神鳴り3

後期高齢者になりましたが、ますます若々しくありたいと願っています。どうぞよろしくお願いいたします。

人は生きている限り詠い続ける

2022-03-17 05:31:57 | 日記
人には感情がある。

だから生きている限り何かを思っている。

それを誰かにわかってもらいたくなるのは、生きている限り自然に湧き起こる感情である。

日本人はそれを短歌に込める。

俳句に込める人もいる。

どちらかといえば、短歌は感情をさらけ出すのに比して、俳句は季語に託して抑えて出すと言えるかもしれない。

だから、短歌向きの人と俳句向きの人に分かれるとも言えるかもしれない。

が、いずれも韻律に乗せて詠う。

この韻律は、日本人には生まれつき備わっているものかもしれない。

日本人は一定の年齢になると短歌や俳句に関心を寄せるようになる人が多い。

実際に始めるか否かは別として誘われれば詠い始めるという人は多い。

私のblog友さんでも私と知り合って短歌を始めた人は多い。

前のblogでも何人かいたが、今のblogでも、始めた人はいる。

それは私が勧めたというより私の短歌を見て短歌のDNAが目覚めたのだと思う。

短歌を詠む効用は、詠う人が慰められるだけでなく、その短歌を読んだ人も、またその短歌に慰められるという効果がある。

また、短歌を詠むことで人は優しくなれるという効用もある。

日本人が穏やかで優しいのは、私はこういう短歌、俳句に馴染むDNAと無縁ではないと思っている。

逆に最近世の中がぎくしゃくしているのは、昨今はこういう歌心を忘れた人が増えたせいかもしれない。

当たり前のことだが、短歌や俳句を作ってお金になるわけではない。

が、それがいいのである。

最近の拝金主義を遠ざける役目も短歌、俳句にはあると言えるかもしれない。

詠うことには祈ることにも通じる働きもある。

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昨夜また東北で大きな地震があったようです。

いま私達にすぐできることは祈ることです。

私も、これを投稿したら、被災地の皆さんのことを祈らせていただきます。

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★カナリアも歌を忘れて金切り声あげるやうにぞなるを悲しむ

★歌あれば寂しきときも癒やされて命ふたたび蘇りくる

★感情は生きてる限り無くならず死ぬまで詠ひ続けるわれら