末法人言

冥土、冥界、冥境、草葉の陰、黄泉、幽冥
 歳なのか?これらの言葉が気になっってきた。

葬儀とは!寄り道編(2)

2014-11-02 18:40:34 | 日々の想い

また、葬送儀礼の歴史等を色々調べてみるとまたまた面白い。
葬儀をする。当然それはある形式を持ち、それに則って営まれる。その様な形式は日常の暮らしの中から生み出される。日常の日々の暮らしの経験知の集積が形になったものである。簡単には習慣・風習・風俗である。無論、あまりその形式にとらわれすぎるのも良くないのだが?

また、葬送儀礼は死者を主役とした劇的空間でもある。日常の見慣れた場所・景色を劇的空間に変換する。それには色々な大道具(祭壇)、小道具(死花、団子等)、出演者、その出演者が演ずる役名としての用語がそれぞれにある。これらはそれぞれの地域共同体の中で営まれていた。人が亡くなってから、枕経、通夜、火葬(土葬)、葬列、埋葬までの形式で、その準備、それぞれの道具作り、それぞれの役割を共同体の人々が担っていた。
その様な形式も時代・社会のあり方によって変化して行く、が形式事態は残る。それは、どの様な時代・社会にあっても、その中での日常の暮らしの中に死・死の観念が潜在しているし、それが突然に露出してくると云うことでもある。

そんな中で葬祭業、葬儀屋が出来てくる。これはこれでまたまた面白い。
葬祭業(そうさいぎょう)だよ!冠婚葬祭からいているのか?面白い言い方だとも思う。葬儀屋(そうぎや)そのままズバリである。
葬儀屋であれ葬祭業であれ、葬式を取り仕切るのである。これは中々大変な事でもあったとも思われる。資料によると、特ににっぽんの中心の東京、大阪での葬列等々スケールの大きなものであったと思われる。江戸時代後期・明治・大正・昭和初期まで、そこでの葬列は大名行列に匹敵するものであったと指摘されている。人集めから、道具調達、葬列のコース等を葬儀屋が仕切っていたのである。
              
その辺の事情を現した本に「霊柩車の誕生」(井上彰一著・朝日文庫増補版)、写真集「The霊柩車」(井上彰一、町田忍共著 詳伝社出版)がある。この本も中々面白い。面白がってばかりで申しわないのだが!

その本の中に、都市の変化に伴い葬列も変化せざるを得なかった、とある。例えば、街に電車が走れば、葬列はだんだんと邪魔になる。街全体が合理化されて行く中で、簡単に素早く事が運ばれる方が良いに決まっている、それは車社会の前兆でもあり、宮型霊柩車登場の前兆でもある。
実はこの本で知ったのだが、大正から昭和に切り替わる時を背景に、葬儀屋を舞台にした映画あったのである。その映画は1965年(昭和40年)封切りの「大阪ど根性物語・どえらい奴」と云う東映映画である。原作は高橋幸延と云う人の小説「冠婚葬祭」である。



              
標記の通り、そうそうたる役者である。特に藤純子は弱冠二十歳で、藤田まこと、長門裕之等も若い頃である。後に「緋牡丹のお竜」「不良番長」などの娯楽作を多く手がけた鈴木則文の第一回作品である。しかも、共同脚本が中島貞夫である。中島貞夫の説明は省く。多分この映画は、併映用の低予算で撮ったものか?所謂、B級映画であるのか。昔の東映映画大好き人間としては、この「大阪ど根性物語・どえらい奴」が大好きである。チョト気取った嫌みな映画「おくりびと」等より数段面白いと思うのだが。
古いスタイルの葬送(いわゆる葬列)から、霊柩車(トラックを改造した宮型に近い車)を使う葬送への移行へと、葬儀屋のベンチャーを描き、しかも親方と弟子の新旧の対立と、その親方の娘と弟子の恋愛と、盛りだくさんの内容がうまく配置され、見るものを飽きさせない人情味溢れる喜劇映画である。この映画に初期の宮型霊柩車が登場する。そして、その宮型霊柩車の昨今の事情は上記の本に詳しく現されている。

 

葬式も時代社会によって流行り廃りがある。葬式の形はあるにしても、その内容というか、やり方の流行り廃りである。例えば、最近では葬儀会館の普及により、自宅での葬式はほとんど見られなくなった。通夜、葬式はほとんど会館である。それは田舎でもそうなってきている。また、宮型霊柩車もその例に漏れず、今はあまり流行ってはいない。やがては無くなるのか?いずれ街でもあまり見なくなった。葬儀も密室の秘め事に成りつつあるのか・・・・・・?

そんな中、近所の寺に止まっている宮型霊柩車があり、つい動画にしてしまった。

 

 





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