末法人言

冥土、冥界、冥境、草葉の陰、黄泉、幽冥
 歳なのか?これらの言葉が気になっってきた。

映画館の闇・闇の中の夢幻!

2014-11-24 13:02:48 | 日々の想い

高倉健が逝った。

                   

 

その日は葬儀であった。
なぜか私が行くと云いだした。
葬祭会館である。
お布施は格安であった。
九十弱のおばあちゃんの遺影がその祭壇に飾られてあった。

いざ、お経を読み始めると、その遺影が何故か健さんに見えてきた。気がつくと、高倉健のことを色々想いながら、お経を読んでいた。
全共闘世代の「唐獅子牡丹」の伝説、「幸せの黄色いハンカチ」も面白かった。が、高倉健もこの映画で自分の想いから遠くなったこと等
ふと、お経に戻ると二の句がでてこない。慌てて、でてきた文言はお経のだいぶ前の文言である。仕様がないから、重複はするがその文言からまた読み続けた。格安のお布施なのに長い丁寧なお経になってしまった。


絶対に高倉健ファンではある。
映画俳優として、初期の高倉健はあまり語られることは少ない。つまり,初期の作品についての語りである。「人生劇場」のシリーズものの前の作品である。

むろんこの「人生劇場」は鶴田浩二が主演で、高倉健は脇役ではあるのだが。この映画は幾多の東映任侠路線製作のキッカケにもなった映画である。
それ以前の作品である。その頃の東映は、京都撮影所で製作される時代劇と東京の撮影所で製作される現代劇の二つの流れがあった。高倉健は現代劇の出身である。

高倉健を最初に知ったのは、1960年封切りの「大いなる旅路」である。この映画の主演は三国連太郎の国鉄もので、健さんはその息子の役で出演をしていた。なぜこんな映画を知っているかと云えば、舞台が盛岡であったからで、確か家族で映画館に行ったような記憶がある。小学校の5~6年の頃である。

      
つぎに記憶に残っているのは、1958年製作の「森と湖のまつり」である。この映画は武田泰淳の原作で監督は内田吐夢である。確かこの映画を見たのは、封切り後である。この映画の記憶は定かではないのが、自分の幻想か?はたまた想い違いか?映画館で見た記憶ではなく、アウトドアで見た記憶が残っているのである。町内の野外映画上映会である。その場所は人家と田んぼの境にある広場である。町内の公園と云えば公園であったのか?田植えも終わり、周りからカエルの鳴き声が聞こえていた。確か初夏の夏の夜であった。35ミリか16ミリかははきりと覚えているはずもないのだが、小学校の子供には夜空の星をバックに、黒いトックリセーターを着た高倉健の姿が大きく見えた。これらは自分の映画に対する夢幻(ゆめまぼろし)の延長なのであるとも想うのだが?

                 

次に記憶に残っているのは「暴力街」である。この映画はハッキリ覚えている。面白かった。これは1963年製作・公開された東映映画である。調べると同名の映画は3本あるのだが。この映画は後の「任侠映画」シリーズの健さん、その「任侠映画」の後の「仁義なき戦い」シリーズの菅原文太の原点にもなる映画であるとも想う。見た後映画館を出て、改めてポスターや映画館の前に張ってある、その映画の写真を隈無く見入ってしまったことは覚えている。

      

いずれ、健さんの初期の頃を辿れば色々な作品を想いだす。「宮本武蔵・巌流島の決闘」「神戸国際ギャング」「飢餓海峡」「狼と豚と人間」「ジャコ万と鉄」等々沢山ある。
やはり、任侠映画も含めそれ以前の健さんが好きであった。

ただ東映のプログラムピクチャー以降の作品でも例外的に好きな作品もある。その映画は松田優作の遺作でもある「ブラックレイン」監督はリドリー・スコットである。                  

            

この映画での、松田優作の幽気迫る演技は凄かった。マイケル・ダグラス、アンディ・ガルシア、若山富三郎、ガッツ石松、それこそ高倉健を凌いで印象に残っている。
健さんも無骨な警部補の役柄でハマっていた。マイケル・ダグラスと高倉健のラストでの殴り込みなど、任侠映画を彷彿するシチュエーションでもあった。

