KIRA KARACHO/唐長の奏でる唐紙の音

唐紙屋「唐長」唐紙師トトアキヒコが奏でる光りと音…「唐長美術館」への軌跡

魔法のお茶 目覚めの一服

2010-01-30 07:01:44 | 思い


毎朝、愛子が点ててくれたお抹茶を呑む。


この習慣を、ぼくはとても気に入っている。
気分の良い日も、時に昨日から喧嘩していてそうではない日にも、黙ってさしだされる。
お抹茶を呑んで、おいしい、点ててくれてありがとう。
そう思いゴクリと呑むことにより、毎朝なんだか気分が晴れたりもするし、今日も一日良い日になりそうだとささやかに希望が抱けたり…
魔法のお茶だ。


ありがとう

という感謝の気持ちを抱いてから朝がはじまるというのは、とても良いことだと思うのだ。






1月30日
トト

唐紙は、芸術であり、また用の美である

2010-01-28 23:53:23 | 散歩や美術鑑賞など


記憶すら
おぼろげながらも
匂いたつ
気配は残る
黄金の雨




雨が降ると思い出す。
昨年の暮れに出会った人。
なんだかわからないけど、また、会う気がする。

唐紙は五感に響きわたり、第六感をつれてくる。
ぼくの感覚を研ぎすましてくれる何かがある。

唐紙は、芸術であり、また用の美である。

ぼくは、その唐紙の空気に触れるやもしれぬ今生きる人とこの先々の世界中の人たちのためにつくりたいと願い…
また、その唐紙を愛でてつかってくださる、たった一人の人にためにつくりたい。


この星を巡りめく水が、降り注ぐ雨…

雨が降ると、そんなこと、
思います。






1月28日
トト

トトの知の泉

2010-01-26 23:54:57 | 読書


1000冊ほど運んだだろうか。

今日は、本の整理。
お気に入りの本棚をひとつだけ、用意した。
この中に入る本の数は限られているから、新しく本が増えるたびに、取捨択一し、並び替えをしなくてはいけない。

新しい本が増えること…
ぼくにとっては、この上なき幸せです。


本棚を見れば、その人の性格や考えがわかると言いますよね。
ここには、トトアキヒコの知の泉があります。

そしてこれらの本のイノチが、ぼくの中に流れ通じて、思想となり、トトの手仕事の唐紙は生まれます。

COCON KARASUMA 唐長四条烏丸店のリニューアル際して、新作発表したいと思っています。






1月26日
トト

文化財の裏側から考える

2010-01-24 23:59:29 | 散歩や美術鑑賞など


モノは見方を変えると、違う捉え方ができます。


重要文化財の修復現場に立ち会いました。
丁寧に仕事され裏打ち紙をはがされた絵が、そこに在りました。
作品の裏側を見るに400年間の足跡がしっかりと刻まれており、裏にまで滲んだ絵の具は、この絵が時代を超えてきたことを表すとともに、激しい劣化の記しでもある。

今回修復し、また裏打ちするので、この原画の裏側を見る人は、次の修復の時までは誰もいません。
おそらく、ぼくの生きている間は、二度と見ることはないでしょう。

素晴らしい美の裏側から見える世界に思いを馳せました…
そして、ほんのわずかだが、文様と色が残っている部分もありました。
唐紙だ…
このことから、いろんな空想がひろがります。
こういう文化財の修復は、本当に根気と丁寧さが必要な仕事だと改めて思うと同時に、とても想像力豊かでないと、仮説も組み立てられない。
物証をもとに、細やかな検証と、ものすごい想像力とがモノを言う。
頭がやわらかやないと、あかんなと思いました。



龍馬伝も、ついに、黒船がやってきましたね。
龍馬が、世界の広さを知るときです。
龍馬役の福山雅治さんがラジオで面白い話をしていました。

新しいものに出会ったときに、どうとらえるかという話です。
自分の既に知ったことやものに置き換えてしまうようなおじさんみたいな人にはなりたくない、と。
例えば、AKB48を見た時に、おにゃんこクラブみたいなもんやろ…とかモーニング娘みたいなもんやろ…と、
自分の知ったものに置き換えて解釈するという人たちです。

