つないだ手 2010-12-31 23:55:15 | 散歩や美術鑑賞など 愛子と二人、しばし、雪道を歩いた。 二人で道を歩くなんてことは、近頃ほんとになくなった。 静まる街に 音無く降る雪 こんな夜は 街の人工的な灯りや信号はいらない 行き交う車もなく すれちがう人もいない 今年を振りかえっていろいろ考えながら歩こうと思ったけど 結局、なんにも考えなかった ただ、つないだ手が温かかった 道をともに歩む人がいる この上なき幸せなことである 12月31日 トト
星は願いをひきよせる 2010-12-29 23:59:58 | 思い 唐紙の煌めきには、生々しさがなんにもありません。 子供たちの目の輝きにように純粋な輝きが唐紙にはあると思います。 今年も、あと2日、もうひと仕事。 明日も朝から絵の具つくります。 年末間際に、またまた星が巡ってきてます。 来年、祈りの場で作品の打診があったり… 公共建築におさめる話があったり… マンションのエントランスに5メートルにおよぶ新作も決まってます、全く新しい趣向で手がける挑戦的な唐紙になります。 つい先日は、ぼくたちがとてもとても大事にしている神社に唐紙作品の奉納の話が決まりました。 それから、行きたいなぁと思った国の方とお友達になったり。 星は、ぼくのいろんな願いをひきよせてくれる。 12月29日 トト
道に咲く花 2010-12-21 03:05:17 | 散歩や美術鑑賞など うわぁ、きれいやなぁ…と指差し空を見上げる。 ぼくの声を聞いた道行く女子高生3人が空を見上げた。 愛子が「トト、今、ものすごくいいことしたな、あの娘たち空を見上げたで」と微笑んだ。 こういう日常のささやかな幸せが何よりの幸せであり、そういう気持ちをひとつひとつ毎日大切にあたためていると、美しい唐紙に表れてくるんだとぼくは思うのです。 京都駅 数千人?数万人?道行く人に微笑む唐紙がそこにはある。 ほんの一握りの人が気付くのだけど、気付いた人はそれだけで幸せである。 道に咲く花は気付けば誰だって美しいと思うのだが そこに花が咲いていることに気付かない 12月20日 トト
唐長のフィロソフィー 2010-12-16 01:11:30 | 美術館への道 今日は、空が一段と高く感じる。 今宵は、自分で自分を褒めてあげたい、と言った人の気持ちがわかる。 これは人知れず苦しみと戦いぬいた人だけが言えるものじゃないかな… 2010年12月15日 唐長トトアキヒコ、養源院の江戸期の唐紙修復を手がけ、おさめる。 裏面は、俵屋宗達の国の重要文化財「松図」。 ここでもまた、宗達である。 前回奉納させていただいた「星に願いを」は、合い並ぶ場であったが、今回は、俵屋宗達と表裏一体となって今後も伝え続けられる。 数年かけて流れをつくり、己自身を劇的に変化させて、機会をつくり、そして、掴み、行動し、成し遂げた日である。 最初からこれは無理だとか、こんなもんだろうみたいな考えをするぼくならば、こうはならなかっただろう、自分で自分の可能性を制限することも、ましてや、人さまに制限されたり、否定されたり、他人の物差しではかられることが大嫌いなぼくは小さい頃から、いろんなこととずっと戦ってきたように思う。 ぼくは神さまやご先祖さんたちの存在もチカラも信じているが、浅はかな他力本願ではない。 ましてや、心ない人間や努力せず甘んじているような人間には、チカラを貸す訳がないのだから。 自力を極め続ける人間にのみ、天の他力がはたらき、仕事が成し遂げられると、ぼくは思う。 世間を騒がしている問題でも、人間国宝発言をめぐり、歌舞伎役者の名前は自分のものではない。ご先祖さまから受け継いでいるもの。死んだらすぐに、継がれるものでもない。役者は芸にしっかり精進するだけだ、といさめた方がいらっしゃる。 唐長の仕事もそうであるべきと、受けとめている。 先祖が守り伝えたからこそ、ぼくたちが仕事できるわけで、11代目夫妻もそういう思いでやってきたからこそ廃業さながらの苛酷な時代をなんとか切り抜けてこれたのだろう。この40年当主たちが支えてくれた唐長の名の下、ぼくたちは仕事しているのが現実であり、この先バトンを受け継いで、また次世代の唐長にバトンを渡す役目を、ぼくも愛子も現実的に担っているのだ。 それは、単に唐長の名を継ぎ、継承してゆくということではない。 名ではなく、技術だけではなく、精神性の継承こそが、一番大切なことであり、肝心のそこがないと続かないのは明らかである。 この唐紙を修復する前に、テレビの取材があり、当主とぼくと唐紙の前で二人きりのインタビューの際、当主が言ってくれたぼくへの言葉があるのだが、今日おさまった唐紙を見てしみじみと思い起こされ感極まる。 今日、おさめた仕事は唐長として今後100年、200年と伝えられる仕事であり、生涯、ぼくのプロフィールとしても両肩についてまわる。 この唐紙とともに唐長の精神性、フィロソフィーが継承されてゆくことを切に願う。 12月15日 トト
