神鳴り3

後期高齢者になりましたが、ますます若々しくありたいと願っています。どうぞよろしくお願いいたします。

「スピリチュアル」という語の本当の意味は

2022-03-20 06:45:00 | 日記
「人の心のもっとも深奥にある、善良さ美しさと素朴さと、そこにあるパワーについての」

なのだそうです。

現在、私を誹謗中傷している人も心の深奥には、こういうスピリチュアルが必ずあると思います。

私は、あなたのスピリチュアルが目覚めることを祈っています。

私は自分のスピリチュアルを信じていると同様に、あなたのスピリチュアルを信じています。

その証拠は、私がこれほどあなたに誹謗中傷されても、私のほうは、あなたのことを誹謗中傷しないことでおわかりいただけると思います。

私を信じてくださる人達はスピリチュアルに目覚めている人たちです。

私は、現在眠っている、あなたや、あなたの言葉を信じている人達のスピリチュアルが目覚めることを祈っています。

★心中の深奥にある美と素朴、善良さこそスピリチュアルと

★あなたにもスピリチュアルは深奥にあるべし今こそ目覚めるべけれ

★みどりごでありにしころのあなたには悪魔も見えず澄みわたる水

鬱&Blog&短歌

2022-03-19 04:48:34 | 日記
春は鬱になりやすい季節かもしれない。

私の大阪のマンションに暮らしていた頃の友人の息子さんの同級生も念願の東京大学に合格した直後に自殺してしまったと聞いたことがある。

親も友人達も、その子の冗談好きな明るい面しかしらなかったから驚いたらしいが、春は要注意の季節である。

実は私も現在鬱になっている。

背中の左側の肩甲骨の下あたりが痛いのは、ここ一週間ほど心臓を痛めつけられるような出来事があったからだ。

私のは原因があるのだが、しかし、それは引き金であって鬱は私の本態的なものである。

以前も鬱になって精神薬を処方されて鬱以上の苦しみを味わったから2度と薬は飲まないが、鬱の苦しみは厳然とある。

が、薬は直してくれるどころか悪化させる。

それは体験したから自信を持って言える。

薬は一時的に誤魔化してくれるが、副作用で鬱は悪化する。

そんな私の現在の鬱撃退法はBlogである。

何もする気になれなくても記事を書くことはなんとかできる。

書いている間は鬱が忘れられるのである。

苦しんでいることを書くのも、それなりに効果あるが、それより昔の楽しかったことを思い出して書くことのほうが、もっと効果がある。

が、そのことを書くと「自慢話をして…」と批判する人がいることも確かである。

が、自慢話もさせてほしいと私は思う。

本当に毎日が充実しているのなら、自慢話もする必要はない。

私は何も誇るべきものは持ち合わせていないが、子育てを終えたあとは短歌に命を注いできた。

が、これがさっぱり認められないのである。

好きだから別に構わないとも言えるかもしれないが、結社に所属していても後から入った人にどんどん追い越されるのは気分の良いものではない。

私の頑張りがたりないのか、それとも素質がないのかと悩んでしまう。

好きでたまらないから止めることもできず、余計に苦しい。

この苦しみを和らげてくれるのもBlogだ。

Blogを書いていると鬱が軽快するだけでなく短歌も湧いてくる。

だから一石二鳥と言える。

短歌も、わざわざ歌集を出さなくてもBlogで不特定多数の人達に読んでいただくだけで満足できるから私は一生歌集を出さなくてもいいとも思っている。
 
短歌は機会詩である。

その時に詠って、その時に読んでもらうのが一番歌の良い発表方法であり、鑑賞の仕方だというのが、私の短歌に対する持論になりつつある。

ついでに書けば、歌の優劣を決めるのも邪道だ。

歌は詠った人が満足して、一人でもその歌に共感してくれる人がいれば、それで十分なのである。

選者先生などが講釈つけて解説する必要もない。

そんなことをすれば、歌の純粋さが失われるとも言っていいかもしれない。

相聞歌がたまたま上手く詠えたからと言っても、人生はそれだけではない!

そんな人が選をすること自体がおこがましいのである。

ああ、言ってしまった!書いてしまった!
でも、尊敬する先生は例外です。

★歌集など出さずBlogで歌好きな読者に読んでいただくがよし

★人生の酸いも甘いも味わつた者の選歌をするな若輩

★人間の偉さ尊さ生きてきた長さによると知れ若輩は

★老兵は去らず歌壇にのさばりて後進これに従ふべけれ

★大学を出たての若き歌人らに和歌の良し悪しわかるはずなし

★拙くてよろし作歌は上手ければ胡散臭しと思ふが正し

★下手歌の良さのわからぬ馬鹿者は生まれ直してこいと告げやる

★心臓の背側のあたりが痛いのは心臓いためつけられた所為

★わが鬱は暴力的になるらしく怒りが湧いてくるなる鬱期

★耳悪しく短歌生き甲斐なるわれの短歌を容易く選歌をするな

★選歌するときは心を込めてせよ心を込めて作りし歌の

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今日の記事は鬱のせいで普段以上にきつい文章になったかもしれないから先程フォロワーさんのところで拝見した「朧月夜」の歌詞を貼り付けて締めくくらせていただきます。

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菜の花畠(ばたけ)に 入り日薄れ見わたす山の端(は) 霞(かすみ)ふかし春風そよふく 空を見れば夕月(ゆうづき)かかりて におい淡(あわ)し
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いつまでも若いのも怖い