新しい出来事やモノに対して

これは、昔、わし(ぼく、俺、私)がやったことや…
これは、わし(ぼく、俺、私)は前から知っているわ…

などなど、言う大人の人たち、確かにいます。

思考も違えば、過程も違うし、当然、成果も違う。
同じではない。

頭やわらかに…新鮮な素直なこころで、モノゴトと向き合える自分でいたいですね。






1月24日
トト

唐紙と宗達

2010-01-21 05:48:27 | 思い


昨年の暮れに夢をみた。


そのことについて、先日、養源院のご住職と話をした。
正月には、ある方から宗達と光琳に関するメールをいただく。

いろんなことが、あることに繋がってゆく…

世界に通じるとても壮大なことなので、今はまだ…
ここ数年内でいずれ、話す機会がきたときに、記したいと思う。
ぼくが昨年、養源院におさめた龍と宗達の唐獅子を見ない日はない。


時節感当


その夢に挑む機会を手にするその時まで、ぐっとチカラを蓄え、こころを磨いておきます。



このお寺を訪れるたびに鎮座する場がある。
正面八方にらみの唐獅子図の他に、空から舞い降りる唐獅子と天空へ駆け上る唐獅子図がある。

養源院の宗達の唐獅子たちは、400年前の空気と現世のぼくを結ぶ磁力に満ちている。






1月21日
トト

何か新しいことがおこっている

2010-01-17 23:56:48 | 思い


ぐるぐると…
何か新しいことがおこっているのです。

変化しつづける中での価値のクリエイションとでもいうのでしょうか。
ぼくは、そういう中で、唐紙の持つ美しさ、文様と色の美しさを感じてもらいたいのだ。



ココン烏丸の唐長四条店にリニューアルプランをずっと考えている。
ぐるぐると。
これは、いつも頭のどこかにあることです。

どうすれば、より良くなるのか。

1年と少し前から比べても、唐長四条店にあるアイテムの数は半数以下に減っている。
と、いうか減らしました。

昔来たお客さんが来はったら、まず、そのことに驚かれます。
微調整は普段からしていますが、
今また大きく変えようとしています。
何年も前に愛子と話していたことだけど、今ようやくその時期を迎えたということだろうか。
きっとまた驚くだろうな…
この1月、2月の間でその変化が伝えられると思います。

店は、単にモノを売る場ではなく、思想を伝える場だと思っている。
唐紙とはなんぞや?
唐長とはなんぞや?
変わりゆく時代のなかで生き抜いてきた唐長の世界を今のカタチにして表現し伝える場であり、いつ来ても世界を魅了してきた変わらない文様と色の世界の普遍美がそこにはあり、また、いつ来ても新しいことがおこっている…何かしらクリエイションを感じる感度の高い場でありたいと思うし、また、いつ来ても幸せを感じてもらえる場でありたい。


そして、唐長の唐紙に共鳴するチカラを大きなチカラに変えたいと思うのだ。






1月17日
トト

言の葉と唐紙

2010-01-12 07:55:46 | 思い


キラキラと言の葉が輝く、朝。

今年の夏に開催される大きな式典の仕事をやっている。
それにまつわる言葉と唐紙にまつわる仕事を昨年からしているのだが、今朝も早くからその仕事にとりかかっていた。
ひとつひとつの言葉は、まるで、ぼくに語りかけてくるようであり、身に沁み入ることばの数々に心洗われる朝であった。

このことばをぼくが知ることに、どれだけの意味があり、価値があることか。
ぼくが、なぜ、この方々からの大切な記念すべき仕事をまかされたのかの意味が、わかった。




ぼく自身、ことばを大切にする仕事をしている。
ことばには言霊が宿る。
それをこれまで唐紙にも宿し、いろいろな人と繋がってきた。

そして、唐紙は、そもそも平安時代文字を書くための料紙がはじまりでした。
今年は、ことばと唐紙をテーマにした展覧会を開いてゆこうと思う。

まず、2月に名刹養源院でJR東海の企画で、トトアキヒコの講演を行います。
ここは、昨年ぼくが仕事させていただいた丸龍の唐紙があり、平成の時代と江戸時代の唐紙がともに見ることができる貴重な場です。今回、講演の依頼があった時、迷わずこの場を選びました。
唐紙のお話しをしたあと、歌人とともに参加者と短歌を詠みます。歌をしたためるのは、もちろん、唐紙です。

