木のぼり男爵の生涯と意見

いい加減な映画鑑賞術と行き当たりばったりな読書によって導かれる雑多な世界。

「カウガール・ブルース」トム・ロビンズ

2016-02-16 19:02:26 | 日記


「カウガール・ブルース」トム・ロビンズ


ハウデイ(やあ)!

アメーバ→ダコタで一番素敵な屋外便所→親指。

引用はウィリアム・ブレイクからロイ・ロジャーズまで。

88章:ピアノの鍵盤と同じ数になったと報告。
104章:脳と親指の対話。
100章:とりあえず乾杯。。。


自由な書きっぷりに感服。
そこここに流れる哲学に感涙。
思わず興奮のロデオな文章でお送りする哲学ヒッチハイク。

“もし一羽半の雌鳥が一日半に一個半の卵を産むとすれば、
木製の義足をもつ猿がキュウリのピクルスから種を蹴り出すのに、
何日かかるでしょうか?”


全体重の四パーセントを占めている親指を持つシシー。
そう──ヒッチハイクは彼女の天職であった。。。
そんなシシーに夢中なイェール大卒のモホーク・インディアンのジュリアン。

男の行動と女の匂いを軽蔑している伯爵夫人(カウンテス)の依頼で、
ブギが終わり、ウギが始まるラバーローズ牧場へ向かうシシー。

そこでは、個性的なカウガール達が好き放題に振舞っていた。。。
カウガールになりたい子供がいたら、それは実現されなくちゃいけない、
という信念を持つボナンザ・ジェリービーン。
男性を敵視する好戦的な鞭使いデロレス・デル・ルビー。
女性が再び主導権を握る為に、女性的なやり方を理想とするデビー。

牧場を見下ろすサイウォシュ山の洞窟に住む老隠者チンク。
‘時計仕掛け’を中心に営まれる‘時計の民’の考える世界とは?



卵が先か?鶏が先か?
世界が先か?自分が先か?
親指が先か?ヒッチハイクが先か?

時間と移動。
他者と自分。
生まれと価値観。

ホラ話的空間に流れる鋭い指摘と冷静な感覚。
偏狭な登場人物達が闊歩する中、
全編に散りばめられたメッセージ。
クレイジーな文章で煙に巻かれつつ味わう世界観。
高尚さとは無縁の、下品さが心強い思想書。
時に淫らにお届けする通俗哲学ファンタジー。
(人間なんて、所詮、大便をしSEXを楽しむ考える猿でしかないってね。
って、それボノボ~!!)

現実とジレンマ。
答えは無くとも、真実は在るのさ。

親指を取り巻く肯定と否定。
アイデンティティ、生き方に及ぼす肯定と否定。
‘あるべき’ではなく、‘そうある’そのままを受け入れる──。
‘始まり’のものがたり。
ハッハッ、ホーホー、ヒーヒー!



「百年の孤独」に「アメリカの鱒釣り」が寄り添うと、
カウガールのブルースが聴こえてくる♪



 “病気だから休むという電話をする人のことなら、
きみは聞いたことがあるだろう。きみ自身、病気だから休む
という電話をしたことが何度かあるだろう。しかし健康だから
休むという電話をすることを、きみは考えたことがあるだろうか?
 それはこんな具合だ。きみはボスを呼び出して、こう言う、
「ねえ、ぼくはここで働き始めてからずっと病気だったんだけど、
今日は健康になったんで、もう働くのはやめるよ。」これが健康
だから休むという電話である。”

名訳だと思うんですけど?




 なぜなら、どんな文明も自然に暴力を加えずには成立しないこと、
文明が地球全体をしだいにセメントとブリキ造りの味気ない血の通っていない施設に
変化させていること、最初はひじょうによい理想主義的な動機で始まったことでも、
ことごとく暴力や、戦争や、人間を苦しめるものに必然的に変わってしまうこと、
さらに、平均的な人間は天才たちの助けなしには生活を持ちこたえることが
できないこと、それにもかかわらず平均的な人間は天才の不倶戴天の敵であり、
いつもそうならざるをえないこと、そのほか、上に述べたようなこと以外に何であれ
宿命的に解決不可能なこの世界のいろいろな矛盾を、私たちは日常、眼にしている
からである。     「地獄は克服できる」ヘルマン・ヘッセ


 われわれは堕ちた天使ではなく進化した猿である。
猿は武器を使って殺しをする。してみれば何を驚くことがあろう?
殺人や、虐殺や、ミサイルや、和解を知らない敵軍同士のことで。
一方、効果のほどはともかく、われわれは条約を結ぶ。まれであるにしても
調和の賛歌を歌う。しばしば戦場に変わるとしても穏やかな田畑を持つ。
めったに実現しないけれども夢を抱く。人間が奇跡であるのは深く堕ちたからではなく、
高くのぼってきたからだ。われわれが星々のあいだで知られるのは屍によってではなく、
詩によってである。   byロバート・アードリー 「驚異の百科事典男」A・J・ジェイコブズ

『マクナイーマ つかみどころのない英雄』

2014-02-15 15:42:28 | 日記


「マクナイーマ つかみどころのない英雄」マリオ・ヂ・アンドラーヂ


映画は訳わからなんだが。
この原作…
予想を遥かに超える飛ばしっぷり。

奔放な想像力、とどまるところ知らず。
そして、マネしたくなるごっつ楽しい訳文。

ラテンアメリカ文学の威力、恐るべし。


ジャングルの奥地で生まれた醜い英雄マクナイーマ。
口癖は「あぁ!めんどくさ!……」
超ものぐさ、ひたすら女好き、トラブルメーカー。
せめて、イケメンにしてくれ。と願わずにいられない設定ですが。
英雄を甘くみちゃいけません。
占い師から、‘賢い’というお墨付きをもらっとります。
が、性格が悪いとしか思えない思考回路。
そんでもって、行動が褒められたもんじゃないんすけど?
それでも何故か英雄扱い。


