安藤先生の月刊ブログ 「きらめき」

何気ない毎日に"きらめき"を感じていますか?

春がきた

2012年04月05日 | 月刊ブログ
 季節はずれの暴風雨が通り過ぎ、私たちにもやっと穏やかな春が訪れました。

 昨年から、佐世保校では、入学式後に公務員試験合格祈願祭を執り行っています。地元の神社から神主さんに来ていただいて、ご祈願をしていただきます。
 先日、祈願祭の打ち合わせに神社に伺ったときに、神職には珍しい女性の神主さんとお話をしてきました。
その方は、教職を目指していたそうですが、大学の在学中に急遽、後継者として神職に就かれることになったそうです。
 私たちの学校で、若い人が目標を持って学ぶ姿にとても共感してくださり、昨年の祈願祭の時には、学生たちの真剣なまなざしや合格したいというひたむきな願いが伝わってきて、心打たれたとおっしゃっていました。
 今年から、この学校で、高卒認定の試験対策をするんです、とお話しすると、周りにも知らせてあげたいと賛同してくださいました。
 特に、成績はとてもいいのに、高校に行けなくなった人もいます。また、友達関係の行き詰まりから、退学する人もいます。それまで優等生として歩んできた子供が、ほんのちょっとの躓きで、子供だけではなくその親も心が萎えてしまう場合もあります。
 
 車を運転するとき、ハンドルの「遊び」という言葉を耳にします。止まっているときでも、少しだけハンドルが動くように作ってあります。道のでこぼこが直接タイヤを通して振動すると、運転が難しくなります。そこで余裕をもって「遊び」が作ってあるのだそうです。風船をパンパンに膨らませると、それ以上の空気は入らないし、ちょっと針で突くと破裂しまうことと似ています。
 なんだか、最近の子供たちには、その「遊び」の余裕がないのではないかと女性の神主さんはおっしゃっていました。私も同感で、子供も親もいっぱいいっぱいで、たった一つの方向をただひたすらに走っているような感じがしていました。少しだけ心に余裕があれば、周りの言葉も耳に入っただろうし、逆に自分のことだけでなく、周りの人への心配りもできたかもしれません。
 でも、人はいつでも変わることができます。

 地元でパン屋さんを営んでいる方が、墨を使って自分で作った詩を書いて、その個展を開いていました。紹介文の中に「銀のポット」の話があって、知り合いの外国の方は、大事にされている銀のポットを、毎日毎日丁寧に磨かれていたそうです。銀は二、三日ほっておくと曇って輝くなくなるからです。心も同じだと。
 
 心に余裕をもって、苦しかったり辛かったりしても、明日を信じて自分自身の心を磨いていくことが大切だと思います。
 周りの人の意見を聞くことのできる、心の「遊び」の部分を持つことで、自分だけの考えに固執せず、相手を受け入れる余裕ができると思います。そして、そのことが曇った固定観念や必要以上のプライド、価値観から抜け出し、目の前の壁を乗り越える原動力になるはずです。
 
 神職を選ばれた女性の神主さんは、台風並みの暴風雨に耐えた神社の敷地内の桜を見て、よくがんばった!と言われていました。私も桜を見上げると、花びらには風雨に耐えた傷が残っていましたが、しっかりと主張するように咲き誇っていました。

 この4月入学してきた学生たちにも、少しだけ心に「遊び」の余裕を持って、毎日銀のポットを磨くように心も磨いていってほしいと思っています。

 自分自身に心の壁を作らないこと、自分で限界を決めてしまわないことを願って、新入生を歓迎したいと思います。

photo by mizutani

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