『常林寺
光明山摂取院常林寺と号する浄土宗の寺院である。
天正元年(一五七三)、念仏専修僧 魯道上人によって開創され、当時は寺町荒神口に建てられていた。創建時より知恩院とのゆかりが深く、本末制度が確立したときには、総本山知恩院の役番としての地位を占めていた。
しかし、寛文十一年(一六七一)には、寺町の大火により類焼し、堂宇を悉く焼失した。その後現在の地に移転し、元禄十一年(一六九八)、英誉上人によって本堂が再建された。幕末の頃当寺は、勝海舟が京の常宿として利用し、勝海舟を訪ね来寺した中岡慎太郎と坂本龍馬は本堂に宿泊したとされる。
本堂には本尊の阿弥陀三尊像や、岸竹堂作の釈迦三尊画が安置され、地蔵堂には若狭街道を往来する人々の信仰を集めた世継子育地蔵尊が祀られている。
また、当寺は、通称「萩の寺」の名で親しまれており、初秋には、紅白の萩の花が、境内一面に咲き乱れる。
京都市』 (駒札より)
常林寺は京阪電鉄本線及び、叡山電鉄出町柳駅のすぐ南側に位置する。戦国時代の創建であり当初は荒神口の方に創建されたが、火災焼失後は現在地に移転し再建された。歴史的な経緯は上記駒札の内容の通り。
このお寺は別名「萩の寺」とも呼ばれ、場所柄便利なところでもあって非常に有名だ。9月になると境内の萩の花が咲き始める。もちろんその萩の花を目的に訪れた。すでに山門前には大勢の人達が、大きなカメラを持って撮影している。境内に入ると撮影の邪魔になるのか、みなさん山門のところでなかなか動こうとしない。周りを見ると女性が圧倒的に多い。そうこうしているうちに何人かの女性が境内の中に入って行った。
境内は萩の木で密林状態となっており、そこに赤や白の花がびっしりと咲いている。本堂などへ通じる道が見えないほどだ。山門からの撮影を終えて境内へ入っていく。どの場面を撮っても絵になるほど、なかなか見事な密度の高い萩の集団といった感じだ。逆に言えば密集した萩の花を撮影していると、どの場所で撮影しても同じような写真にしかならない。というわけで青空を入れてみたり、建物の一部を背景に入れてみたり、様々な工夫をしながら変化のある構図になるように考えながら撮影していく。もちろん萩の集団を漫然と撮るだけではなく、クローズアップして元々小さな萩の花を大きく撮ってみる。マクロレンズではないので、その辺りは限界があるが、一通り通路に従ってぐるっと回ってみた。
途中で同じように萩の密林に入り込んでいる人と、突然顔を合わせたり、あるいはまたお互いに撮影の邪魔にならないように、しばらく待機したりなどと、一定の配慮をしながら撮影を終えた。
やはりこれだけの萩の密集というのはあまりない。そういった意味ではなかなか貴重なお寺だと言うことができる。「萩の寺」を自称するのもある意味当然だと言える。その代わり本堂などの建物をきちんと撮ることはできない。それらは萩のシーズンオフでないと撮影できないということになる。しかしこれだけ撮影できると満足感というのはとても高いものだ。
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