しゃこたん☆ブログ(ββ)

この物語はフィクションです。嘘っぱちです。登場する人物、団体、施設等各名称は架空のもので実際には存在しません。

楽しいドリフトライフ。

2011年03月21日 | 日記・駄文
3月11日に起きた東日本大震災。

7日に帰国して毎日時差ボケと戦いながら仕事して、あと数時間で久々の休みだべ!とか思った矢先の出来事でした。
世の中震災後引きヲタニートしてる奴ら多すぎ!もっと外の世界の現実に目を向けてやれることからやらなきゃ!


震災の直後、車で横浜~千葉間を移動したなべ。ちゃんはいろいろなものを見ました。

東北には津波がすぐに来て、おうちが心配でした。
だって大昔10m超の津波が来たとき波切不動尊まで来たって言うじゃない?
九十九里平野なんて全部海岸みたいなもんよ。
大網のおうちには電話通じないし。


電車が止まり、高速道路が全く通れなくなった首都圏は大渋滞。
全く車は動かず、徒歩で帰宅しようとする人の波で身動きがとれない。

どうしようもないので駅前の唯一やってた居酒屋に入って夜を明かしました。
居酒屋には夜通し徒歩で帰宅しようとする人達が休憩に入ってきました。


明けて土曜日、千葉に向けて出発する。
東京までは第三京浜でスイッと着くが、


「と、東京タワー曲がっとるやん!」

芝公園に着いたとき愕然とした。
東京タワーって曲がるんだね!

そこから晴海通にでて湾岸を目指すも、銀座に人が居ない!
銀座に人がいない!
土曜日なのに!
いつも高級車がいっぱい路駐してて、歩行者もいっぱいいるのに!
湾岸に出ると今度は液状化だ。
埋め立て地は液状化で地盤が下がりまくり、吹き出た泥に自転車や車が突っ込んで身動きが取れなくなってる。
そこからが渋滞の始まりだった。
千葉に入るには高速が使えないので357か14号しかない。
荒川と江戸川があるからある程度大きな橋のとこでなければ渡れなかった。
正に陸の孤島である。
357ではディズニーランドのお土産を持った沢山の人が徒歩で帰宅していた。

本当に映画みたい。そんな感じだった。

7時間かけて帰宅し、家の様子は大丈夫なようで安心したけど、九十九里には津波が来て、漁船が陸に打ち上げられて、大網でも1000人単位で津波から逃げて体育館に避難したらしい。

普通に考えて、首都圏も被災地である。
茨城も利根川を越えた瞬間もう違っちゃったみたいに被害があるらしい。


週が明けて、教頭センセとクルマで会社に行った。
アクアラインを抜けて2日間通行止めだった湾岸を走った。

アスファルトは継ぎ接ぎだらけ、沈下と隆起でとてもスピードを出して走れる道じゃなかった。


日中、外にでても街に人がいない。

ガソリンが無いから。
電車が動いていないから。
放射能が恐いから。

いろんな理由でみんな外に出ないんだろう。

道路も車いないし、電車も空いてる。

人がいっぱいいるのはスタンドの前とスーパーの前だけ。

これでは経済がまわらない。
経済まわさないと復興どころじゃないぜ!
みんな仕事しよう!



今回のことで人間ってのが良くわかった。
みんなストレス溜まってるし、僕も言いたいこといっぱいある。
だからここでは言わない。
上手く発散出来ることがあるならそれはそれでいいと思うし、否定はしない。

募金やボランティアだって余裕のある人がやればいい。

おれ募金した!
みたいのはいらないと思うな。




とりあえず楽しくドリフトが出来る明日を目指そう!