大まかな展開としては、
いたずら好きな英雄が、魔法でいきなり大人になり。
森の母神さまシーを超強引に妻にするも。
息子と妻を失い、絶望しながら森をさまよう。
蛇女との騒動で、妻の形見‘ムイラキタン(お守り)’を失くしてしまう。
巡り巡って、サンパウロの商人がお守りを持っていることが判明。
ムイラキタン奪還の為、英雄は兄弟三人で都会へと向かう。
都市生活でのハチャメチャぶり、商人との対決。
そして、懐かしい故郷へと帰ってゆく。


土着の生き物達や、植物の名前がふんだんに盛り込まれ。
蟻やらノミに名前がある上に、会話出来るというフレンドリーさ。
星座や月の物語に行き着くファンタジックさ。
人食い巨人や、悪魔のエシューが登場するダークさ。
暇さえあれば、じゃれあう奔放なエロさ。
不条理観漂う、予想出来ない展開に驚きの連続。



“マクナイーマの泣き叫ぶ声があまりにも大きかったので、
長い夜は短くなり、びっくりした鳥たちは地面に落ちて石になってしまいました。”


森の守り神クルピーラに足の肉をわけてもらう。
え?アンパンマン?な自己犠牲的な親切。
でも、気が付いたら、追いかけられてたり。

“「おれの足の肉!おれの足の肉!」
英雄のおなかのなかで肉は答えます。
「どうした?」”

って、肉が答えるなよ。
う~ん。なかなかマネ出来ん作戦やなぁ。


偶然出くわしたおばあさんに、悪行(いたずら)を告白。
その自慢げな悪童ぶりが眼にあまり、
毒汁(魔法)をかけられて大人になる。

“でも、濡れなかったあたまは永遠におろかなまま、
顔はみにくい坊やの顔のままになったのです。”

デビュー名、アグリー・ベイビーフェイスね。



生まれた息子に、マクナイーマが毎日言い聞かせる言葉。
「息子よ、さっさと大きくなってサンパウロに金をたくさん稼ぎに行くんだぞ」

……。
英雄~。その願望、リアル過ぎー。



サンパウロ目指して出発する際に。
な~ぜ~か、マラパター島のハシラサボテンの上に良識を置いていく英雄。
…っつうか、良識持ってた事実が衝撃的。

道中、魔法がかかった水で全身を洗ったマクナイーマ。
肌は白く、髪は金髪に、瞳は青くなる。
こらこら、変身しすぎ!


持参したカカオの粒!をお金に換え、都市生活を始める三兄弟。
近代化(機械化)された大都会。
そして、都会生活初日に、女を買う英雄に驚愕…
しかも、病気とかうつされてるし。。。
とほほ。。。

このまま都会に飲み込まれるのか?と思いきや。
ほどほどに堕落。
もともと、怠惰なもんで、人間的な成長とか期待せんといて。


サンパウロの大金持ちであるペルーの商人が、人食い巨人って…
非常事態にも、ほどがあるわぃ。


マクナイーマがうっかり死亡してしまう度に、
まじない師の兄が、再生?したり。
女装して巨人を騙したり、悪魔に仕返しを頼んだり。
太陽の女神ヴェイに女遊びを禁止されたり。
アマゾンの淑女がたに、金の無心ならぬカカオの無心の手紙をしたためたり。
(この美文調で綴られた手紙が、文明に対する皮肉たっぷりで笑える。)
昔々、自動車はピューマだった説を披露したり。
汚いことについて、大ミミズと小一時間話し込んだり。
がっかりしたせいで、兄さん達の背が五メートルになってしまったり。


都会で初めて機械という存在を知った英雄。

“キカイは人間を殺しますが、そのキカイを操っているのは人間なのです……。
神秘もなければ意志もなく、疲れもしないキカイは、
それ自体では不幸の原因を説明することのできないもので、
その主は神秘も力もないマンヂオッカの子どもたちだということを確かめて、
びっくりしました。”

キカイなるものに対して真剣に検討した結果。
‘キカイは人間で、人間はキカイなんだ’という閃きを得た英雄。
兄を電話機に変えたり、なんでもかんでもキカイ扱い。


う~ん。驚異的な変身率の高さ。
そして、追いかけられる確率がハンパない。
原因も逃げ方も、とてつもない。

登場キャラのほとんどが、いじわる。
が、英雄自身が意地悪で嘘つきという…根性の悪さ。
全編に散りばめられた、滑稽でさえある残酷さ。

原始的と言うべきか、神秘的と言うべきか?

自然に対する郷愁に満ちた一冊。
滅びゆくものに捧げられた物語。

「マクナイーマ つかみどころのない英雄」マリオ・ヂ・アンドラーヂ

《アメリカン・ハッスル》

2014-02-10 00:20:12 | 日記


『アメリカン・ハッスル』(2013年アメリカ)

成り上がり人生を賭けて、熱戦が繰り広げられる騙し合い。
諸事情により、あっちでもこっちでも醜い争いが勃発。
スピーディな展開でおくるノンストップ人生ゲーム


Wワークで詐欺稼業を営むアーヴィング。
運命的な出会いをしたシドニーとグルになり業績もラヴライフも絶好調。
しかし、FBIにしてやられた二人は、仕方なく捜査に協力するはめに。
詐欺師を逮捕する為に始めた囮捜査は、政治家やマフィアを巻き込む大嵐に。
ヤバいことに、なりました──


妻に振り回され、愛人には詰め寄られ懊悩。
愛する息子と離れたくない為、決断できないアーヴィング。
更にFBIからのプレッシャーが追い討ちをかける。
挙句にマフィア登場で、絶体絶命。
自分が蒔いた種とはいえ、非常事態。


家庭に帰っていく彼に、毎度寂しい思いをさせられ。
嫉妬と悔しさで悶々とするシドニー。
天性の演技力で、相手構わずカモる逞しさ。
その計算高さから、ちゃっかり保険はかけておくが。
本当に欲しいものが手に入るかどうか、怪しい雲行き。


悪い奴らには問答無用、ついでに邪魔する奴(上司)にも問答無用。
ってそれ、逆パワハラ?な熱血捜査官リッチー。
しかも、人の話聞かない症候群。ってタチ悪いがな。
超強引に押しまくる作戦(捜査)に、周り中うんざりさせつつ。
なにか大事な事を見落としてる感漂わせながら、大暴走。


