卒論が終わりあまりPCをいじりたくなかった今日この頃。
その代わり我慢していた読書三昧な日々を送っています。
私は本を読むのは好きだけど、読書感想文なるものは大の苦手。
本を読んで感じたこと、感動したこと、憤慨したこと、考えたこと…などなど
的確に言葉に表すことは、私にとってとても難しいこと。
でも本を自分の手元に置くのが好きでどんどん本を買う。
そして何度も何度も読み返す。
感想は書けなくてもせっかく読むのだし、
好きな言葉とか少しずつ言葉にしていきたい衝動にかられているので
がんばってみよう!!と決意しました。
まぁ、要するに12月17日以前よりのんびりした時間がある、それだけ。
つい最近『流星ワゴン』を読んで以来、重松清さんの書くもののファンになりました。
今の私にとって、関心のある分野がたぶんテーマだから。
重松作品読書2冊目は、『その日のまえに』。
「その日のあと」の中で看護士の山本さんが言っていたこと。
「考えることが答えなんだと、わたしは思っています(以下略)。」
10月以来、ずっと私の心にひっかかっていることは
簡単に答えが出るようなことでも、何が正しいことだったのか、正しいことなのか
なんて「正しい」答えなんて存在しない、と気づかされました。
考え続けることが、「答え」というものになることもある。
考えることをやめたら、おしまいなんだなぁと思いました。
四六時中ではなくても、いつもどこかで考えていくことが、
これからも私が亡くなった祖父とつながっていられる唯一の方法なんだと思いました。
いつかもっと時間が経っていけば祖父のことを考えることも少なくなり、
もしかしたら今の祖父に対する思いも忘れていってしまうのかもしれない。
でも忘れていくことはきっと悪いことじゃないとも思わされました。
無理に忘れないようにすることは何か違う気がする。
たとえ「過去の人」になってしまっても、
私というヒトの形成になにかしら影響を与えてくれているのだから。
祖父がいなかったら、何かが少しずつ違っていると思う、だから。
この本を読んで、今は尊厳死とか安楽死についていろいろ議論されている。
個人の尊厳とか、死ぬ権利とか。
でも、「死」はその人個人だけの問題では決してないと思う。
その人と関わっている、特に遺される人にもその人の死に介入?する権利があるのではないかと思いました。
もちろん十人十色だから、個人の権利だと考える人がいても当然。
だからそう考える人に対して間違っているとは言わない。
でも難しい問題だけど、
人間がひとり死ぬということはその周辺にいる人たちにも関係する、影響を及ぼすことは間違いないと思う。
つまり、「死」の問題はそれだけとてもとてもデリケートな問題。
*重松清『その日のまえに』文藝春秋
その代わり我慢していた読書三昧な日々を送っています。
私は本を読むのは好きだけど、読書感想文なるものは大の苦手。
本を読んで感じたこと、感動したこと、憤慨したこと、考えたこと…などなど
的確に言葉に表すことは、私にとってとても難しいこと。
でも本を自分の手元に置くのが好きでどんどん本を買う。
そして何度も何度も読み返す。
感想は書けなくてもせっかく読むのだし、
好きな言葉とか少しずつ言葉にしていきたい衝動にかられているので
がんばってみよう!!と決意しました。
まぁ、要するに12月17日以前よりのんびりした時間がある、それだけ。
つい最近『流星ワゴン』を読んで以来、重松清さんの書くもののファンになりました。
今の私にとって、関心のある分野がたぶんテーマだから。
重松作品読書2冊目は、『その日のまえに』。
「その日のあと」の中で看護士の山本さんが言っていたこと。
「考えることが答えなんだと、わたしは思っています(以下略)。」
10月以来、ずっと私の心にひっかかっていることは
簡単に答えが出るようなことでも、何が正しいことだったのか、正しいことなのか
なんて「正しい」答えなんて存在しない、と気づかされました。
考え続けることが、「答え」というものになることもある。
考えることをやめたら、おしまいなんだなぁと思いました。
四六時中ではなくても、いつもどこかで考えていくことが、
これからも私が亡くなった祖父とつながっていられる唯一の方法なんだと思いました。
いつかもっと時間が経っていけば祖父のことを考えることも少なくなり、
もしかしたら今の祖父に対する思いも忘れていってしまうのかもしれない。
でも忘れていくことはきっと悪いことじゃないとも思わされました。
無理に忘れないようにすることは何か違う気がする。
たとえ「過去の人」になってしまっても、
私というヒトの形成になにかしら影響を与えてくれているのだから。
祖父がいなかったら、何かが少しずつ違っていると思う、だから。
この本を読んで、今は尊厳死とか安楽死についていろいろ議論されている。
個人の尊厳とか、死ぬ権利とか。
でも、「死」はその人個人だけの問題では決してないと思う。
その人と関わっている、特に遺される人にもその人の死に介入?する権利があるのではないかと思いました。
もちろん十人十色だから、個人の権利だと考える人がいても当然。
だからそう考える人に対して間違っているとは言わない。
でも難しい問題だけど、
人間がひとり死ぬということはその周辺にいる人たちにも関係する、影響を及ぼすことは間違いないと思う。
つまり、「死」の問題はそれだけとてもとてもデリケートな問題。
*重松清『その日のまえに』文藝春秋