木のぼり男爵の生涯と意見

いい加減な映画鑑賞術と行き当たりばったりな読書によって導かれる雑多な世界。

『青白い炎』

2013-03-26 04:29:17 | 日記


「青白い炎」ウラジーミル・ナボコフ

遊んどるな。こいつ…

誰も知らないジョン・フランシス・シェイドなる偉大な詩人の999行の詩。
詩人のファンである怪しげな文学教授がチョーこじつけ注釈をつけ。
一冊の本にまとめた、という設定の小説。

まず詩からして、首を傾げたくなる事しかり。
回顧詩とでも言うか、人生を物語った内容ではあるんだが…
真面目なのかーと思ってたら、おや?なんか…ん?何かがおかしい。
違う。あれ~?とほのかに漂う可笑しさ。
そして、やっぱ深刻なのか?と思いきや、不真面目さが見え隠れ。
非常~に、こそばゆい詩なのであった。。。

で、問題の注釈。
詩からして、すでに問題ありにも関わらず、
それをさ~ら~に上塗りする問題有り注釈。
注釈ではなしに、これ以上曲がれない超歪曲自己中解釈。
人の詩を、自分の物語にしとるがな!
自分、回顧し過ぎやろ~。


 首に羽毛の輪のある美しい鳥、優美な雷鳥よ、
 おまえはわが家の真後ろに中国を見つけた。
 その仲間は『シャーロック・ホームズ』に登場するのではないか、
 靴を逆向きに履いて後退する足跡をつけた男は?


 注釈:二七行 シャーロック・ホームズ
  わし鼻の、やせて骨ばった、かなり人好きのする私立探偵で、コナン・ドイルのさま
 ざまな物語の主人公である。いまのところこれがどの物語への言及(「バスカヴィル家の犬」)
 なのかを確かめる手だてはないが、われらの詩人がこの<後退する足跡の事件>をでっち上げ
 たのではないかと、わたしは疑っている。 


真面目に読んでたら、吹き出すわぃ。
そっちがそのつもりなら、こっちだってとことん楽しんだるぅ。
もう、自由~。フリーダ~ム!!
で、含み笑いでいやらしく読む。

が、バカに出来ないのが。
ちゃんと韻を踏んでる事実。
詩のページは右に日本語、左に英語の原文が掲載。
英語をチラ見しながら、確認出来る心遣い。
(え?英詩読んだ訳じゃなく、見ただけですけど、何か?)
行末が、見事に詩のお約束をクリア。


 湖畔道路を通って学校へ行くとき
 湖から学校の正面玄関の柱廊を認めることができる
 だがいまは、一本の木も邪魔立てしていないのに、
 いくら見てもその屋根さえ見えないのはなぜなのか、
 わたしにはわからない。おそらく空間上の多少の歪みが
 窪みやうねりを生じさせ その挙句貧弱な眺望を、
 真四角な緑地に立つゴールズワスとワーズミスとのあいだの
 木造家屋を追い出したからだろう。

わたしにもわからない。
あなたの言ってることが─。
空間上の多少の歪み…窪みやうねりを生じ…
謎めいてるどころじゃなく、意味不明。
それ、超常現象?
もしや砂漠でオアシス見えたりする、あれ!?


 注釈:四七─四八行 ゴールズワスとワーズミスとのあいだの木造家屋
  木造家屋とは、~からわたしが借りていた、ダリッジ通りの家を指している。

ってマジで?ホントかよ?
この感じでツラツラと自分の話に持ってくパターン多いなぁ。
ちなみに上記の注釈は、約16ページに渡って延々と続きます。


 たとえば《心臓病》はいつも父に思いを馳せさせるし、
 《膵臓癌》は母への思いを掻き立てる。

その名称で思いを馳せるのかぁぁああ。
そして、思いを掻き立てるのかぁぁああ。
ま、チグハグな言葉の遊びが冴えてますな。


 わたしは時空のなかに散らばったような気がした。
 片足は山頂に、片手は
 絶えず波に打たれる浜辺の小石の下に、
 片方の耳はイタリアに、片方の眼はスペインに、
 洞窟にはわたしの血が、星々にはわたしの頭脳が。

散らばり過ぎやろ。

 わが三畳紀には鈍い鼓動があった。更新世前期には
 視覚上の緑のしみが、
 わが石器時代にはぞっとする震えが、
 そしてわが尺骨突起部にはすべての明日が。

生命誕生から、人類誕生へ─
もはや、収拾つかず。


中盤は詩人の娘の悲劇が主題に。
笑っちゃいかん展開にも関わらず、言葉の選び方が面白くて…
所々で、震える。

しかも、[ここで時間が分岐した。]という宣言のもと、
(宣言するのも、どーかと思うが。)
見てるテレビと娘の悲劇が同時進行。
やたらと詳細で詩的な番組の説明、画面の無理矢理な劇的描写が連なる。

テーマが現在に移り、死について語られだすと、
かなり本物らしい感じの詩になりだしますが。
その分、注釈が荒れ狂いだす…


 注釈:五九六行 地下室の水溜りを指さすのだ
  欠陥のある配管を表わす無味乾燥な用語のなかから、
 何かしら冥府の川が滲み通り忘却の川が漏れ出てくるような、
 そんな夢を見ることがあるのを、われわれは知っている。


注釈によって語られるゼンブラという国の物語。
これが、徐々に面白くなってきて先が知りたくなってくる。
過去と現在が繋がっていくスリルも楽しめる。
一風変わった形式では有るものの、
結局のところは、とても小説な本。



これから読もうと思った人、ここからネタばれ注意。


ウラジーミル・ナボコフ~ウラジーミル・ナボコフ~ウラジーミル・ナボコフ~
ウラジーミル・ナボコフ~ウラジーミル・ナボコフ~ウラジーミル・ナボコフ~

どうやら、注釈者が狂人だったというオチ。
どれぐらい狂人か?が問題らしいが。
自分自身を錯覚してるようだけど、
詩に関しては愉快犯ですな。
ゼンブラを謳いあげて欲しかったのに、
詩を読んで、愕然と絶望したという事実。
気を取り直して、詩に対してではなく、自分に魔法をかけて読む。
で、こじつけゼンブラ物語詩の出来上がり。
ここら辺の事が、本人にも分かってるようなので。
詩に関しては執念深い奇人どまり、と見た。

解釈は色々あるらしく、
この本に関する解説本、追求本もあるらしい。
こうなると、詩+注釈の小説の解釈本の解説本が必要になりそ。
そうなると、詩+注釈の小説を解説+解釈した上での解釈本に対する解説+追求が要るってこと?

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。