引きこもりがちな、ぐーたら妻ロザリン。
夫の弱みを上手く利用しつつも、限界を感じる今日このごろ。
うっかり屋なのか、ただの家電オンチなのか不明。
危険感知能力、ほぼゼロ。
予想不可能な行動力で荒れまくる台風の眼。


地元の活性化に尽くそうと張り切り、危ない橋を渡る市長。
部下の無謀さに歯止めをかけようとするリッチーのボス。
囮捜査にノリノリな、目立ちたがり屋の、リッチーのボスのボス。


こいつら、大丈夫なのか?
って、やっぱり大丈夫じゃなかった諸々が丁寧に描かれてます。


進行形の捜査+犯罪もさることながら。
何よりも、特筆すべきは、
女優陣の衣装の犯罪的な薄さ。
ここは、クレタ島か?
胸元も太ももも、脚線美もあらわ。
そして。
70年代センス炸裂してる男優陣の髪型に。
直視していいのでしょうか?状態。
髪は有っても、無くても威力を発揮するらしい。
更に、役作りでブヨったお腹にも視線が泳ぐ~。
ホント、目のやり場に困る。
撮影現場でも、お互いに目のやり場に困ってたはず。


素晴らしき脚本の充実ぶり。
とにかく人物を描こうとする姿勢に共感。
その上、笑いまで盛り込む徹底ぶり。
監督が持つ独特のユーモア感覚。
ちょびっと過激で、ひねくれた真剣さ。

で、それを役者達が見事に表現。
真っ向から笑いをとろうとするような、
コメディアンが求められがちな大げさな演じ方ではなく。
面白いことを言ってるつもりじゃない感じ。
その人物が本気で言ってます感が、可笑しい。
笑っていいのか?なセリフも、おおいに笑うべし。
登場人物達の図太さ故に、笑うべし。


基本的には、熱演ですが。
ただの賞獲り演技合戦になりそーな所を、バランス良く演出。
絶妙の編集と、楽しいサントラ、大迫力のカツラ?が加わり。
無敵な出来ばえ。

キャットファイトシーンに、思わず。
取り合っている男のハゲでデブな事実を忘れそうに。
って、だから散々どこが魅力なのか描いてたやん。
思い出してー!
余裕のあるとこだっけ?包容力ってやつ?

その腹ボタモチなる禿頭男を取り合う美女ふたり図。
って確か日本画にもあった気が──
─無いです。


白でも、黒でもなく──グレー!宣言してますけど。
黒く塗りつぶしたくない部分があるって印象。

頭脳戦と心理戦が同時に楽しめる大人の映画。


『アメリカン・ハッスル』(2013年アメリカ)
監督・脚本:デヴィッド・O・ラッセル、脚本:エリック・ウォーレン・シンガー、撮影:リヌス・サンドグレン、
衣装デザイン:マイケル・ウィルキンソン、編集:アラン・ボームガーテン、ジェイ・キャシディ、クリスピン・ストラザーズ、
出演:クリスチャン・ベイル、ブラッドリー・クーパー、ジェレミー・レナー、エイミー・アダムス、ジェニファー・ローレンス、
ルイス・C・K、マイケル・ペーニャ、アレッサンドロ・ニヴォラ、エリザベス・ローム、ロバート・デ・ニーロ(クレジットなし)

『コズモポリス』

2014-01-31 23:12:31 | 日記


「コズモポリス」 ドン・デリーロ


真っ白な超ハイテクリムジンを、移動するオフィスとして活用する金融マン。
若くして巨万の富を築いた男、エリック・パッカー。
今日も誰かが億を稼ぎ、もしくは破滅し、あるいは暗殺される。
飽くことなく欲望を満たし、狂おしく刺激を求める日々。
彼は、今日、床屋に行きたいのだった─。


先に映画を観てからの原作読書。

映画版は、
あるひとつの経済体制が終焉する予感、を描いてる印象。
いくつもの死が語る哲学。
世界のバランスを考える思想。
王女様のローマの休日ならぬ、金融マンの富豪の平日。
どっちもボディガードが居ないと、自由を感じるらしい…

リムジンのハイテクぶりがクールなのと対象的に、
街並みが普通で、ダイナーや床屋さんは庶民派。
この対比が、なんだかSFチック。

全てを手に入れたいが、全てってなに?
生きる目的ってなんだっけ?
妙な倦怠感を漂わせながら、日課をこなすも。
冷め切った感情に、刺激と興奮を与えないではいられない。

生きている実感が欲しくて無茶をする。


精神と経済それぞれの混乱とバランス、そして崩壊。
暴力とSEX。
『ファイト・クラブ』(1999年)的なんだけど、全く違う映画。
両作品とも、なんとなくゲーム感覚なところが、現代らしさか。


エリックが最初に銃をぶっぱなすシーンの驚きが激しかったので。
原作には細々と心理描写があるのかと期待しつつ。

原作を読むとエリックの心理が、より詳細に。
不眠症ぶりや、高級マンション内の様子など。
眠れないまま部屋から部屋へと徘徊し、明け方に窓から下界?を眺める姿。
専用のエレベーターで降下、居並ぶリムジン。
そして、ニューヨークを高級車で移動。
移動って…結局浮遊してる訳?
夜は住処内を徘徊、昼はNYを徘徊?
秒単位で変動する相場そのものの、この落ち着きのなさ!