3月には、唐紙と歌をテーマにした展覧会を行います。
後日、記しますが、11代目当主のつくる唐紙にある方が歌を詠み記す、とても見応えのある展覧会です。

そして、3月以降に、新しくなった唐長サルヤマサロンにて、
「ことのは と からかみ」展
開催いたします。






1月12日
トト

唐紙とヤコブセン

2010-01-09 23:57:50 | 思い


曲がっているからこそ全うでき、屈まっているからこそ真っすぐになれ、窪んでいるからこそ満ちることができ、破れているからこそ満ちることができ、破れているからこそ新しくでき、少なければこそ得られ、多ければこそ迷うもの。



モノはよくよく見なければ見えてきません。
じっと見ていると、そのモノのカタチから本質が語りだし、見えてきます。
穴のあくほど見る。
と、いう感覚は何事においても大事です。
まずは、見る。
幼子が、よくじっーと、人やモノを見ています、それこそ、本当に突き抜けるほど…じっーと…観察して、なにかを読み取ろうとしますよね。
大人になればなるほど、わかった気がして見過ごすことが多いのです。
なんにもわかっていないくせに。
ちゃんと、本質を見なければ宝は得られません。



唐紙と北欧家具のある暮らしをコーディネートしました。

葵唐草のキラ地に白の上質な無地感覚の唐紙に、ぼくは今回、ヤコブセンの絶妙なる白い曲線をあわせてみました。
セブンチェアは、1955年にアリンコチェアのバリエーションとして発表されたデンマークのアルネ・ヤコブセンの代表作であり、世界中に愛される本物のロングセラーです。

人々に長く愛されるものには、本物の持つ良さがあります。
ほのかに残る木目と流れるようなこの木の描く線は、ほおずりしたくなるほどの魅力があります、それでいてやわらかい座り心地には、木のぬくもりややわらぎを機能性とともに追求した優れたデザインだと思います、この場合、ぼくが考える機能性というのは、人にやさしいということです。
この唐紙と椅子を眺めていると、良いものどうしは響き合って、いい音を奏でるなぁと思います。
いつか、近い将来、ヤコブセンのTHE LILYチェアに座ろうと思うのでした。

今回、愛子とともにコーディネートしたこの空間の数百枚におよぶ唐紙は、ぼくが手がけました。

ぼくたちが、考えてきた「唐紙のある暮らし」
これから目指す道が垣間見ることができる、とてもエキゾチックな、
そして、美しい空間に仕上がりました。






1月9日
トト

美しい光の文化 唐紙を世界へ

2010-01-06 02:14:32 | 美術館への道



手のひらに
とけゆく白き
六つ花に
今この時を
握りしめる




むかし…誓ったことがあります。
見つけた六角形の結晶は、世にも美しい光を放っていました。
ぼくにとって純粋さの象徴といえるそのカタチと光を同じように見た人がいました。
あれから、ぼくの全ては変わりました。

先日、雪が降りました。
雪の夜空に、手のひらをさしだしました。
儚くとけゆく雪に…
その人との誓いを思い出し、今のこの時間がどれだけ愛おしいものかと心のそこから思うのでした。



この写真の唐紙は、昨年、歴史的な出来事となった、ぼくたち夫婦の唐紙が美術館のオーナーコレクションに加えられたきっかけをつくったと言えるぼくが精魂こめた仕事による唐紙です。
「これを手がけた人と会いたい」と、
オーナーさんが言ってくださったことにより、世界は動き、ぼくたちとひきあわせてくれたのです。

静かなる音の響き…儚さ…キラの陰影…白い世界…青い鳥…余白…そして青い六角形の結晶


自分にとって美しいということがどういうことか問いつめたものがここにあり、己が費やしてきた数十年の人生の時間と感性が唐紙に宿ったものではありますが、そこには人為や作為などという次元のものではなく、神さまと自然体に向き合えたからこその透明感が表れたのだと思うのです。

きよらかな人ね。

ひと言、評したその方のことばが何よりの馳走でした。


この唐紙が、ぼくを違う舞台へとあげてくれました。
今年は、魂を磨き、さらなる高みを目指したい。
そうすることにより、より多くの人々へ美しい光の文化である唐紙の光を届けたいと思う。






1月5日
トト