モノは見方を変えると、違う捉え方ができます。
重要文化財の修復現場に立ち会いました。
丁寧に仕事され裏打ち紙をはがされた絵が、そこに在りました。
作品の裏側を見るに400年間の足跡がしっかりと刻まれており、裏にまで滲んだ絵の具は、この絵が時代を超えてきたことを表すとともに、激しい劣化の記しでもある。
今回修復し、また裏打ちするので、この原画の裏側を見る人は、次の修復の時までは誰もいません。
おそらく、ぼくの生きている間は、二度と見ることはないでしょう。
素晴らしい美の裏側から見える世界に思いを馳せました…
そして、ほんのわずかだが、文様と色が残っている部分もありました。
唐紙だ…
このことから、いろんな空想がひろがります。
こういう文化財の修復は、本当に根気と丁寧さが必要な仕事だと改めて思うと同時に、とても想像力豊かでないと、仮説も組み立てられない。
物証をもとに、細やかな検証と、ものすごい想像力とがモノを言う。
頭がやわらかやないと、あかんなと思いました。
龍馬伝も、ついに、黒船がやってきましたね。
龍馬が、世界の広さを知るときです。
龍馬役の福山雅治さんがラジオで面白い話をしていました。
新しいものに出会ったときに、どうとらえるかという話です。
自分の既に知ったことやものに置き換えてしまうようなおじさんみたいな人にはなりたくない、と。
例えば、AKB48を見た時に、おにゃんこクラブみたいなもんやろ…とかモーニング娘みたいなもんやろ…と、
自分の知ったものに置き換えて解釈するという人たちです。
新しい出来事やモノに対して
これは、昔、わし(ぼく、俺、私)がやったことや…
これは、わし(ぼく、俺、私)は前から知っているわ…
などなど、言う大人の人たち、確かにいます。
思考も違えば、過程も違うし、当然、成果も違う。
同じではない。
頭やわらかに…新鮮な素直なこころで、モノゴトと向き合える自分でいたいですね。
1月24日
トト