室町幕府迷宮案内

ここは、室町幕府が大好きな管理人のブログです。

就職研修屋のデタラメ造語:「コミュニケーション能力」

2010-11-12 19:04:44 | 日記

 歴史が好きだという人でも、文化史は興味がないという人も多い。
そもそも、歴史が好きだという人は、趣味で歴史の本を読んで
高校の授業でもすんなりと内容が頭に入ってくるタイプが相当数いるので、
試験対策としての歴史の勉強をしなくても、学校の試験のみならず、
模擬試験でもかなりの高得点を取れるケースも多々ある。
なので、模擬試験で文化史が大問まるごと1問出たりする経験をするまで
文化史の知識の重要性を感じないまま、過ごしている受験生もいる。
(しかも、文化史は受験生全般の平均点が悪いので、
悪影響はあまり目立たない)

 日本史の授業などで「歎異抄(たんにしょう)」という言葉を聞いたという人も多いであろう。
この本は、親鸞(しんらん)の弟子である唯円が書いた師の語録である。
親鸞は阿弥陀仏の他力本願による往生成仏を説いていた。
これが浄土真宗(一向宗)の嚆矢(こうし)となる。
開祖である親鸞の教えによれば、阿弥陀仏を信じていなくても、
どんな極悪人であっても、阿弥陀仏が等しく極楽浄土へと導いてくれるとされていた。

 しかし、室町時代後期、蓮如が親鸞の教えを忠実の伝える「歎異抄」を禁書とし、
極楽浄土へ行けるか、どうかは現世での行いによって決まるとした。
つまり、浄土真宗の教えに従わないものは地獄に落ちるということにして、
信者に一揆への参加を強制したのである。
これが織田信長との石山合戦の時まで頻発し、
時には大名さえも攻め滅ぼすことになる一向一揆の始まりである。

 就職研修屋の主張も一向一揆の理論と同じである。
根拠として掲げている「メラビアンの法則」の論文からは到底導き出せない結論を
科学的にも立証されていると言い張っているのである。
(このブログを見るのが初めてという人は最終段落の「補足」を読んで欲しい。)

 さらには、「コミュニケーション能力」などという造語までつくって、
それが内定獲得に不可欠だという荒唐無稽な主張を展開し、
商売を続けているのである。

 彼らは、内定を獲得するためには我々(就職研修屋)の指導を受ける他ない。
就職研修屋の指導を受けない者は就職の面接試験に落ち続けると主張している。
戦国時代、織田信長と戦うため、
「極楽へ行くためには一向宗(浄土真宗)の教えに従う他ない。
一向宗に従わず、一揆に参加しない者は地獄に落ちる」と主張していた一向宗の
石山本願寺の主張と、まさに同じ論理である。

 ところで、なぜ、就職研修屋は「コミュニケーション能力」などという造語を使うのであろうか。
もしも、コミュニケーション能力を職場の人とうまくやっていく能力と定義するならば、
それは「人当たりの良さ」とほとんど同じ意味である。

 それにも関わらず、就職研修屋がコミュニケーション能力という表現にこだわるのは、
顧客の就職活動がうまくいかなかった場合、「コミュニケーション能力の養成が
不十分だったから」と言い、責任を顧客に転嫁できるからである。
もしも、「人当たりの良さ」という表現を使ってしまうと、
抽象的ながら、古くから存在する日本語であるため、
広いながらもある程度、範囲が限られてしまう。
そこで、コミュニケーション能力という日本語とカタカナ英語を併用した造語を使うことによって
より概念を抽象的にして、就職研修屋の責任を無に等しくしているのである。

(補足:就職研修屋の虚実)

(1)「なぜ働くか」という問いは、「ひょうたんでどじょうを捕まえる方法を答えよ」という問いとイコールである。にもかかわらず、第一印象を良くして生活費のためだと答えたり、家族の笑顔のためだと答えたりする者が後を絶たない。就職の面接本を読んでいる時間を臨済宗の入門書の読解に充てるべきである。

 上記の見解に対して、メラビアンの法則によれば、見掛け(外見)の情報のみで全印象の93パーセントが形成されるという反論があるかも知れない。
 しかし、メラビアン博士(この人は就職業界では有名人だというのに、心理学界ではあまり有名ではない)の行った実験は「Maybe(たぶん)」という英単語1つだけを様々な表情・しぐさ(写真のみ)・声質(録音した音声のみ)で相手に伝えた時の相手に与えた印象の結果などについて調べただけにすぎない。
 しかも、心理学について書かれた分厚い辞典を調べてもメラビアンの法則という項目は存在しない。心理学の世界ではその程度の扱いの法則が就職業界を牛耳っているのである。