新妻との三度の食事も、まるで行きずり。
原作では、映画撮影のシーンがあり。
それホントに奥さんですか?状態。


傲慢な男が、己の生き方に対する疑問を振り払うように、
ごり押しした取引によって破産し、
最後に残った自らの命を、嬉々として賭ける。

存在価値がゼロになり、生きる熱意を失った男。
皮肉な事に、唯一の希望は彼の死に意味を見出す復讐者。

この復讐者についても、原作読むと色々判ります。
捨てられてた机を引きずってきたもんね自慢が激しいのが可笑しい。
超ビンボーなりに、持ってる物自慢してるあたりが、なんとも。
執着心のみで生きてる姿が痛いが。

せっかく果敢に立ち向かった相手がコレかよ!
エリック的には、なんとなく物足りないのか?
とんだお笑い草な盛り下がりを感じる手応え。
更に、復讐者なりにエリックを研究、理解してます的な話しぶりに。
ウググ~。
お腹がチクチクする。
血管がピクピクする。
なんかもう、バカバカしい。
生きる熱意、欲しい。。。

かくして、死亡時には、ただの破産した男。
バランスこそ重要と追求してきた男が、
前立腺が非対称、左側だけ散髪、片手に穴。
見事にバラバラな状態での最期。


惑星に植民できるほどの金額を儲け~
って、そもそもそんな天文学的数字のお金を、
どうやって実感するんだ?
画面に並ぶゼロの連続を見るしか方法がないんじゃないの?
札は用意出来ないだろうし、金塊でも用意できないだろうし。
で、結局はお金を使うことでしか実感できない…とか言わんでくれ。
惑星に、移住しちゃいなよぅう!
って、生憎、欲は有るが夢は無いもんで。

ひとりの男のエゴが、世界経済に混乱をもたらすさま。
ちなみに設定は‘二〇〇〇年四月某日’、出版は2003年。

またしても、答えを探しまくって読んだ結果。
本自体の魅力に気づかず。。。

クローネンバーグ監督がカンヌの記者会見で。
原作の文章の美しさ、特に会話が美しいので、脚本でもほぼそのままにした。
とか発言したもんだから。
慌てて、もう一度読んでみる─。

あ~あーあー。
傲慢さが美しい!!
文もセリフも短めで、簡潔かつ美しい。

“~。スクロールするように明けていく夜明けに向かって長い散歩に出たりはしなかった。
電話をする友人もいなかった。深夜の電話で煩わせてやろうと思うほど愛している友人は。
喋ることなどあるだろうか?それは沈黙の問題だ、言葉ではない。”

“彼はエレベーターで大理石のロビーまで降りた─サティの音楽がかかっているエレべエーター。
彼の前立腺は非対称だった。彼は外に出て、街路を渡った。それから振り返り、自分が暮らしているビルを見上げた。”

行動を述べながら、いきなり、さらりとカミングアウト?を入れるあたり。
なんかよくわからんがスゴいんですけど。


そして、車に居る理由を聞いた部下との会話。
“どうしてそれがわかるんだ?オフィスではなく車にいるって?”
“その質問に答えようとすると”
“どういう前提に基づいているんだ?”
“たいしたことは言えませんが。ほとんどは浅薄で、おそらくはあるレベルで不正確なことになってしまうでしょう。
そうしたら、あなたは私が生まれてきたことを憐れんでくれるでしょうね”

なんちゅー会話じゃ。
数学の証明問題みたいな事になっとる。
しかも、こんな返答どっから沸いてくるんすか?


“彼はトーヴァルが自分のことをミスター・パッカーと呼ばなくなったことに気づいていた。
トーヴァルは今では彼の名前を呼ばない。この省略は、ひとりの男が歩いて通れるほど大きな欠落を自然界に開けていた。”


ロスコ・チャペルを買いたいという彼。
“チャペルごと売ってもらえれば、それを完全な形で保存できるじゃないか。
そう話してくれ”
“どこに完全な形で保存するの?”
“俺のマンションだよ。スペースは充分にある。もっと広くすることもできる”
“でも、みんながそれを見たいのよ”
“見たきゃ買えばいいのさ。俺よりも高い金を払ってな”
“こういう生意気な言い方を許してもらいたいんだけど、でもね、
ロスコのチャペルは全世界のものなのよ”
“俺が買えば俺のものさ”

おっしゃる通りなんすけど、炎上間違いなしの発言ですな。


そして新妻との会話。
“俺は太陽系の惑星のひとつひとつで自分の体重が何キロになるか計算してみた”
“それって素敵。気に入ったわ”と彼女は言い、彼の頭の脇にキスをした。
少し母親的なキス。“科学とエゴがこんなふうに一緒になるなんて”。~


エリックの論理担当主任曰く。
“~。すべての富は、富のための富になってしまった。~”
“~。だって、資産にはもはや重量や形状がないから。問題になるのはあなたが払った金額だけ。~”

そして、同じような大金持ちが暗殺される度に、満足をおぼえるエリックに。
“あなたの才能と敵意はいつでも百パーセント結びついてきたのよ”
“あなたの精神は他人への悪意を糧に成長するの。~”
この一連の会話で出てくる【後ろめたい幸福感】という言葉。
思わしくない相手の不幸に対するストレートな感情。
肯定しちゃいけないんだけど~。
存在は否定出来ないという痛いトコついてます。


金融界に対する抗議行動のひとつとして、炎に包まれる人とか。
ラップミュージシャンの死に対してさえも。
何かしら期待してしまう【後ろめたい満足感】とでも言えるようなもの。
メディア的な考えというか、下世話な感覚というか、なんとも否定したくなる感情の記述。
金持ちは、えげつない存在かもしれんが、世間も十二分に下品。
いや~~。それ言わんといてーな現実。


復讐者がエリックと対峙し、言う。
“俺が何者だと思うか言ってみろよ”
 相手の欲求の激しさ──自分が何者か気づかれたいという、半ば媚びるような期待。

勝ち組も負け組みも、かつて勝ち負けた組も。
結局はエゴに縛られている─現実。
いや~。それ言わんといて~。

“「でっかい野心。軽蔑。いくらでもリストアップできるぜ。あんたの貪欲さ、あんたに関わった人々。
ある者を酷使し、ある者を無視し、またある者を虐待する。その自己完結性。
良心の欠如。それがあんたの才能だよ。」と男は悲しげに言った。
そこには皮肉っぽさはなかった。”



彼が死んでも、彼は終わらないだろう。世界が終わるのだ。


傲慢さの最終極点とも言える記述。
この世界観。
否定されがちな、エゴの美しきエクスタシー。


「コズモポリス」 ドン・デリーロ

《ホーリー・モーターズ》

2014-01-25 23:23:05 | 日記


『ホーリー・モーターズ』 (2012年仏・独)

気ぃ抜いて観てたら、
冒頭から何が起こってんのか把握しそびれる。

で、気合を入れて姿勢を正すも。
思考も気持ちも右往左往。。。


夢の中で、秘密の扉を開けると。
そこでは、不思議な映画が上映されていた─。
変装道具でいっぱいのリムジン。
そこに乗り込んだ男は、依頼書通りのメイクと衣装で降り立つと。
与えられた役柄を演じ始めるのだった。
誰が何の為に依頼をしているのか─?


