末法人言

冥土、冥界、冥境、草葉の陰、黄泉、幽冥
 歳なのか?これらの言葉が気になっってきた。

2015・9・19

2016-02-04 00:36:55 | 日々の出来事

久々のブログ

 

ホント書いてなかった。ブログを……!

書きたい事はいっぱいあるのだが……!整理が着かないでいる。

 

まずは、入院以降順を追って書く。

2015・9・19 安保法案可決した。

何だったの?あの騒ぎは。

さすが,国会前までは行かなかった。テレビ観戦である。

 

ところで、憲法って何だろう……?

憲法違反とか、解釈上それは問題ないとか、色々云われてはいるが「憲法とは何だろう?」と云う疑問は、引きずったままである。確かに憲法がどうのこうのは、あまり日常意識には上ってこないものでもある。また、憲法は時代や社会の雰囲気や風のようなものでもあるのか? いずれ、護憲といい改憲といい、よくわからない。多分それは私の憲法が良く解らないと云うことと関係しているのだろうが……。

 

ただ今までは、政治的党派的レベルでの憲法議論がなかったような気もする。つまり型通りではあるが国会での議論である。国会周辺での騒ぎはその辺にも由来するのか?

ただ問題は、なぜ憲法が必要なのか?法とは何か?が見えてこない騒ぎは、ただの空騒ぎで終わってしまうのではなかろうか。

 

憲法を解釈で、しかもその解釈の正さを数の多さで、それを運用して行く危険性は確かにある。

 

今回の騒ぎで戦争法という言葉が現れた。憲法9条の「戦争放棄」の文言を排除するのが戦争法に繋がって行くということなのか?いずれ,護憲と改憲の論点は憲法9条のこの「戦争放棄」という文言が重要なこととして示されてきた。

 

また、「抑止力」という文言も盛んに聞かれた。

他国よりもしくは同等な軍備力を整備する必要がある、である。それが他国に対して睨みを効かすことになり、それを背景に政治を行使する。抑止力とはそのようなことでもあるのか……?

べき

暴力・テロ・戦争とは、果たして無くなるのだろうか……? 多分無理だろう。だからといって戦争放棄は、あまりにも現実離れであり、その文言は憲法には必要がない。となるのだろうか?

 

親鸞の言葉に「さるべき業縁のもようさば  いかなるふるまいもする」とあり、それが人間存在でもある、と述べている。人間は業縁存在であるとすれば、暴力・テロ・戦争を起こす縁を出来るだけ遠うざける必要がある。我々の環境とは縁だらけでもある。


戦争を放棄するとは、戦争を起こす縁(動機)を遠ざけることでもある。それには人間が生まれ変わるしかないのか?