿弥陀堂の左側に3基の大師像があります。左から薬師講(大正11年、1922)、大師像(造立年不明)、南無大師十二日講記念碑(大正7年、1918)。
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大師堂の右側奥に立つ法界塔(寛政6年、1794)。
創立:元禄15年(1702)
祭神:天津児屋根命(アマツコヤネノミコト)
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春日神社は北側に広がる水田を望む台地の端に位置しています。参道のすぐ左側に大日坂があります。
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参道入口左側に青面金剛像(享保12年、1727)。
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参道入口右側にも青面金剛像(安永9年、1780)があります。
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一の鳥居(明治41年、1908)。貫から吊られた注連縄は心棒に巻かれていて、中央に〆の子が垂れています。
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参道の左側、二の鳥居の手前に待道大権現の石祠(文政10年、1827)があります。
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二の鳥居(明治39年、1906)の手前から見た境内。
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境内全景。周りを木々に囲まれていて昼間でも薄暗くひっそりとしています。
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参道に左側の阿夫利神社の石塔(明治38年、1905)と手水鉢(文久元年、1861)。
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参道の右側にも手水舎と手水鉢(文久元年、1861)があります。その右側が大山登山記念碑。
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社殿の正面。森の中で昼間でも薄暗いため灯りが点いています。
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社殿内部の本殿。
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隣にも小さな祠があります。もしかすると、これが『取手市史』社寺編に記載の明治42年に合併されたという天満神社なのでしょうか?
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社殿の正面右側に大杉大明神の石祠(明和6年、1769)があります。