安藤先生の月刊ブログ 「きらめき」

何気ない毎日に"きらめき"を感じていますか?

あなたの役割

2013年09月05日 | 月刊ブログ
 長くて暑かった夏が過ぎようとしています。朝晩、少しだけ風が涼しくなってきました。
 私は、8月生まれなので、夏は嫌いではないのですが、今年の夏は異例の暑さでした。そして、8月はどうしても終戦のイメージがあって、もう、9月になっても、私は、まだあることが頭から離れずにいます。
  
 
 先月も書きましたが、5月から手話を習い始めて4か月が経ちました。教室では、手話の遣い方だけでなく、聴覚が不自由なことに対するいろんな知識も講義してくださいます。
その中で、長崎の原爆式典で、原爆遺族者の「平和への誓い」が毎年行われていますが、10年ほど前に、ろうあ者の方が初めて壇上に立たれたという話を、平和学習の中で聞いたのです。
 8月7日、ちょうど長崎の原爆投下の前々日、その時のビデオを見せていただき、私は、この夏一番の衝撃を受けました。
  
 

 2003年、当時76歳の山崎栄子さんが、原爆式典で「平和への誓い」を手話で行ったのです。そして、聞こえない人々や障がい者が被爆した事実をやっと全国に知らせることができました。このことが実現した背景には、「ろうあ福祉協会」と長崎の手話通訳者が手を携えて運動を起こしたことによります。ろうあ者は、ずいぶん長いこと原爆の投下さえ知らされずにいたという事実を、手話を学ぶ者として共有し、そのことをたくさんの人に伝えることが使命だと、協会と通訳者は奔走したのだそうです。1980年のことです。
 ビデオで見る山崎さんの手話は、体全体でその悲しみ辛さ酷さを表現していました。見ている私は、言葉でなくても、見ている人を引き付けるだけの感情を表現できることに、驚きと畏敬の念を抱かずにはいられませんでした。

 それ以降、長崎の原爆式典には、必ず市長の横、首相の横で手話による通訳がなされるようになったそうです。
 ここでの手話通訳者は、言葉をただ言葉として伝えるだけではなく、言いたいこと伝えたい心を、その背景も含めて伝える役なのだろうと思います。喜びや怒り悔しさも理解した上での伝達者となるのですね。

 その後、命の続く限り伝えなければと、山崎さんは、手話で被爆体験を語り継いでいらっしゃいます。全身で語る山崎さんの姿は、平和を祈るすべての人々の胸を打ってやみません。

 人にはいろいろな役割があります。山崎さんのように、薄れていく原爆の恐ろしさを語り継いでいく本当に希少な役割や、私の場合は、日常的に、母親としての役割、娘としての対応、または、教員としての役割など、見方考え方、感じ方も含めてその役割を担いながら日々の生活を営んでいるだと、改めて気が付きました。
 

 
 先日の、長崎デュアルシステム専門学校の同窓会では、久しぶりに見る懐かしい顔々は、あの当時の初々しさの代わりに、社会人としての逞しさみたいなものが表れていました。 参加者は、約半数でしたが、それぞれの代で集まって今の仕事のことなど話が盛り上がっていました。学生時代の話より、今現在の仕事の悩みなどの話が多いように感じます。一人一人に声を掛けると、始めは、きれいになったね、かっこ良くなったね、など先生と学生の関係でしたが、さらに1対1で話をしていくと、対等な関係で仕事の話をすることになりました。そして、仕事の悩みなどを話してくれました。それは、私を先生としてではなく、社会人の先輩として、話してくれたのだろうと思います。
 卒業生にとっては、私はいつまでも先生であると同時に、月日が経ち年齢を重ねていくと、それは社会人同士の仕事の話ができる関係になっていきます。それはそれでとてもうれしく誇らしいものです。
 私の役割は、先生から先輩へと変化していきました。学生たちも、社会人へと変わっていきました。私は、人生の先輩として、仕事や人間関係でのアドバイスができればと思います。卒業生たちは、それぞれの職場で彼らにしかできない役割を、きっと、担っていることでしょう。

 佐世保の初中級公務員科では、いよいよ今月から公務員試験が始まります。学生たちは、最後の学生生活を勉強にひたすらに打ち込んできましたが、無事に目標の公務員になれるよう、私も頼りになる先生としての役割に徹してサポートしていきたいと思います。

 今月の写真は、8月に引き続き、沖縄で見つけた「アフリカシタキヅル(舌切蔓)」。香りが似ているところから、「マダガスカルジャスミン」とも言います。とってもいい香りの、蝋質の真っ白い、夏の最後の花です。日本では「花嫁花」と呼ばれていることを知っている人はそう多くはないでしょう。

Photo by mizutani



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