この「ブラックレイン」で好きなシーンがある。それはあるクラブで、客にまみれて張り込み中の,アンディ・ガルシアと高倉健の二人が、レイ・チャールズの歌を歌うシーンである。無骨な警部補が誘われてサングラスをかけ、歌いだすのであるが、健さんの若い頃のやんちゃな役を彷彿とされ、中々にノボノボとして良い一コマである。この後のシーンでアンディ・ガルシア扮する刑事が、松田優作扮するヤクザに殺されるのである。その前振りとしても中々良いシーンであった。

 




葬儀とは!寄り道編(3)

2014-11-10 22:50:50 | 日々の想い

葬儀とは!に、お寺とは!(墓!)もつけ加える。
 葬儀の流れを見ると、死→通夜→火葬→葬儀→納骨で終わる。葬儀屋が関わるのはここまである。四十九日、百ヵ日、一周忌、三周忌までになると、あまり関わってこない。無論坊主はこの一連の流れには参加している、とも思うのだが。民俗史的葬儀論、風俗史的葬儀論では、あまりというかほとんど、寺・坊主・墓は論じられてこない。(1)~(2)で述べた映画にも坊主は出てこない。ただ映画「お葬式」には、笠智衆扮する坊主がリンカーンに乗って現れる、名シーインはあるのだが、経を読むだけであまり他には絡んでこない。また映画「おくりびと」でも画面を横切るか、それの端っこに座っているかぐらいである。
これは、どうした事か?多分そこから先は面倒臭いんだろうなあ・・・・・・? なぜかと云えば、それからは「死者の行方」の問題になるからである。ある意味、それまでは「死」で済むが、墓、墓所、寺は「死の観念」の問題になってくるからである。勢い、抽象的にならざるを得ない。あの世とこの世とか?、あの世はあるのか?死後の世界はあるのか?大霊界、地獄、天国、霊魂、魂、冥土、草葉の陰、それこそ死者とか、百花繚乱色々な言葉が咲き乱れる世界(=死生観)でもある。どう整理を付けたら良いのか?これはこれで中々難しい。

またまた映画の話から「おくりびと」と云うタイトルは誰がつけたのだろうか?原作は確か青木新門著「納棺夫日記」であると思った?が映画では原作及び原作者名は出てこない。この原作に影響された本木雅弘が、この様な映画を作りたいと提案したのが、この映画制作のきっかけのようでもある。ところが出来上がったシナリオでは、映画のラスシーンは自分のイメージとは違うので、自分が書いた著書名と作者名は出してくれるな。と、制作される前の後日談として青木新門が語っている。確かに、映画「おくりびと」のラストシーンはチンプであった、と思う。映画批評家の間でも賛否両論色々物議をよんだところでもある・・・・・。

詳しくは述べない。これを話し始めれば、ますます横道にそれて行くので。

で、このタイトルはこの映画の制作側が考えたものと思われるのだが、「おくりびと」は「送る人々」か?何処へ送るのかイマイチハッキリしない。 
多分「この世」から「あの世」へ送り出すのである。死者の「あの世」への旅立ちの見送りである。ひょとしてあの世は地獄かもしれないのだが・・?。


後は残された生者の追憶か?この映画には墓が出てこない。あれだけの田舎で家族もいて、墓・墓場が出てこない。つまり納骨のシーンがない。納棺師的には終わりかもしれないのだが・・?納棺師が、密室で死に化粧を施すシーン、何か秘め事ぽく あり、そのシーンは追憶をすることだけしか考えていない、ようにも思われる。アウトドアー的な墓場など、シーンとして必要ないのか?

