この度の震災で 被災された皆様に 心よりお見舞い申し上げます。
いつもの生活 平穏な日常に 一日でも早く 戻れますように
離れた東北の地より お祈りいたします。
いつも夜型なので、行動を起すのも、日付が変わってからが多く。
smap×smapの20周年のお祝いも、どうしょうか?などど考えていた時に。
初めて、熊本の地震を知りました。
九州での地震、熊本で?と。震度の大きさに、驚き、余震?本震?と。
そう言えば、東日本の時も、2日?前に、大き目の余震があって・・・。
それから、本震が来たんだ・・・と。
数か月後に、地元の新聞に。
「海鳴りを聞いた」と言う記事があって・・・
演歌での歌詞でしか聞いたことがない言葉だったので、
本当に、あるの?どんな音?とその記事を読んだのですが・・・
本震の前日?数日前から、海での音を聞いた・・・と海沿いの地域の住民の方の話が載っていて。
ぎしぎしと、こすれ合うような?今まで、聞いたことの無い音だった・・・と書かれてました。
その音を、海鳴り?と言うのは、おそらく正しくないのだろうけど。
古代から伝えられている、言い伝え~
震災に纏わる伝承的な碑などを残して居たとしても。
人知を超えて来る震災・・・
地震大国、日本で暮らして行くのだから
明日は、我が身・・・と身につまされる思いで。。。
昨夜も、遅くまで、テレビの画面を見続けてました。
5年前のあの震災の時は、どうだった?
阪神淡路の時は?と。
阪神淡路の時は、まだ、二人の子供も小さく手がかかり、外に居る時間が多く。
あまりテレビを見ると言う事も無かったので、新聞などで見る写真が
信じられないもので。倒壊するとは、思ってないものが、横たわってる写真とか・・・。
目にするのも怖くて。あえて見ないようにしていたと思います。
それでも、覚えていた、SMAPのМステでの がんばりましょうのパフォーマンス。
その時は、まだ、ファンでは無かったので(笑)。
そうなんだ~この時期だから、あえて、がんばりましょう~を歌うんだ・・・と思った記憶。
きちんとした、スーツ?を着込んだSMAPのパフォーマンス。
中居さんが、テレビ越しに「がんばって」と、声を出さずに、アクションしていたような。
その場面が、印象に残ってた。
探せば~あるんだろうなぁ・・・ネットには。
その後だった・・・?
新聞か、なにかで、既に、頑張ってる人に、頑張れっ!って、言うな・・・とか。
物議を醸しだすような話があがってて。
難しいなぁ・・・と思いました。
表立ってとか、先頭を切ってとかって、役割を担う。
望まないで居ても、背負わされてしまうとか。
2000年。仙台のシェルコム仙台でのライブ。
その時、チケット交換をした相手が、高校生の娘さんで(笑)。
お父さんの転勤で、関西から仙台に来たと言ってて。
「SMAPがMステで、がんばりましょう~を歌うのを聴いてからのファンで。
凄く、勇気づけられた~」と、ファンになった経緯を話してくれた。
そのMステ放送当時、まだファンでは、無かったことを、
私は、実にもったいないことをした とその時も後悔をし。
私よりも、ちょっとでも、早くに(笑)
SMAPに嵌ってた、彼女を羨ましく思った。
そう言う力がある よね~と。
それを 強く感じたのは、東日本大震災の時。
通常のテレビ放送が、無くて。
ようやく、5人でのスマスマ、生放送があったあの日。
5人を、見て。歌うスマを見て、安心した。
どうか届きますように~を聴いた時。
なんて、優しい、歌なんだろうと思った。
SMAPに会いたい、また会えるように、日々を送ろう~。
日常をこなして、彼らに会える日の為に、頑張ろう~と。
そんな気持ちになれた
どうか届きますように~を聴くと
あの時の 歌う優しいSMAPを、いつも思い出す
SMAPは やはり いつでも みんなの(私の)希望なんです
だから 早く
私たちのもとに、SMAPを返して下さい
不在の時間が 既に長くなりました。
そのうち、摘んだ花が両手でも持てないぐらいになったら、どうする?(苦笑)
ディりーでのチャートが
6位、5位・・・と。
みんなの想いが届くといいよね~ 300万枚に、記録に。
消されない記録を、作りたいっ!
SMAPの名前と。
応援していた私たちの想いを残したい
こうなったら
時代に。しっかり、刻みたい。
おかしいよ。。。こんな事態
出来ることが他に何があるのか、思いも付かないから
花を摘み続ける・・・
メンバーブログサイトで。
次のライブには、手に自分たちが摘んだ花を持って~ライブに参加しよう~って。
その時のメンバーの顔を見て見たいって、書かれてる人が居て。
そんな幸せな光景もイメージして。
地道に、日々、お花を摘む(笑)
今、みんなが想ってる気持ちは、きっとメンバーには届いてる筈だから。
サムガ~
偶然にも、選曲が、手を繋ごう~
東日本大震災の時、あまりに凄い余震で、停電にもなり。
建物の倒壊が怖くて。
4月の頭に、一晩、寝具も、毛布も無しで、地域の人たちと。
夜が明ける時間まで、外に居たことがあった。
その時も、お互いが、お互いを労わりながら、励まし合い。
暗闇が怖いから、身を寄せあって。
震災が無かったら、あの時感じた、
人との繋がりの大切さなども知ることも無かったと思う
手を繋ごう~を聴くとあの時、感じた気持ちにも繋がる~
余震が収まって、安心して夜を過ごせる日が早く訪れますように~
おやすみなさい~