リムジンで移動する裕福な男の職業が‘演じること’なのか?
いわゆる観客に対してではなく、
その風景を完璧なものにする為に雇われて、その場に存在する。
現実の世界に更なるリアルさを与える役目を果たしてるんか?
となんとなく把握したところで。

特撮の現場。
って、これは商業としてのプロの仕事な訳だからぁ…
現実と媒体の境目なく働く役者?

で、メルド氏、登場─。
これがまたややこしさ倍増。
かつて一度演じた役を再び演じさせる…
『TOKYO!』(2008年仏・日・韓)でドニ・ラヴァンが演じたメルド氏。
『ホーリー・モーターズ』のドニ・ラヴァン演じる登場人物が、メルド氏を演じる。
パ~ニ~ック。
なに?なんなの?
知恵熱出るって。
これはきっと深~い理由や意味が有るはず!
って、
メルド氏の格好のまま重箱弁当つついとるやないですか!
その横に置いてあるのん、間違いなくみそ汁ですなぁ。
遊び心あり過ぎやろ。
前回、東京で大暴れした草食系メルド氏が、
日本食の弁当食べてる姿(さすがに鬘は外してるけど)とか、お茶目すぎるってば。


で、次々と演じられる死。
殺人。
演じる仕事をしている同業者たち。

世間に刺激を与える為に雇われているのでは?と勘ぐりだすも。
加害者も被害者もドニ・ラヴァンが演じてる人物なので、現実には不可能だし。
シナリオを逸脱したハプニングによって、流れが変わるのか?と思わず身構えたり。
どこからどこまでが、‘演じること’なのか解からなくなったり。
やたらとリアルな状況の為、本来の人格、私生活なのか?と戸惑ったり。

解かったよーな気がしかけたら、スルリと逃げる展開。
時々あるよね、こういう‘どじょう掬いムービー’
って無いから!そのカテゴリー!
まんべんなく困惑の波が押し寄せるサーフムービー!
ってそれ、使い方違うから!


確かなのは、登場人物たちが‘何重にも演じている’ことだけ。


まー、そりゃ、現実生活でも何かしらの役割を演じて生きてるもんですけど。
しかも、相手にこう思われたいから演じるという、相手が居るから演じる事が発生するのか。
自分はこうなりたいという思いから、演じるという状況がうまれるのか。
心理的、社会的に掘り下げるべき問題で、根は深い?
その事実を監督に突きつけられたんか─?

“演じること、それ自体の美しさの為にやっている─”

この、たった一行のセリフによって、
監督が何かを突きつけるつもりなんて無いらしい、と悟る。



そんでもって、この作品の特筆すべき点。
映画として、素晴らしいシーンがあるっつーこと。

まず、映画史を彷彿させるシーンの数々。

愉快なチンパン?猿の惑星のパロディか?
車+しゃべる=カーズ!ま、まさかのピクサーネタか?
エイリアンの濃厚ラブシーンにアバターも真っ青!あ、もともと青いわ。ごめん。ごめん。

と、茶化してんのか?疑惑が頭をもたげるも。
ゴダール哲学とフェリーニ趣味、監督自身の作品へのオマージュ。
子供の時に観た映画だったり、教科書に載ってた絵画だったり、ニュースで見た映像だったり。
何かしらの記憶によって導かれる新たなるイマジネーション。

CG撮影シーンの強烈さ。どうしていいか分からなくなる凄さ。
間奏曲のシーンの興奮。なんか知らんが、血流が良くなる充実の幕間。
ミュージカル・シーンでのゾクゾクする感じ。
カイリー・ミノーグがハンパなく素敵+歌が良い+カメラワークとの相乗効果で信じられないくらいすんばらしい場面。

映画に対する憧憬と愛情なくしては、無理なシーンたち。

インタビューでは、必ず誰かが‘映画についての映画ですか?’って聞いてたみたいですが。
それも頷けるし、聞きたくなるのもトーゼン。
質問される度に、監督が‘違います’って答えてるのも、よく解かりますけど。
認めちゃったら、その時点でこの映画が死んじゃうもんなぁ。
ムービーマジックが消えちゃうのよーん。
不思議な事に、映画を理解しようとした結果、映画の可能性を奪っちゃうという─。
観客泣かせの身悶え映画。

文化、技術が遺産であり、呪縛でもあるという人類独自の課題。
芸術の呪縛と解放、そして不安を描いてるのかもしらんが。


何よりも嫉妬すべきは、監督と役者の関係でしょうー。
監督からまる投げ?された脚本を見事に膨らませて人物に命を吹き込むドニ・ラヴァン。
監督から役者へのラブレターですな。
解明するのではなく、嫉妬するのが、この映画への賛辞にふさわしいように思える今日このごろ。

映画に身を任せたくなった時に観たい一本。


『ホーリー・モーターズ』 (2012年仏・独)
監督・脚本・出演:レオス・カラックス、撮影:カロリーヌ・シャンプティエ、イヴ・カペ、
セットデザイン:フロリアン・サンソン、編集:ネリー・ケティエ、
出演:ドニ・ラヴァン、エディット・スコブ、エヴァ・メンデス、カイリー・ミノーグ、
エリーズ・ロモー、ミシェル・ピッコリ

《ジョージー・ガール》

2014-01-09 19:30:23 | 日記


『ジョージー・ガール』(1966年イギリス)

でたぁ~。
“幸せって何?映画”


