
ミニョンは真夜中になっても車を走らせ続けた。時折止まっては車から降り、冷たい空気で頭を冷やし、また走らせる、その繰り返しだった。頭によぎるのは母親としたカンジュンサンの家でのやりとりだった。
「母さん?!何でここに来るの?ここはカンジュンサンの家だろ。母さんはカンジュンサンなんて知らないって言っただろ?ねぇ母さん!」
するとミヒは耐え切れずに踵を返して家を出ようとした。あわててミニョンが捕まえようと手を伸ばすと、そばにあった額縁が倒れた。それは若き日の新進ピアニストのカンミヒの写真であった。ミニョンは驚愕のまなざしでその写真を見つめた。

「ねぇ、なんで母さんの写真がカンジュンサンの家にあるの?ここはいったい何なんだ?ちゃんと説明してよ!チュンサンて誰なんだ?僕は誰なんだ?ねぇ、教えてよ!イミニョンはだれなんだ?僕はいったい誰なんだ?」
ミニョンは怒りに震えていた。声はどんどん荒くなり、ミヒを責める口調になった。
ミヒは涙を流しながら答えた。

「ごめんなさい。本当にごめんなさい、、、チュンサン」
その一言を聞いてミニョンの顔は苦悩でゆがんだ。恐れていた言葉を聞いたのだ。それだけでもう十分だった。
「ぼくがチュンサンだっていうの?本当に僕がチュンサンなの?」
そしてミニョンは家を飛び出したのだった。今思い出しても胸が苦しくなる瞬間だった。これから自分はどう生きていけばよいのか、いくら考えても答えは出なかった。
その少し前、ユジンとサンヒョクはソウルに向かって車を走らせていた。怖い顔でハンドルを握り、車をどんどん加速させるサンヒョクが心配でしかたなくて、何度も注意していた。しかし、サンヒョクは何も答えずに線路わきの空き地に車を止めた。そして煙草をふかして車にもたれかかった。ユジンはそんなサンヒョクを見つめていった。
「ねぇ、煙草いつから吸ってたの?」
しかしサンヒョクは黙ってうつろな目のまま煙草をふかし続けている。

「ねぇ、あなたは疑ってるかもしれないけど、南怡島でミニョンさんと会ったのは本当に偶然よ。」
「、、、うん、わかってるよ。」
「ほんとに誤解してないわよね?」
サンヒョクは素直にうんとうなずいた。ユジンはほっとして一つため息をついた。
「あのさ、ユジンはミニョンさんのどこがよかったの?チュンサンと顔が似ているから?ただそれだけで好きになったわけじゃないよね?」
ユジンはサンヒョクの意図を図りかねていた。今更それを聞いて何になるというのか。またサンヒョクが傷つくのに。しかしサンヒョクは真剣なまなざしで聞いた。
「ユジンは彼に何を感じたの?答えられない?」
ユジンは困ってうつむいていた。
「サンヒョク、ごめんなさい」
「じゃあ質問を変えるね。もしもだけど、もしも、、、、チュンサンが生きていたら君はどうする?」
ユジンはびっくりしてサンヒョクを見た。
「なんでそんなことを聞くの?」
「うーん、なんとなく。もしもチュンサンが生きていても君は僕といてくれる?」
サンヒョクは真剣なまなざしでユジンを見つめ続けている。しかし、ユジンはその質問の本当の意味を分かってはいなかった。ため息をついてまた煙草をくわえるサンヒョクの手から煙草を捨てて火を消した。そして何も言わずにサンヒョクをそっと抱きしめた。

「サンヒョク、不安にさせてごめんね。でももうそんな心配をしないで。だってチュンサンは死んだんじゃない。」
「そうか。そうだよな。チュンサンは死んだんだ、、、。」
サンヒョクはうつろな目に涙をいっぱい浮かべて、ユジンに抱きしめられているのだった。言いようのない不安で心はいっぱいだった。
次の日ミニョンは母の主治医であるアン医師の病院を訪ねた。アン医師はミニョンの表情を見てすべてを悟り、真実を話してくれた。