(2)経営コンサルタント・就職研修屋に仕事を頼む前に読んでおくべき書籍。
『非言語コミュニケーション』(聖文社、A・マレービアン、西田司他訳)を読んでもらいたい。
この本は絶版になっているので、図書館などで読んで欲しい。

 また、上の和訳の本が入手できない場合、
『反社会学講座』(筑摩書房、パオロ・マッツァリーノ、2007年)の
139ページ以降を読んでもらいたい。

 この本は、稲葉振一郎明治学院大学教授が『社会学入門』(日本放送出版協会、2009年)の
巻末付録の読書案内でも紹介している。

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デタラメ就職研修屋は大学から追放しよう!

2010-11-11 17:52:05 | 日記

 大学教員の仕事で大切なことは論文を書いて
科研費をもらってくることである。
特に、経営が傾きつつある私立大学では科研費獲得は死活問題である。

 以前、大学教員と言えば、週3日ほど登校して授業をし、
週1の会議に参加すれば、あとは適当に過ごしても良いという雰囲気であった。
もちろん、上記のように論文は書いて、学会にも出ないといけないし、
ゼミ生の指導に熱心な先生なども大勢いる。

 しかし、ここ数年で急に大学教員の雑務が多くなってきている。
高校に大学の宣伝や行くことや教育実習のあいさつ回りへ行くのような雑務なら
ともかく、いきなり大学当局から就職活動の指導をするように言われて、
『普通の就活(就職活動)なんてやったことがないし、どうしよう?』と
困っている大学教員も多いであろう。
「論文を書いて科研費を取ってこい」と言われるわ、
「就職活動の指導をしろ」と言われるわで、
大学教育崩壊の前兆だと思っている人もいるであろう。

 以前は、大学4年の10月までは採用活動はしないと
企業同士が協定を結んでいたが、もはや、その協定はほとんど機能せず、
就職活動はどんどん前倒しになり、今年などは大学3年生の6月には就職活動が
本格始動している状況である。

 これでは、大学教育に専念できる期間がわずか2年ほどしかなくなり、
とても、まともな専門教育を施せる環境ではない。
このことに危機感を感じている大学教員の方も多く
企業側への批判を口にする先生方も増えたように思える。
また、就職活動の早期化に伴って、勢いを増してきたのが就職研修屋であり、
その存在を認識している大学教員の方も多いであろう。

 このブログの読者はご存じの通り、就職研修屋の主張するような
コミュニケーション能力やメラビアンの法則はどこにも存在しない。
彼らは根拠としている論文からは到底導き出せない結論を科学的にも立証されたと
言い張り、独自の主張を展開しているのである。
(このブログを見るのが初めてという人は最終段落の補足を読んで欲しい。)

 就職研修屋は就職研修で飯を食っているというのに
自らが根拠としている論文の和訳すら、読んでいないのであろうか、
それとも知っていながら、わざとやっているのであろうか。

 就職研修業界のみならず、美容整形業界・結婚活動研修業界(婚活研修業界)でも
「顔面偏差値」・「恋愛偏差値」というデタラメ造語を使用しているところが多い。
一見して、この用語は、美容整形業界・結婚活動研修業界などが
自分たちが儲かるために使っている用語だとわかるであろう。
「コミュニケーション能力」などはまさに「恋愛偏差値」と狭義でも同じ分類の用語である。
このような研修屋がつくった造語に、未だに惹かれる者までいる。

 なぜ、就職研修屋が「コミュニケーション能力」などという造語を使うのであろうか。
もしも、コミュニケーション能力を職場の人とうまくやっていく能力と定義するならば、
それは「人当たりの良さ」とほとんど同じ意味である。

 それにも関わらず、就職研修屋がコミュニケーション能力という表現にこだわるのは、
顧客の就職活動がうまくいかなかった場合、「コミュニケーション能力の養成が
不十分だったから」と言い、責任を顧客に転嫁できるからである。
もしも、「人当たりの良さ」という表現を使ってしまうと、
抽象的ながら、古くから存在する日本語であるため、
広いながらもある程度、範囲が限られてしまう。
そこで、コミュニケーション能力という日本語とカタカナ英語を併用した造語を使うことによって
より概念を抽象的にして、就職研修屋の責任を無に等しくしているのである。