近所の子供達にお遊戯を教えるジョージー。
少々ガサツで、かなり色気が無い彼女の親友メレデスはスリム美人。
メレデスは妊娠を機に、恋人ジョスと結婚するも。
妊婦姿にもベイビーにも、うんざり。
出産を待ちわびるジョスとジョージー(なんせ子供好きなもんで)にもイライラの日々。
そんな中、ジョスはジョージーの魅力に気づくのだが…


大人になれない大人、というよりも成長途中の若者たち。
それぞれ人生の次の段階に進もうとするも。
食い違ってきたり、気づいたり、挫けたりと様々。

元気いっぱいで面倒見の良いジョージー。
おしゃれが苦手で、恋愛は超オクテ。
大雑把具合、不器用さ加減がリアル。
ハンサムな王子様を夢見るも。
現実では、リッチなオジさんにお小遣いを貰ったり、
愛人にならないか?と契約書を見せられる始末。

パーティーでヤケになって歌を披露するも、
誰も喜ばず、盛り上がらず、褒められず、の痛~い感じ。
場違い含め、勘違いっぷり、トンチンカンぶりがハンパない。
そして、唯ひとり、感銘を受けるのが、金持ちのオジさん、て。
どういうこと?
ま、妻が病気がちで陰気なもんで。。。
生命力溢れるジョージーに夢中。
惚れ込んでもらえるのは満更でもないけど。
私の幸せって、この延長線上にしかないんか?
とスゴイ疑問を感じるジョージー。


メレデスの自己中ぶりも甚だしく。
世界は自分中心に回っている事を夢にも疑わない─
ま、確かに世界は美人で回ってる──って一理あるけど、さ。

注目される事、モテる事が当たり前で、それを大いに満喫していたメレデス。
妊娠、結婚で、それが当たり前ではなくなったとき。
出産後にまた男の眼をクギヅケに出来るのが嬉しくって仕方がない姿。
彼女にとって生きるって、こういう事な訳なので。
家庭を築くという向き不向きというよりも、今現在、家庭が欲しいかどうか?
─の周りじゅうを巻き込んだ学習法。


外見にばかり眼を取られて、メレデスとイチャついた結果、結婚するジョス。
彼女の血も涙もないヴィッチぶりに、ようやくジョージーの愛情深さに思い至る。
で、追い掛け回す。
は?
ある意味、超ポジティヴ・シンキング・ストーカー。
‘アイ・ラヴ・ユー’と連呼しながら、街中追い掛け回す姿。
仕舞いにゃ、服を脱ぎだすという求愛行動に発展。
人類の発展に真っ向勝負な心意気。
濃ゆ~いアラン・ベイツが大迫力で迫ってくるぞぅ~。
ナマハゲに泣く子供の気持ちが、分る!分るわぁ~!
って、このシーン、見所のひとつでっせ。

ジョージーと暮らし始めるも、赤子最優先な彼女。
まだまだ彼女の一番で居たいジョス。
ジョージーの愛情の配分の問題か?
ジョスが父親になるには、早すぎただけか?
見事にすれ違い、上手くいかなくなるふたり。


そして、結局、子供の為にお金持ちとの結婚を選ぶジョージー。
愛の無い結婚?
そもそも子供に愛情注ぎ過ぎて、他に注げる愛情なんて残ってないもんで。
幸せになるぞ!気合と期待でいっぱいな夫そっちのけで。
ベビーのほっぺにスリスリするジョージー。

………。。。
幸せってなに?


ジョージー役のリン・レッドグレーヴの野暮ったい動きの演技が、実にイイ感じ。
アラン・ベイツの若さ弾ける迫力が、見応えあり。
シャーロット・ランプリングのキュートさ!だけどヴィッチな堂々たる姿。
なんせ三人の若さが画面いっぱいに焼き付けられてる、お宝映画。
そしてジェームズ・メイソンの幸薄そうな顔が対照的。
好意ある強引さをここまで不気味に出来るのはメイソン氏ならでは。


誰得?とか考える自分が卑小な生き物に思えてくる一本。


『ジョージー・ガール』(1966年イギリス)
監督:シルヴィオ・ナリッツァーノ、原作・脚本:マーガレット・フォスター、脚本:ピーター・ニコルズ
出演:リン・レッドグレーヴ、ジェームズ・メイソン、アラン・ベイツ、シャーロット・ランプリング、
レイチェル・ケンプソン、ドロシー・アリソン

2013年 本、映画、音楽、動画

2013-12-30 15:14:43 | 日記


2013年 本、映画、音楽、動画

まずは、印象に残った本。
と言っても、そもそもあんまし本読んでない一年。。。

「心臓抜き」ボリス・ヴィアン
「遠い声 遠い部屋」カポーティ
「夜の来訪者」プリーストリー
「死んでいる」ジム・クレイス
「ブラッド・メリディアン」コーマック・マッカーシー


そして、映画。
新作は見逃したものが多いので、来年に持ち越し。

『断絶』(1971年アメリカ)
『ウィッカーマン』(1973年イギリス)
『テッド』(2012年アメリカ)
『マリア・ブラウンの結婚』(1979年西ドイツ)
『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』(1966年イタリア)
『召使』(1963年イギリス)
『女王陛下のダイナマイト』(1966年フランス)
『ホーリー・モーターズ』(2012年フランス・ドイツ)
『ゼロ・グラビティ』(2013年アメリカ)


これでもかというほど繰り返し再生した動画

John Keats-Ode to a Nightingale ベネ様の朗読とBGMが最強のうっとり度数
Tim Minchin-Dark Side(Awesome Version)ジャジーロック最高のおバカ度数に熱狂
William Shatner-Common People ある意味、反則。でも最強。やみつき。


The Jam-Ghosts
Kasabian-Shoot The Runner
Under Pressure (Queen,David Bowie)
The Black Keys-Lonely Boy (Official Music Video)
Tom Waits-Grapefruit Moon
David Hallyday,Laura Smet-On Se Fait Peur
Arctic Monkeys_Teddy Picker (2007)
Leningrad Cowboys_Those were the Days by Aki Kaurismski 〔High Quality〕

アイルランド三連発─アイルランドに引っ越そうか思う。。。
Bell X1 | The End is Nigh
Walking on Cars-Catch me if you can
Hozier-Take Me To Church


Handsome Men's Club (Jimmy Kimmel Live)
“Weird Al”Yankovic_Smells Like Nirvana


そうねぇ、
来年は本でも書こうか─?

