伊勢神宮の正式名称は『神宮』
『神宮』と呼んで通るのは、伊勢の神宮のみ。
神の中の神、日本の神社界の中心。
内宮(ないくう)の正式名称は皇大神宮(こうたいじんぐう)
御祭神は、天照坐皇大御神(あまてらすしますすめおおみかみ)
天を照らす太陽の神が、神々を統べる立場として神宮にとどまっている。
皇室の御祖神。
全国約8万の神社の頂点にある日本人の総氏神。
私は3度目の参拝となりますが、何か抜け落ちたように神宮の記憶がございません。
(二見の夫婦岩や鳥羽のことは覚えているのですが。)
今回、あまりに突然に決めた旅だったので、簡単にしか調べず・・・
ただ参拝順序は外宮から内宮へということで「外宮」へと向いました。
ラッキーなことに、ガイドボランティアさんがいらしたのでお願いしました。
神宮の宮域は、伊勢市の四分の一を占めるそうです。
外宮の御神祭は豊受大御神(とようけのおおかみ)
天照御大神に食事をお供えする御饌都神(みけつがみ)として、千五百年ほど前に丹波の国から伊勢の地に招かれ、山田原に御鎮座されたそうです。
千五百年続く、日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)
毎日朝夕の食事を神様にお供えするお祭り
神饌、神様へのお供えもの、神宮では海産物以外はほとんど自給自足だそうです。
お米は神宮神田、野菜と果物は神宮御園、御塩は御塩浜という田塩で、古式のままに海水を煮詰め、焼固めた堅塩が作られているそうです。
神饌を盛る土器も、高天原から土を移したという明和町の土器製作所で作られたものが調進されているそうです。
弥生時代からの火きり具(檜と山枇杷をすりあわせた摩擦熱によって)でおこした火で調理されているそうです。
忌火屋殿 板校倉造り 屋根の屋根?隙間のところが煙突で煙が立ちのぼるそうです。
御水は宮域内の上御井神社の井戸(高天原の種水をいただいたという伝説の井戸)から毎日汲まれるそうです。
上御井戸神社の一般参拝はできないので、下御井戸神社の井戸を観てきました。
お祭りに奉仕する神職は五人。
沐浴をして身を清めてから調理にとりかかり、作られた神饌は御饌殿に運ばれ、内宮、外宮、別宮の御祭神にお供えする神事が行われます。
祝詞を奏上し、皇室の御安泰、国民の幸福がお祈りされている。
これが日別朝夕大御饌祭だそうです。
参拝者はいつ訪れてもお祭りの日に参拝していることになるそうです。
外宮の神は、天照大御神のお食事を整える役目の神、衣食住の神、すべてを生み出す豊饒の大地の神。
日々、食にあづかり、命を養えていることへの感謝をこめて参拝すればいいとのことです。
できれば、ご利益とかパワースポット的ではなく神宮に参っていたたぎたいと、ガイドさんは話されました。
神宮は私幣禁断といって個人的な捧げものや祈願を禁じていた。
なので賽銭箱、鈴、おみくじはありません。
九十八段の石段を昇り
別宮 多賀宮
豊受大御神の荒魂を祀られています。
荒御魂は行動的な神格を表し、おだやかな側面の和御魂に対比しています。
現実的な後押しをしてくださる力強い神様と崇められているので個人的なことをお願いしてもよいとのこと。
(ぃゃ、個人的なお願いはございません。)
こちらには鳥居がありません。
別宮 風宮
風宮は風の神 農業に関わりが深く風雨の順調を司る神様
鎌倉時代の蒙古来襲の際、二度にわたって神風を吹かせて国難を救ったのが、この風宮と内宮の風日祈宮と伝わっています。
その功績により、末社から別宮に昇格したそうです。
また、昭和34年伊勢湾台風では、風宮のみ大木が倒れて屋根が折れたとのこと、自ら被害を受けて神宮を守られたのではと語られたそうです。
別宮 土宮
外宮一帯の土地の守り神
清盛楠
八百年前、平清盛が天皇のお遣いとして国家平安の祈願のために参拝した時、冠にこの楠の枝がさわったので、枝を切らせた。
伊勢湾台風で中央部が割れたそうです。
ガイドさんのお陰で、伊勢参りが庶民の憧れのお参りであった。ということが良くわかりました。
式年遷宮のこと、唯一神明造りのこと、火除橋のこと、鳥居のこと、手水の作法から、丁寧に説明して下さり
又、私達の変な質問にもわかりやすく答えてもらいました。
40分のところ、倍の時間をとってしまいました。
感謝です。
記念にいただきました。
この後、内宮と二見の夫婦岩に行き宇治山田より近鉄に乗りたいと話すと
一日券がお得とのことでバスチケットを購入しました。
つづく