 こんな就職研修屋に高額の顧問料などを払い、就職活動支援と称している学校は
大いに反省するべきである。
就職研修屋に仕事を頼む前に、就職課は彼らが根拠としている論文の和訳だけでも
読んでもらいたい。
そうすれば、いかに彼らの主張が破綻しているかが、よくわかる。

 しかし、現状では就職課が就職研修屋へのチェック機能を果たさず
ただ漫然と就職研修屋に追従していることが非常に多い。
就職課も被害者であるが、1番の被害者はそのような就職活動指導を受けて
面接に落ち、内定をもらえない学生たちである。

 それでは就職課の代わりに就職研修屋の虚実を明らかにし
就職研修屋から学生たちを守る者はだれであろうか。
それは、大学教員である。
近年、大学教員にも何かしら就職活動指導の仕事が授業形式などで課されることが多い。
日々、思考実験を繰り返し、相手の主張の穴を見抜く能力を鍛えている大学教員であれば
就職研修屋の主張するようなことが本当に正しいか、彼らの根拠としている論文の和訳を
読む作業をするなどして、すぐにわかるであろう。
就職課が就職研修屋へのチェック機能を果たしていない以上、学生たちを守れるか、どうかは
大学教員の方々の双肩に懸かっているのである。

 最終段落の補足にも書いて本であるが、
就職活動指導の仕事を担当している大学教員の方は早急に
『非言語コミュニケーション』(聖文社、A・マレービアン、西田司他訳)を読んでもらいたい。
この本は絶版になっているので、図書館などで読んで欲しい。

 また、上の和訳の本が入手できない場合、
『反社会学講座』(筑摩書房、パオロ・マッツァリーノ、2007年)の
139ページ以降を読んでもらいたい。

 この本は、稲葉振一郎明治学院大学教授が『社会学入門』(日本放送出版協会、2009年)の
巻末付録の読書案内でも紹介している。

  教授会で、就職課が仕事を依頼している就職研修屋の主張は根拠がないと
上記の文献などで説明し、デタラメな主張をする就職研修屋には仕事を頼まないように
就職課側に働きかけることは、学校内にとどまらず、社会的に重要な仕事である。

 繰り返しになるが、就職課が就職研修屋へのチェック機能を果たしていない以上、
就職研修屋から学生を守れるか、どうかは大学教員の方々の双肩に懸かっているのである。
大学教員の方々は学生たちを守る最後の砦なのである。
ぜひとも、学生のため、社会正義のため、奮闘して欲しい。

(補足:就職研修屋の虚実)

(1)「なぜ働くか」という問いは、「ひょうたんでどじょうを捕まえる方法を答えよ」という問いとイコールである。にもかかわらず、第一印象を良くして生活費のためだと答えたり、家族の笑顔のためだと答えたりする者が後を絶たない。就職の面接本を読んでいる時間を臨済宗の入門書の読解に充てるべきである。

 上記の見解に対して、メラビアンの法則によれば、見掛け(外見)の情報のみで全印象の93パーセントが形成されるという反論があるかも知れない。
 しかし、メラビアン博士(この人は就職業界では有名人だというのに、心理学界ではあまり有名ではない)の行った実験は「Maybe(たぶん)」という英単語1つだけを様々な表情・しぐさ(写真のみ)・声質(録音した音声のみ)で相手に伝えた時の相手に与えた印象の結果などについて調べただけにすぎない。
 しかも、心理学について書かれた分厚い辞典を調べてもメラビアンの法則という項目は存在しない。心理学の世界ではその程度の扱いの法則が就職業界を牛耳っているのである。

(2)経営コンサルタント・就職研修屋に仕事を頼む前に読んでおくべき書籍。
『非言語コミュニケーション』(聖文社、A・マレービアン、西田司他訳)を読んでもらいたい。
この本は絶版になっているので、図書館などで読んで欲しい。