「自滅ッター列伝 炎上への道─アカウント削除という名の無名税~その時誰かが‘訴訟’と囁いた~」

「世界遺産への落書きの詳細なる分析─旅行におけるアドレナリン増加による行動~人格と軽率さの考証」

「脳医学からみたアジアの友好と未来─砂糖で結ぶスイーツ交流~ほどよい甘さとは?」

「Just Do it!垂れ流される情報にエレガントに踊らされ、セクシーに流される方法」

「空想科学経済学:にわか雇用で現実逃避─おもてなしが、一時的に経済を救う~その後?それはまた別の話」

「俺のベジタブル~草食系レストランの挑戦 店入ったら、畑ってどういうこと?」

「ブラック企業 カバでもわかるカラーチャート集」

「ニートは宝くじを買うべきか?~ニートの貯金事情にみる来年のFX指数」

「勝ち組に騙されない為の負け組みサバイバル術~遠吠えにかける青い春」

う~ん、、、企画倒れやな。。。

《47RONIN》

2013-12-20 15:12:32 | 日記


『47RONIN』(2013年アメリカ)

この企画、大丈夫?

ということで、足取り重く映画館へ。

ロード・オブ・ザ・リングが始まったか?
いや、SAYURIか?
え?敦煌!?
で、いきなり─もののけ姫が繰り広げられる。
。。。
その後は、ラスト・サムライと里見八犬伝煮込みマクベス風味。
一部、パイレーツ・オブ・カリビアン。。。
なるほど、ね。
って納得するかぁー!!

そもそも物語りの発端がキアヌ扮するカイって・・・
そこから始められちゃったら、
忠臣蔵的には「違います!」大合唱するしかなかろーが。
反射的に思いっきし否定してまうがな。
ま、それを乗越えつつ、ハリウッドを信じねば、と念じつつ。

諦めた─。

凛々しいキアヌ(相変わらずセリフはボー読み。でもキアヌなら可。)を中心に提供される
アトラクションとして楽しむことにする。
んだけど~。
なんか~、誰が主役なのやら感が漂いすぎ。

真田さんの落ち着いた役者ぶりが、予想以上にみごと。
もちろん、アクションも上手いし。
で、女優陣が大健闘。
柴咲さんたら、文句のつけようのないヒロインぶり。
菊地さんの妖怪ぶりも堂に入ったもんで、ドラゴン化しても魅力的。
更に、りく役の國元さんもかなりイイ感じ。
アジア的しっとり感(清楚って言うべきか?)と清潔感(だから清楚だってば)。

三女優に満足したところで、天狗きたー!

きたけど、即効却下。
天狗、デーモン扱い。
年老いたジグソウみたいなことになってますけど。
(ほっペにクルクル書いてやるぅぅう!)
天狗猿のほーが、よっぽど、、、
スシ、フジ、テ・ン・グ。
いっそ、世界中に広めてくれ。

おっと。
取り乱したら、負けや!

アメリカ資本でほぼ日本人キャストで製作された大作。
ストーリー、衣装、セットとちぐはぐ。メチャクチャですけど。
取り乱したら、いかんぜよ。
この戦、パニくったら負けや!!
ん?
参戦せよ!って、そういう意味か?

アメリカ資本に、おもてなしの心で臨みたい一本。

『47RONIN』(2013年アメリカ)
監督:カール・リンシュ、原案・脚本:クリス・モーガン、原案:ウォルター・ハマダ、脚本:ホセイン・アミニ、
撮影:ジョン・マシソン、プロダクションデザイン:ヤン・ロールフス、衣装デザイン:ペニー・ローズ
出演:キアヌ・リーヴス、真田広之、浅野忠信、菊地凛子、柴咲コウ、赤西仁、田中泯、
ケイリー=ヒロユキ・タガワ、國元なつき


《ローラ》

2013-10-27 12:55:22 | 日記


『ローラ』(1981年西ドイツ)

ファスビンダー監督によるメロドラマ。
メ、、、メロ、ドラマ?

これがまた、想像以上にメローなドラマかつメロドラマ。
中盤、眠気に襲われるし。
やたら長ったらしいシーンもあるし。
こりゃあ失敗作か?と思いきや。
あまりにも鮮やかな終結。
パタパタと一気に決着。
パラパラ漫画かよ?的にそれぞれの人生が動きだすさま。

そして、何もかも皮肉。
ヨーロッパ映画の描く皮肉、恐るべし。
立場や状況、人生がことごとく反転、逆転するっつー。
見渡す限りの皮肉、容赦なく転がる人生。
これを見せる為の映画だったのかぁ~。
すげえ。
やっぱ凄いわ、ファスビンダー。
とはいえ、眠いもんは眠いけどさ。


汚職や堕落を許さない堅物の男。
とある役所に着任したところ、新たな建築案が進行中。
超なーなーで、隙あらば欲を満たそうと蠢く連中。
もはや大人の事情どころじゃなく、虚偽申請、着服、賄賂と、、、
一部の上層部、豊かな者達がせっせと私腹を肥やす状態。
そんな彼等に、NOと言った生真面目な男が。
美しく清楚な女性と恋に落ちるが…


画面がピンク色がかってるのが、妙に楽しい。
ローラ役のバルバラ・スコヴァが抜群。
というかバルバラ・スコヴァを堪能する映画といっても過言ではないって。
フワフワの金髪がピンクな画面に映えること。
くっきり二子山な唇が、時にローズレッドだったりローズピンクだったり。
夜の女のセクシーな衣装と、昼間のお嬢様スタイル。
ドイツ版マリリン・モンローか?と見まがう着こなしっぷり。
しかも歌も上手い。
したたかさと、すねた感じ、浅薄さが見事なバランス。
ヒドい女なのに、あまりにも嫌味が無いため。
観客もついつい受け入れちゃう堕天使ぶり。


ラストでローラの娘に同じポーズをさせるあたり。
次の小悪魔の誕生かよ?
思わず背筋に、なにかが走ったわぃ。

信念、生き方。
自らのアイデンティティに関わることすらも、投げ打っちゃう。
ローラに夢中なオっさんの、シミジミとした幸せ宣言に──
個人的に敗北。

幸せってなに?