            
いずれ送って終わりでもないような気もするのだが。
日本の風習には彼岸・お盆がある。お盆等、地獄の釜のふたが開き亡き人が帰ってくる。そして、迎え火を焚き亡き人(死者)を迎え、そしてまた送り火を焚き死者を送る。で、墓参りもする。また、残された生者は春秋の彼岸には墓参りをし、死者と交流を深める。「送り出す」「おくりびと」と云う言葉には「迎える」「むかえるひと」と云う含蓄が含まれているとも思われる。

  
この映画の予告編には「人生はおくりびと、おくられびと」とある。やはりこれは半分である。本来は「人生はそうげいびと」である。と云わなければならないのでは?
死者の共同体が墓場である。この世から観察すれば、あの世は遥か彼方の遠い場である。遥か彼方の遠い場の、最も身近かな場が墓場である。この世とあの世の境が、墓場でもあり、ある意味国境(くにざかい)でもある。
遥か彼方の遠い場あの世と、この世の中で、遥か彼方の最も近い場が、墓場である。墓場とは、あの世とこの世を媒介する。したがって、墓場はおくるひと、むかえるひとの共通の場所でもある。いわゆる、送迎の場でもある。
「納棺夫日記」の著者である青木新門はある講演会で、納棺夫は「いのちといのちを繋ぐ仕事である」と述べている。確かに、いのちといのちを繋ぐ。そこにもう一つ、その背後での繋がりもあるのでは、つまり、個体として生きている生者同士を結ぶ絆=追憶と、その生きている生者同士を結ぶ絆=追憶は墓場・墓でもある。それぞれの地域共同体には、そそれぞれに墓場がある。個々それぞれの墓の前で、それぞれに追憶し死者と交流をする。その様な場は共同的な場(=空間)でもある。この世に在って、その様な社会的、共同的な場所は必要である。なぜなら、生者と生者だけの関係は、一歩間違えば息苦しくなり、文字通り死に至ることもある。その様な時には、あまり縁起の良くない場所とされ、あまり人の来ない墓場で、死者を媒介としていのちを考える。それがいのちといのちを繋ぐ裏の意味ではないのか?


葬儀とは!寄り道編(2)

2014-11-02 18:40:34 | 日々の想い

また、葬送儀礼の歴史等を色々調べてみるとまたまた面白い。
葬儀をする。当然それはある形式を持ち、それに則って営まれる。その様な形式は日常の暮らしの中から生み出される。日常の日々の暮らしの経験知の集積が形になったものである。簡単には習慣・風習・風俗である。無論、あまりその形式にとらわれすぎるのも良くないのだが?

また、葬送儀礼は死者を主役とした劇的空間でもある。日常の見慣れた場所・景色を劇的空間に変換する。それには色々な大道具(祭壇)、小道具(死花、団子等)、出演者、その出演者が演ずる役名としての用語がそれぞれにある。これらはそれぞれの地域共同体の中で営まれていた。人が亡くなってから、枕経、通夜、火葬(土葬)、葬列、埋葬までの形式で、その準備、それぞれの道具作り、それぞれの役割を共同体の人々が担っていた。
その様な形式も時代・社会のあり方によって変化して行く、が形式事態は残る。それは、どの様な時代・社会にあっても、その中での日常の暮らしの中に死・死の観念が潜在しているし、それが突然に露出してくると云うことでもある。

そんな中で葬祭業、葬儀屋が出来てくる。これはこれでまたまた面白い。
葬祭業(そうさいぎょう)だよ!冠婚葬祭からいているのか?面白い言い方だとも思う。葬儀屋(そうぎや)そのままズバリである。
葬儀屋であれ葬祭業であれ、葬式を取り仕切るのである。これは中々大変な事でもあったとも思われる。資料によると、特ににっぽんの中心の東京、大阪での葬列等々スケールの大きなものであったと思われる。江戸時代後期・明治・大正・昭和初期まで、そこでの葬列は大名行列に匹敵するものであったと指摘されている。人集めから、道具調達、葬列のコース等を葬儀屋が仕切っていたのである。
              
その辺の事情を現した本に「霊柩車の誕生」(井上彰一著・朝日文庫増補版)、写真集「The霊柩車」(井上彰一、町田忍共著 詳伝社出版)がある。この本も中々面白い。面白がってばかりで申しわないのだが!