 また、上の和訳の本が入手できない場合、
『反社会学講座』(筑摩書房、パオロ・マッツァリーノ、2007年)の
139ページ以降を読んでもらいたい。

 この本は、稲葉振一郎明治学院大学教授が『社会学入門』(日本放送出版協会、2009年)の
巻末付録の読書案内でも紹介している。

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就職研修屋のデタラメ戦後経済史解説

2010-11-10 22:16:14 | 日記

 高校の日本史は、古代からやっていくと明治時代辺りで1年が終わってしまうという先生までいる。

大学入試では明治時代以降の近代史がよく出題されると言うにも関わらず、

学校の授業では全く触れないまま、独学や予備校で勉強するしかなかったという話もよく聞く。

古代から始めて明治時代前後で日本史の授業が終わっていると

当然、戦後史は全く授業で扱われない。

 就職研修屋の話す戦後経済史の話には要注意である。
彼らは統計の羅列を見せて、自分たちの主張の正当性を装うことが多いが、
その統計の起点によく注目してもらいたい。
「今年はマスコミで言われているほど、就職状況は悪くないことは
過去の統計を見ても明らかだ」という趣旨のことを
1992年以降の就職内定率のデーターを見せて言っても
全く説得力はない。

 1991年以前のデーターはどうしたのであろうか。
紙のスペースがなかったなどという言い訳は通用しない。
故意にバブル期及びそれ以前のデーターを隠匿しているのである。

 1980年代以前は大学が、就職活動の仲介者として大きな役割を果たしていた。
バブル期のデーターは言いがかりをつけるのが難しく、
バブルより前のデーターは就職環境の違いを解説した上で
言いがかりをつける他なく、就職研修屋としては不都合この上ない。
ゆえに、バブル崩壊後のデーターのみを載せているのである。

 さらに言うと、以前、転職希望者向けの文章で書いた通り、
その当時は「コミュニケーション能力」などという就職研修屋のデタラメ造語も存在しなかった。
現在の転職希望者には、就職研修屋(あるいは転職斡旋業者)が「コミュニケーション能力」・
「ヒューマンスキル」などという自分たちが就職した頃にはなかった言葉を聞いて
「わかりやすく、日本語で説明してくれ」という方も多い。
就職研修屋のデタラメ造語に振り回される者にはたまったものではないであろう。

 このブログの読者は周知の通り、
就職研修屋の主張するようなメラビアンの法則やコミュニケーション能力はどこにも存在しない。
それにも関わらず、彼らはそれを科学的に立証されたと言い張り、
論文の和訳すら読んでいないような主張をしている。
(このブログを読むのが初めてという人は、最終段落の補足を読んで欲しい)

 もはや、科学などではなく、疑似科学・オカルトの世界である。
20年ほど前に流行していた各種の啓蒙セミナーにかなり近い分類になろう。

 学校側も就職研修屋に仕事を頼む前に、彼らの主張することが本当に正しいのか、
彼らが根拠としている論文の和訳だけでも読んで調査すれば良いものをその手間すら惜しんで
就職研修屋に仕事を頼むから、ますます就職研修屋の思うつぼになっているのである。

 さらには、その学校内での講演の際に、就職研修屋の案内のビラを配るところまで存在する。
学生を守るべき立場にある学校側(就職課)が、学生を守るどころか、
就職研修屋に、場所・時間まで与えて、その活動に加担しているのである。

 毎回高額な講演料を就職研修屋に払うのに比べれば
和訳された論文の本代など数千円で済むにも関わらず、
それすら読まずに就職研修屋から人間を派遣してもらい、
本棚には就職研修屋の本ばかり並べている学校が多い。
就職研修屋に仕事を頼んだ方が就職課の仕事量も減って助かるなどとでも
思っているのであろうか。
この点に関して、学校側(就職課)は猛反省し、
今後、このような悪質な就職研修屋とは一切契約しないべきである。

 また、最近は大規模な会社説明会があると、帰り道、駅までの間に就職研修屋の職員が立っていて
勧誘を行っているところまで多々見掛けられるようになった。
このようなキャッチセールスを行う就職研修屋の話は、特に要注意だ。
これこそ、まさに耳を傾けてはいけない典型事例である。
「就職活動中ですか?」などと訊かれても、「違います」などと言って
早々にその場を立ち去るべきである。
冒頭で紹介した幸せの壺売りのような勧誘を行うのは
このように路上で声を掛けてきている人たちに多いのである。

 美容整形業界・結婚活動研修業界(婚活研修業界)では
「顔面偏差値」・「恋愛偏差値」という言葉を使用しているところが多い。
一見して、この用語は、美容整形業界・結婚活動研修業界などが
自分たちが儲かるために使っている用語だとわかるであろう。
「コミュニケーション能力」などはまさに「恋愛偏差値」と狭義でも同じ分類の用語である。
このような研修屋がつくった造語に、未だに惹かれる者までいる。