『ローラ』(1981年西ドイツ)
監督・脚本:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー、脚本:ペア・フレーリッヒ、ペーター・メルテシャイマー
出演:バルバラ・スコヴァ、アルミン・ミューラー・スタール、マリオ・アドルフ

『冷血』『犯罪』『ブラッド・メリディアン』

2013-10-24 20:30:03 | 日記


「冷血」カポーティ、
「犯罪」フェルディナント・フォン・シーラッハ、
「ブラッド・メリディアン」コーマック・マッカーシー

モ~ン。
この三冊で、何か見出せるかと期待。

う~ん。
見出すとか甘かったわ。
むしろ陥った。。。
混乱と当惑に。
まんまとルツボに嵌った。

凶暴なのと、残虐なのは別もの。
残虐性とだらしなさは最悪の相性。
気まぐれに繰出される暴力的な残虐さは。。。
もう、ダメ。
耐えられんて。

「冷血」
1959年にアメリカの農村で起こった一家四人惨殺事件を描くノンフィクション・ノベル。

「犯罪」
弁護士である作者が実際に遭遇した事件の数々をヒントとして執筆したフィクション。

「ブラッド・メリディアン」
十九世紀半ば、アメリカ南西部とメキシコで行われたインディアン虐殺を、部分的に史実に基づき描く。


「冷血」
殺人罪で絞首刑となった二人の犯人、犠牲者、村の人々などの生活、性格などが丹念に描かれる。
情景描写や心理描写など、文学的に完成度の高い作品。
なので、暗雲たれこめる内容にも関わらず読み進めやすく読み応えあり。

一家が選ばれた経緯に愕然。
事件の成り行きにボーぜん。

最後の一歩を超えた理由が、相棒になめられないようにって?
この取り返しのつかない愚かしさ。
殺人を計画する事と、実行する事の間には確かにラインが。
でも、この場合なんか違うぞ。
縛られて抵抗出来ない人を撃つという行為の卑劣さが置いてきぼり。
殺すか殺さないかだけを問題にする若者ふたり。
お互いに後に引けなくなるお粗末さ。

だらしなさと悪知恵、無関心と弱さ、見栄と傲慢さと自意識過剰。
それぞれふたり分、悪い方向にミックスされ助長され辿り着いた先は絞首台。

暴力に日常的に接していると、暴力行為を自分と切り離し、俯瞰してみるようになる──。
実際に手を下したペリーは、育った環境に恵まれず、
劣等感と妬みに苛まれ、世界を憎みつつも自分を理解してもらいたいと渇望する日々。
たいていの若者は、思春期に似たような感覚に陥ると思うんだけど。。。
まるで処刑のような殺害方法が、
世間に対する復讐のようで、
暴力そのものの恐ろしさよりも、殺意の強さが恐ろしい。



「犯罪」
いつ犯罪に巻き込まれるかなんて分からない。
加害者なのか、被害者なのか?
─それが問題だ。
けどぉ~、それこそ誰にも分からない訳で…

短編のミステリーとなると、やはりネタ勝負になる為。
どーも、作家の性格の悪さが前面に押し出される気がする。
たいてい読んでて、そんなぁ~という思いをする事が多い。
その点、本書はバランスが良いので偏った印象は受けず。

で~も~。
文章が簡潔なせいもあると思うが、
登場人物に対する距離感が感じられるのが、どうも、、、
どの話もギュッと凝縮されてるのは分かるが。
(というか逆に長編にもなりそう。)
あまりにも無駄が無さ過ぎて、居心地が悪い。
ま、優等生的な息苦しさだけども。



「ブラッド・メリディアン」
んむ。
ページをめくれどもめくれども暗い。
充満する陰気な雰囲気に、読み進む気が失せ、いったん挫折。
ひたすら体温が、人肌が、恋しくなるも。
気を取り直して、再チャレンジ。
作者の落ち着いた筆の進め方が─
作家の冷静さが、恐ろしさを倍増させてるとしか思えん。。

そして。
判事と呼ばれる巨漢の男が、悪魔にしか見えん。
『D.N.A』でのマーロン・ブランド(ドクター・モロー役)の姿がちらつく。
さらにジャバ・ザ・ハットがサブリミナル効果で邪魔してくる。

‘頭皮狩り隊’が名前そのものズバリの凄惨さ。
徐々に、相手構わずの血みどろヴァイオレンスに。
行き当たりばったりの残虐行為、
敵も味方もあったもんじゃない野蛮さに
げんなり、げっそり。
読み終わったあとに、自分はやつれたんじゃないかという錯覚に陥る。
酷いけど、スゴい本。

あとがきには、ニーチェだの『白鯨』『闇の奥』だのが引き合いに出されてますが。
個人的にはエドガー・アラン・ポーとか『ファウスト』をピカレスク仕立てにした感じに思える。

自らの命を賭け、命をもてあそぶという究極の魔にとりつかれ、
他人を信用しない人物が、生き残ろうとすると、こうなるんか?

必要無い殺しはしない主義の主人公には、優しさよりも、生命に対する憐れみを感じる。

確かに戦争において、誰が死に誰が生き残るかなんて誰にも予想も約束も出来ない。
戦争は究極の賭けであり、勝ち負け、生き死には運命によって導かれる。
故に、戦争は神である─。
命を奪うか生き残るかの道を与えることになるのだから、、、
身も蓋も無いがな~。

繰り返される戦争に対して、人類に疑問を持つ必要もないってか。
学ばないんじゃなくて、学べないって?
だって、賭けだもの。
相手を出し抜く方法は学べても、回避する道なんて無い?
んな、殺生な~。

運命という大きなうねりの中で、魔が導く小さなうねりを目撃する羽目になる一冊。