『カンジュンサンとして事故に遭い、一命をとりとめた君は2か月間昏睡状態だった。やっと目覚めたときはすべての記憶を失っていたんだ。君のお母さんは君がイミニョンとして生きていくことを願って、僕は君に違う記憶を植え付けたんだ。本当に申し訳ない。本当なら催眠療法は記憶を取り戻す治療なんだが、君の場合は反対のことをしてしまったんだ』
ミニョンはその足で自分の実家でもあるカンジュンサンの実家を訪ねた。相変わらず混乱はしていたものの、医師から事実を告げられてほっとしている自分もいた。いままでイミニョンとして生きてきた自分が、なんとなく欠けていると感じていたのだ。しかし、自分に知らない過去があると分かり、探していた部分が埋められた気がしたのだった。それはなくしてしまったパズルのピースがカチリとはまったような感覚だった。ミニョンは静けさに包まれた家の中をそっと歩いた。音を立てると暗闇から過去の亡霊が飛び出してきそうだった。しかしそんなことはなく、自分の記憶も全くよみがえることがなかった。そして勉強机に座ってみて引き出しをのぞくと、カンジュンサンの学生証と写真が見つかった。そこに写る男子学生は自分と同じ顔なのに、まるで違う雰囲気をまとっていた。冷たそうで孤独な若者。自分なのに自分ではなく、自分なのに全く記憶がない、、、。ミニョンとしてユジンと話していたとき、彼女はこう言っていた。

『影の国に行った人がいたそうです。そこでは誰も彼に話しかけなかったんです。だから彼は寂しかったんですって。』
今ならそれがカンジュンサンの話をしていたのだと分かる。それぐらい彼は暗くて捻くれた雰囲気を醸し出していた。ミニョンは安堵も束の間、新しい難題をかかえてしまい、どうしたらよいかわからず、その写真をいつまでも眺めていた。
そのころ、サンヒョクはミニョンの会社のマルシアンを訪ねていた。例によって受付嬢は理事は不在です、所在も帰りもわからない、と繰り返すばかりだったので、連絡を欲しいと名刺を渡して辞去した。すると、そこでチェリンに会ったのだ。チェリンは本能的な勘でミニョンに何かあったと踏んでいた。二人は近くのカフェに入り、話をすることになった。

チェリンは鋭い目でサンヒョクを見つめながら聞いた。
「ねえ、隠さないで教えて」
「何が?」
「だって昨日、ミニョンさんのこと聞いてきたじゃないの。何があったの?」
「うん、、、何もないよ」
「うそつかないで。あなたがミニョンさんの会社までくるなんでおかしいわ。教えてよ。何を知ってるの?」
「ああ、、、実はユジンとミニョンさんがまた会ってるんじゃないかって疑ってたんだ。でも僕の勘違いだったから謝りに会社に行ったんだよ。」
「勘違い?」
「うん、実はユジンのお父さんの誕生日に墓参りに春川に行ったんだよ。そしたら偶然家の近くで二人でいるところを見つけて、、、勘違いして怒って連れて帰ったんだよ。だから失礼なことをしたから謝りたくて、、、。ただそれだけだよ。もういいだろ。この話はやめようよ。あと、誰にも言うなよ。ほんとに恥ずかしいからさ。」
照れたようにわざとらしく笑うサンヒョクを前に、チェリンは疑いのまなざしで見ていた。チェリンの勘はこう言っていた。サンヒョクはうそをついている。ミニョンが知り合いもいない春川にいたのには理由がある、自分の知らないミニョンの秘密をサンヒョクは知っているのだと。

そのすこしあとユジンと友人のチンスクはチェリンのブティックで座っていた。サンヒョクにいくら電話しても出ないのだ。今日は二人の結婚式のドレスとタキシードの採寸の日だったのにすっかり忘れているのだろうか。サンヒョクらしくもなかった。一方でチェリンは何事もなかったかのようにユジンの採寸をしていた。チェリンが二人のウエディングドレスとタキシードを制作するのだ。
「春川でミニョンさんに会ったんだって?」
ユジンは驚いた顔でチェリンを見た。
「何で知ってるの?ほんとに偶然出会ったのよ」
「知ってる。でもなんで彼、春川にいたのかしらね?あっ、そうだ。サンヒョクとさっきマルシアンで会ったわよ。」
「マルシアン?」
「そう、きっとサンヒョクはミニョンさんとあんたのことを気にしてるんでしょうね。わかっていると思うけど、あんたっていい子だけど優柔不断なところがあるじゃない。だから彼を不安にさせるのよ。かわいそうだからいい加減にしなさい。わかった?はい、これで採寸はおしまい。ドレス、なんか着てみる?」
チェリンの物言いに一気に不安が募ったユジンはそれどころではなかった。チェリンはチンスクにコーヒーを入れるように言いつけてどこかに行ってしまった。ユジンはコーヒーを入れたら早退するというチンスクと一緒に夕食を食べに出かけることになった。