 なぜ、就職研修屋が「コミュニケーション能力」などという造語を使うのであろうか。
もしも、コミュニケーション能力を職場の人とうまくやっていく能力と定義するならば、
それは「人当たりの良さ」とほとんど同じ意味である。

 それにも関わらず、就職研修屋がコミュニケーション能力という表現にこだわるのは、
顧客の就職活動がうまくいかなかった場合、「コミュニケーション能力の養成が
不十分だったから」と言い、責任を顧客に転嫁できるからである。
もしも、「人当たりの良さ」という表現を使ってしまうと、
抽象的ながら、古くから存在する日本語であるため、
広いながらもある程度、範囲が限られてしまう。
そこで、コミュニケーション能力という日本語とカタカナ英語を併用した造語を使うことによって
より概念を抽象的にして、就職研修屋の責任を無に等しくしているのである。 



(補足:就職研修屋の虚実)

(1)「なぜ働くか」という問いは、「ひょうたんでどじょうを捕まえる方法を答えよ」という問いとイコールである。にもかかわらず、第一印象を良くして生活費のためだと答えたり、家族の笑顔のためだと答えたりする者が後を絶たない。就職の面接本を読んでいる時間を臨済宗の入門書の読解に充てるべきである。

 上記の見解に対して、メラビアンの法則によれば、見掛け(外見)の情報のみで全印象の93パーセントが形成されるという反論があるかも知れない。
 しかし、メラビアン博士(この人は就職業界では有名人だというのに、心理学界ではあまり有名ではない)の行った実験は「Maybe(たぶん)」という英単語1つだけを様々な表情・しぐさ(写真のみ)・声質(録音した音声のみ)で相手に伝えた時の相手に与えた印象の結果などについて調べただけにすぎない。
 しかも、心理学について書かれた分厚い辞典を調べてもメラビアンの法則という項目は存在しない。心理学の世界ではその程度の扱いの法則が就職業界を牛耳っているのである。

(2)経営コンサルタント・就職研修屋に仕事を頼む前に読んでおくべき書籍。
『非言語コミュニケーション』(聖文社、A・マレービアン、西田司他訳)を読んでもらいたい。
この本は絶版になっているので、図書館などで読んで欲しい。

 また、上の和訳の本が入手できない場合、
『反社会学講座』(筑摩書房、パオロ・マッツァリーノ、2007年)の
139ページ以降を読んでもらいたい。

 この本は、稲葉振一郎明治学院大学教授が『社会学入門』(日本放送出版協会、2009年)の
巻末付録の読書案内でも紹介している。

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幸せの壺売りとデタラメ就職研修屋の思想

2010-11-08 22:52:04 | 日記

 近年、振り込み詐欺の方ばかり知名度が上がっているが
現在でも、最も身近にあるのは、幸せの壺売りの事例であろう。

 これは占い師や啓蒙団体の幹部などを名乗る人が自宅にやって来て
「あなたはこのままでは、不幸になる。
それを回避するには、この壺(つぼ)を買うしかない。
この壺を買って幸せになるのですか?
それとも買わずに不幸になるのですか?」と契約を迫るのである。

 気付いた方もいるかも知れないが、この壺売りの言っていることは少しおかしい。

 論理的に考えると
・壺を買って、幸せになる可能性
・壺を買ったけど、不幸になる可能性
・壺を買わなかったけど、幸せになる可能性
・壺を買わなくて、不幸になる可能性
の4つの可能性が存在している。

 本来、今後の可能性として、論理的には4通りあるにも関わらず
壺売りの人は、2通りしか、示していないのである。

 同じことは就職研修屋にも言える。
「このガイダンス・指導を受けて、内定をもらうか
受けずに独学でやって、落ちるか
どちらが良いですか?」と契約を迫るのである。

 こんな就職研修屋に耳を貸してはいけない。
ガイダンス・指導を受けずに内定をもらう方を選べば良いのである。

 このブログの読者は周知の通り、
就職研修屋の主張するようなメラビアンの法則やコミュニケーション能力はどこにも存在しない。
それにも関わらず、彼らはそれを科学的に立証されたと言い張り、
論文の和訳すら読んでいないような主張をしている。
(このブログを読むのが初めてという人は、最終段落の補足を読んで欲しい)

 学校側も就職研修屋に仕事を頼む前に、彼らの主張することが本当に正しいのか、
彼らが根拠としている論文の和訳だけでも読んで調査すれば良いものをその手間すら惜しんで
就職研修屋に仕事を頼むから、ますます就職研修屋の思うつぼになっているのである。

