かなり宮崎駿監督の映画ですが、今回はポニョと違い10年近い構想の作品だったのことでかなり楽しめました。
色々と評価が分かれていますが、個人的に物凄くこの作品で変わった所があって、それは「起承転結を捨ててイメージで映画を作る事」であって、ハウルとポニョで惨敗してた観客に作風を伝える部分がしっかり作られていた所です(この部分はまだあまり評価文にしてる人はいませんね)
千尋から始まって随分と宮崎監督はファンタジー中心でやっていきましたが、「風立ちぬ」は監督の中のSF的な部分すらファンタジーに取り込もうという懸念が感じられ、例えばゲームのジャンルのアドベンチャーはアクションアドベンチャーとRPGアドベンチャーに融合して生き残ってるのですが、古典的になってるSFもファンタジーと融合して進化するんじゃないかと思うとこの風立ちぬはその新時代の第一作と考えてもいいのかもしれません。
前半は堀越二郎のドキュメントですが、後半はラブロマンス一色に染まってるのでストーリー自体すら仕組みがないと考えていいでしょう。
寧ろストーリーの部分はカプローニと夢で会う部分が本来の物語の語りの部分を持っていいと言ってもよく、漫画的な都合のいい世界は夢に全て押し込み、現実ではただひたすらドキュメントとして現実を追っているというのが映画としてのリアリティを作ってると言えます。
もう一つの視点では監督自身のメカと美少女の決着が描かれていて、ナウシカや紅の豚から引っ張ってきた生命と戦争の各テーマがここで決着がついてしまったように見えてしまったのは自分が特に気に入ってる点です。
カプローニのシーンは紅の豚でのあの飛行機天国の種明かしのように描かれていて、つまり自意識に関わった人間を何らかのビジュアルで表現されてるのがあの飛行機だったんだと凄く分かりやすく描かれていました。
例えば刻の大地もMADLAXも随分魅入られてた人が多かったのですが、今では役目を終えた飛行機のように活動を終えてて、凄く何だったんだろうなと考えてた所なのでイメージとしてあの飛行機郡を見てそういうもんだと少し思ったりもします。
菜穂子の描写に関しては宮崎駿監督は女の子を主人公にしないとえらく古典的なヒロインになってしまうんだなという印象もしますが、個人的にクラリスの完成形が菜穂子なんだなと思って、これはいわゆる漫画オタクの「理想的な彼女」の妄想の綺麗な答えの行き着く先の一つだと感じたりしました。本当の理想は極端に言えばナウシカなんでしょうが、妻になって旦那を支える昔からの普遍性と融合させたかったんじゃないかと思います。
庵野監督の起用については「作らてない声」では無くて「ゆっくりした声」として映画の要素に入ってるように感じますね。構成自体駆け足なので、キャラの喋りも早く感じる中主人公だけがゆっくりと着実に歩みを感じさせていたのでその点はいいなぁと思いました。中々アフレコの中庵野監督も上手くなっているので、堀越二郎の声を監督がやってるのを忘れられますし、それなりに意味はあったんじゃないかと思います。
見てて残念なのは不思議とヱヴァQもそうだったんですけど、アニメーションの終わり自体を映画自体で表現してて、生きること自体を意識してる割には随分と終末的な匂いが映画に出てしまってて、待ちかねていたものは映画に込められていたのですが、新しいものを感じさせてくれなかったのは引っかかったりします。終わりを意識するというは一つの解決方法なのですが、意識する事自体が終わりという問題はクリエイターとして寂しいものがあるのでどうにかこの多重問題を打破する作品を誰かが作って欲しいですね。
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