その本の中に、都市の変化に伴い葬列も変化せざるを得なかった、とある。例えば、街に電車が走れば、葬列はだんだんと邪魔になる。街全体が合理化されて行く中で、簡単に素早く事が運ばれる方が良いに決まっている、それは車社会の前兆でもあり、宮型霊柩車登場の前兆でもある。
実はこの本で知ったのだが、大正から昭和に切り替わる時を背景に、葬儀屋を舞台にした映画あったのである。その映画は1965年(昭和40年)封切りの「大阪ど根性物語・どえらい奴」と云う東映映画である。原作は高橋幸延と云う人の小説「冠婚葬祭」である。



              
標記の通り、そうそうたる役者である。特に藤純子は弱冠二十歳で、藤田まこと、長門裕之等も若い頃である。後に「緋牡丹のお竜」「不良番長」などの娯楽作を多く手がけた鈴木則文の第一回作品である。しかも、共同脚本が中島貞夫である。中島貞夫の説明は省く。多分この映画は、併映用の低予算で撮ったものか?所謂、B級映画であるのか。昔の東映映画大好き人間としては、この「大阪ど根性物語・どえらい奴」が大好きである。チョト気取った嫌みな映画「おくりびと」等より数段面白いと思うのだが。
古いスタイルの葬送(いわゆる葬列)から、霊柩車(トラックを改造した宮型に近い車)を使う葬送への移行へと、葬儀屋のベンチャーを描き、しかも親方と弟子の新旧の対立と、その親方の娘と弟子の恋愛と、盛りだくさんの内容がうまく配置され、見るものを飽きさせない人情味溢れる喜劇映画である。この映画に初期の宮型霊柩車が登場する。そして、その宮型霊柩車の昨今の事情は上記の本に詳しく現されている。

 

葬式も時代社会によって流行り廃りがある。葬式の形はあるにしても、その内容というか、やり方の流行り廃りである。例えば、最近では葬儀会館の普及により、自宅での葬式はほとんど見られなくなった。通夜、葬式はほとんど会館である。それは田舎でもそうなってきている。また、宮型霊柩車もその例に漏れず、今はあまり流行ってはいない。やがては無くなるのか?いずれ街でもあまり見なくなった。葬儀も密室の秘め事に成りつつあるのか・・・・・・?

そんな中、近所の寺に止まっている宮型霊柩車があり、つい動画にしてしまった。

 

 





葬儀とは! 寄り道編(1)

2014-11-01 11:11:01 | 日々の出来事

 葬儀とは何だろう?またまた本題から話がそれる。チョット寄り道を・・・・・。
まあー多少は関係のない話ではないのだが。

葬送儀礼は人間的営みである。人間以外の生き物は、葬儀もしないし、墓も持たない。葬式は人間に固有な営みである。そこに、人間の悲喜劇が生まれる。葬式は死から始まる。ある意味突然に!・・・・・である。

もともと死は誕生と同時に、我々の日々の暮らしに潜在している。それが日々の暮らしの中に、突然死が露出してくる。むろん、日々の暮らしの中ではあまり死の事等、考えたくもないし考えようともしない。「縁起でもない」である。死とはやはり負(マイナス)なのか?これは死に対する観念なのか?いずれ、人間は死と死の観念を持つのは必然のようである。そこにはやはり色々なドラマが生まれてくる。

通夜、葬式、葬儀屋をシチュエーションとした映画が結構ある。ある落語家の死から、その通夜での出来事をドラマにした映画「寝ずの番」、またそのものズバリの題名の映画「お葬式」そしてアカデミー外国映画賞に輝いた映画「おくりびと」とやはり、けっこうある。また、有名な黒澤明監督の映画「生きる」にも確か主人公が癌で死んで、その通夜の席が重要なシチュエーションにもなっていた。
ヒューマンドラマであり、悲喜交々の人間模様のドラマであり、それぞれが面白い映画でもあった。
                 

     

                

   映画「お葬式」予告編

     

   映画「おくりびと」予告編