 さらには、その学校内での講演の際に、就職研修屋の案内のビラを配るところまで存在する。
学生を守るべき立場にある学校側(就職課)が、学生を守るどころか、
就職研修屋に、場所・時間まで与えて、その活動に加担しているのである。

 毎回高額な講演料を就職研修屋に払うのに比べれば
和訳された論文の本代など数千円で済むにも関わらず、
それすら読まずに就職研修屋から人間を派遣してもらい、
本棚には就職研修屋の本ばかり並べている学校が多い。
就職研修屋に仕事を頼んだ方が就職課の仕事量も減って助かるなどとでも
思っているのであろうか。
この点に関して、学校側(就職課)は猛反省するべきである。

 また、最近は大規模な会社説明会があると、帰り道、駅までの間に就職研修屋の職員が立っていて
勧誘を行っているところまで多々見掛けられるようになった。
このようなキャッチセールスを行う就職研修屋の話は、特に要注意だ。
これこそ、まさに耳を傾けてはいけない典型事例である。
「就職活動中ですか?」などと訊かれても、「違います」などと言って
早々にその場を立ち去るべきである。
冒頭で紹介した幸せの壺売りのような勧誘を行うのは
このように路上で声を掛けてきている人たちに多いのである。

 美容整形業界・結婚活動研修業界(婚活研修業界)では
「顔面偏差値」・「恋愛偏差値」という言葉を使用しているところが多い。
一見して、この用語は、美容整形業界・結婚活動研修業界などが
自分たちが儲かるために使っている用語だとわかるであろう。
「コミュニケーション能力」などはまさに「恋愛偏差値」と狭義でも同じ分類の用語である。
このような研修屋がつくった造語に、未だに惹かれる者までいる。

 なぜ、就職研修屋が「コミュニケーション能力」などという造語を使うのであろうか。
もしも、コミュニケーション能力を職場の人とうまくやっていく能力と定義するならば、
それは「人当たりの良さ」とほとんど同じ意味である。

 それにも関わらず、就職研修屋がコミュニケーション能力という表現にこだわるのは、
顧客の就職活動がうまくいかなかった場合、「コミュニケーション能力の養成が
不十分だったから」と言い、責任を顧客に転嫁できるからである。
もしも、「人当たりの良さ」という表現を使ってしまうと、
抽象的ながら、古くから存在する日本語であるため、
広いながらもある程度、範囲が限られてしまう。
そこで、コミュニケーション能力という日本語とカタカナ英語を併用した造語を使うことによって
より概念を抽象的にして、就職研修屋の責任を無に等しくしているのである。 



(補足:就職研修屋の虚実)

(1)「なぜ働くか」という問いは、「ひょうたんでどじょうを捕まえる方法を答えよ」という問いとイコールである。にもかかわらず、第一印象を良くして生活費のためだと答えたり、家族の笑顔のためだと答えたりする者が後を絶たない。就職の面接本を読んでいる時間を臨済宗の入門書の読解に充てるべきである。

 上記の見解に対して、メラビアンの法則によれば、見掛け(外見)の情報のみで全印象の93パーセントが形成されるという反論があるかも知れない。
 しかし、メラビアン博士(この人は就職業界では有名人だというのに、心理学界ではあまり有名ではない)の行った実験は「Maybe(たぶん)」という英単語1つだけを様々な表情・しぐさ(写真のみ)・声質(録音した音声のみ)で相手に伝えた時の相手に与えた印象の結果などについて調べただけにすぎない。
 しかも、心理学について書かれた分厚い辞典を調べてもメラビアンの法則という項目は存在しない。心理学の世界ではその程度の扱いの法則が就職業界を牛耳っているのである。

(2)経営コンサルタント・就職研修屋に仕事を頼む前に読んでおくべき書籍。
『非言語コミュニケーション』(聖文社、A・マレービアン、西田司他訳)を読んでもらいたい。
この本は絶版になっているので、図書館などで読んで欲しい。

 また、上の和訳の本が入手できない場合、
『反社会学講座』(筑摩書房、パオロ・マッツァリーノ、2007年)の
139ページ以降を読んでもらいたい。

 この本は、稲葉振一郎明治学院大学教授が『社会学入門』(日本放送出版協会、2009年)の
巻末付録の読書案内でも紹介している。

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