どっちがどっち 2010-12-11 13:00:46 | 散歩や美術鑑賞など 京都駅ビルにある京都セレクションで唐長サルヤマサロンが開催している「美の息づかい 唐長のある暮らし」展。 目玉のひとつは、この継ぎ紙の唐紙。 ぼくと愛子がてがけた唐紙の組み合わせを決め、構図を思い描き…一気に刃をいれる。 迷い無く… 不思議ではあるが、唐紙を前に刃をいれるときに、なぁんとなくラインが見えてくるのだ。 それは直線であったり、弧を描いたり、なだらかな曲線であったり、はたまた直角であったり、と、次々に創造が沸き上がり、一気呵成に44作品の構図が決まった。 今、会場ではさまざまな顔をした唐紙が色とりどりに人々を楽しませているのだが、こんな質問が多いらしい。 どっちがトトさんですか?どっちが愛子さんですか? 夫婦和合の作品であるがゆえ、どちらがどちらというのもあるようでないんだけど。 そうやって見るのも楽しみのひとつでしょう。 配色だけでなく、ぼくと愛子では唐紙の表情が違うから、自分たちが見ればすぐにわかるのだけど、よく見るとほんとに違う。 ちなみに、この雲の唐紙。 やわらかいベビーブルーにふんわりした薄いピンク 白地にチラチラキラの光りを含む黒 どっちがどっちでしょう。 こたえ:男前の黒が愛子 12月11日 トト
美の息づかい 唐長のある暮らし vol.11 2010-12-06 01:51:18 | 美術館への道 唐長サルヤマサロン PRESENTS 美の息づかい 唐長のある暮らし vol.11 会期:2010年12月5日(日)~2011年1月16日(日) 時間:9:00~19:00 場所:京都セレクション(京都駅ビル2階) 今日から開催しました。 今回もとんでもなく負荷のかかった状態でやり遂げたので、さらなる成長が遂げれたように思います。 これで無謀なんかではなく、自分を高めるための挑戦であったということが、わかったことも大きな収穫。 自分の物差しは自分で決める。 以下、今回のぼくと愛子の開催趣旨。 今回、夫婦和合の唐紙から生まれる協奏曲をテーマに作品を手がけました。 千田愛子は、唐長十一代目千田堅吉の長女として生まれ、日々、唐紙に囲まれて暮らしてきた中で育ち、育まれた感覚があります。 一方、違う道ならばこそ得たであろう自然や芸術などに触れてきた中で、磨かれてきた僕の感覚があるのです。 二人が出会い、唐長の文化を慈しみ世界と後世に伝える中で融和されていく感覚と十一代目夫妻より日々受け継がれる唐長の精神性… 愛子に在るものと、ないもの。僕に在るものと、ないもの。 「違う」 ということに価値感や思いやりを互いに見いだして生まれた唐紙が今回の作品「Love」です。 違うということは、比較や争うべき対象ではなく、 時に多様性として受け入れた時に別のカタチを生み出すことがあり、そこに進化や変化のチカラが宿ります。 そのことを、唐紙の美として表現したのです。 別の道を歩んできた二人がそれぞれ愛おしんで唐紙を手がけ、それを継ぎ紙し、融和されて生まれる共生の唐紙。 これは、今回僕たちに展覧会の依頼をくださった方のことばが、きっかけになっている。 トトさんたちが美しいと思う唐紙をつくってくだされば結構です…と。 考えた。 この世で一番美しいものはなんだろう… その答えは、唐紙に表れていることでしょう。 気配のある唐紙… これは、大切にしている十一代目からもらった言葉。唐紙を手がける時に、必ずこのことを思う。 唐紙は、単なる紙ではなく、そこに思いや記憶の音を奏でる風が吹くのだ。 音なき音や風の匂い…すなわち気配、面影。 未完の美ともいえる唐紙の世界は、見る人の心の中で完成するのだと、僕はつくづく思うのです。 唐紙を通じて世界が平和で人々が幸せでありますように… (トト アキヒコ) ラヴ&ピース (千田 愛子) 12月5日 トト
格 2010-12-01 07:05:16 | 美術館への道 お互いの力や可能性を確かめ合うためには、手応えのない相手と遊んでも、おもしろくない。 格が違うとはそういうことか。 そうか。 それでか!そういうことか!と、近頃わかったことがある。 10年前のぼくでもなく、1年前のぼくではなく… 今、目の前におきている全てのことは 今のぼくに必要なことだから、ぼくは向き合わなきゃいけないんだ。 12月1日 トト