2022-03-18 14:15:38 | 日記
東京大学ではこういう研究をしているらしい。↓
東京大学医科学研究所・中西真教授が解説する「老いの正体」。ストレスが老化を促進、死なずに生き延びる「老化細胞」の蓄積が認知症の原因にも〈前編〉(婦人公論.jp)
#Yahooニュース

が、私はいつまでも老化しないのも怖い。

希望は80歳までに亡くなることだが、生きている間はできるだけ若々しくいたいとは思う。

しかし、90歳になっても、30歳の状態でいたいとまでは思わない。

90歳になったら90歳の容貌でもかまわないが、しかし、あまり見苦しくはなりたくない。

最近『徹子の部屋』をよく観る。

少し前に中原ひとみさんが出演された。

現在85歳であられるとか。

若い頃は子鹿のような可愛さであられた中原さんも、やはりお歳を召されたとは思ったが、しかし、いまも可愛かった頃の面影はおありになる。

ずっと自宅でパーキンソン病になられたご主人の江原真二郎さんの介護をされていたが、とうとう体力的にも無理になり、江原真二郎さんは施設に入られたと話されていた。

現在お一人暮らしであられるが、できたら仕事に復帰されたいと。

歳とっても俳優にはそれなりの需要があるから、いくつになっても、オファーがあれば受けたいと。

言われてみれば、映画でもドラマでも、お年寄り役も必要である。

普通は、自分から隠居されるのかもしれないが、こういうふうに仕事をなさりたいと言われる中原ひとみさんは素敵だと思う。

この際、85歳の中原さんが30歳くらいの容貌で出られるのではなく、今の85歳の容貌で出られるから意味があるのだ。

★いつまでも老化しないも恐ろしくわれは若さはほどほどでよし

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今朝書いた記事は都合により保留いたしました。応援ポチを押してくださった方々にはお詫び申し上げます。

書きたいことが書けない苦しさ

2022-03-18 10:18:48 | 日記
いまコメント欄を開くとワッと荒らしが雪崩込んでくる。

私のことを誹謗中傷していた記事は、何とか抹消されたが、そのときに私のBlogは荒らしの人達に見付けられ、以後ターゲットにされているようだ。

しばらくコメント欄は開けない。

と同時に書きたいことが書けない。

私の書く記事は彼らの標的にされるから。

こんな理不尽なことがあってなるものかと思うが、あるのが現実だ。

こういう荒らしの人達は言うに及ばずだが、もっと罪深いのは見て見ぬふりをしている人達、または内心いい気味だと喜んでいる?人達。

こういう人達も、自分がそういうことをされたら、どういう気持ちがするかわかるだろう。

本当はされなくてもわからなければならないのだが、そこでその人の心の貧しさが顕になる。

私も今回のことは本当に良い勉強になった。

まだ終わってはいないが、負けたくはないと思っている。

★虐めとはかういうものだと教へられ虐められゐる己と思ふ

★学び舎を同じうしたる人にまで虐められるはなにゆゑならむ

★手のひらを疾く返すやにわたしから離れた人の非情も見つむ

★自殺する有名人を他人事と思はず虐めの痛み味はふ

★神様はゐると信じてゐるわれは神を信じて虐めに耐えむ

★神鳴りと名付けしわれのブログ名ぶたれぶたれて輝きを増す

人は生きている限り詠い続ける

2022-03-17 05:31:57 | 日記
人には感情がある。

だから生きている限り何かを思っている。

それを誰かにわかってもらいたくなるのは、生きている限り自然に湧き起こる感情である。

日本人はそれを短歌に込める。

俳句に込める人もいる。

どちらかといえば、短歌は感情をさらけ出すのに比して、俳句は季語に託して抑えて出すと言えるかもしれない。

だから、短歌向きの人と俳句向きの人に分かれるとも言えるかもしれない。

が、いずれも韻律に乗せて詠う。

この韻律は、日本人には生まれつき備わっているものかもしれない。

日本人は一定の年齢になると短歌や俳句に関心を寄せるようになる人が多い。

実際に始めるか否かは別として誘われれば詠い始めるという人は多い。

私のblog友さんでも私と知り合って短歌を始めた人は多い。

前のblogでも何人かいたが、今のblogでも、始めた人はいる。

それは私が勧めたというより私の短歌を見て短歌のDNAが目覚めたのだと思う。

短歌を詠む効用は、詠う人が慰められるだけでなく、その短歌を読んだ人も、またその短歌に慰められるという効果がある。

また、短歌を詠むことで人は優しくなれるという効用もある。

日本人が穏やかで優しいのは、私はこういう短歌、俳句に馴染むDNAと無縁ではないと思っている。

逆に最近世の中がぎくしゃくしているのは、昨今はこういう歌心を忘れた人が増えたせいかもしれない。

当たり前のことだが、短歌や俳句を作ってお金になるわけではない。

が、それがいいのである。

最近の拝金主義を遠ざける役目も短歌、俳句にはあると言えるかもしれない。

詠うことには祈ることにも通じる働きもある。

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昨夜また東北で大きな地震があったようです。

いま私達にすぐできることは祈ることです。

私も、これを投稿したら、被災地の皆さんのことを祈らせていただきます。

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★カナリアも歌を忘れて金切り声あげるやうにぞなるを悲しむ

★歌あれば寂しきときも癒やされて命ふたたび蘇りくる

★感情は生きてる限り無くならず死ぬまで詠ひ続けるわれら