映画・アート・時代を読む

映画、演劇、アートの感想や批評、ときには日々の雑感を掲載します。

ガイアの夜明け―がんばれ日本型経営

2009-06-30 22:58:22 | Weblog
東京12チャンネル「ガイアの夜明け」(6月30日放送)で、熊本市の老舗メガネ店「大宝堂」紹介されました。経営不振でも社員の首を切らない会社として。

社長の布田さんは、温厚な人柄で、私の関係した文化活動にも、会社の経営とは関係なしに、積極的に協力していただいたことがあります。

番組では、正社員や管理職のリストラを冷酷に強行する外資系企業との対象として、社員を守る経営を貫く布田社長の姿が感動的に紹介されていました。

東京12チャンネルは前日の「ガンブリア宮殿」で、社長や管理職のいない、社員本位の企業が、どんどん売上を伸ばしている姿を紹介していました。

これまで日本型経営を時代遅れと批判してきた無教養なマスコミ人も、ようやくアメリカ型の経営、株主中心で、社員を大事にしない経営の在り方に疑問をもつようになったようです。そういえば『日本でいちばん大切にしたい会社』という本にも同様のことが書かれていました。

本来商売は、作る人や売る人と買う人との関係において成立するものです。株主(スポンサー)のほうばかり向いていては良いものはできないことは、マスコミ人は経験的に理解しているはずなのですが、世の中の風潮に流されて自分で物事が考えられないのでしょうね。

商いの基本はコミュニケーション、根本は人と人との信頼関係、それはお客に対してだけではなく、会社内部においても同様でしょう。

雇用政策としては二つの選択肢しかありません。平気でリストラできる経営をするかわりに、国が徹底してセイフティネットをつくり、働く人(=国民=消費者)が首を切られても何とか希望を失わずに暮らせるシステムをつくるか(北欧型)、国がそこにお金をつぎ込みたくなければ、企業が徹底して社員を守るようなシステム(日本型)にするかのどちらかです。

どちらのシステムも確立できない社会に未来はありません。今の日本はまさにそうです。

アメリカ流が破たんした現在、日本流か北欧流しかありません。とりあえず日本流を見直そうではありませんか。

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映画「ディア・ドクター」・・・「嘘」と「実」のあいだ

2009-06-28 09:48:33 | Weblog

これぞ映画。「ディア・ドクター」を観ていて、作品にあらわれる、演出の細やかさと人間観察の奥深さに、何度も感心させられた。
とりわけ、余貴美子、八千草薫、井川遥、この三人の女優の演技は見事だ。

前作「ゆれる」に比して、ユーモアあふれる描き方、へき地医療という社会問題への着目、という点では、より作品の厚みが増した。

「嘘」と「実」、「正義」と「悪」、何よりも物事を二元論的に割り切ろうとする風潮に対して、西川美和監督は、人間の真実は、その両極のあいだにこそあると訴える。

飄々とした鶴瓶師匠の表情の奥底から垣間見える「人間の悲しみ」。それを見出し主役に抜擢した監督の人間観察力に脱帽。

現在のところ今年度最高の一本。

(写真はgoo映画より)
ディア・ドクター - goo 映画

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愛を読む人 戦後世代と戦争責任

2009-06-23 08:03:45 | Weblog
「愛を読む人」。このロマンチックなタイトルに惹かれて映画を観た観客は、予想外の展開と全体の沈鬱なトーンにとまどうことだろう。

そうこれは、美しい中年女性と少年との甘美なラブストーリーなどでは決してない。戦後世代の戦争責任を問う、真摯な問題作である。そのモチーフは、1963年から65年にかけて実際に行われた「アウシュビッツ裁判」。それは、戦後初めてドイツ人がドイツ人を裁いた裁判である。

 映画は、1995年、初老の主人公マイケルの暗く重いまなざしからはじまる。何か重苦しいものを心の中に抱えた男。その男の過去が語られていく。

 若いころに自分が愛してしまった女性はナチスの戦犯であった。主人公は、その事実と向き合い、格闘し続ける。そしてハンナの悲しい結末が、彼の人生をさらに悔悟に満ちたものにしていく。

 原作には次のような一節がある。
「いつのまにか、あれから10年がたってしまった。ハンナが死んで間もないころは、昔の疑問がぼくを苦しめたものだった。ぼくはハンナを裏切ったのだろうか。ぼくはハンナに借りがあるのだろうか。ぼくは彼女を愛したことで罪あるものとなったのだろうか。ぼくは彼女の思い出から離れるべきなのだろうか。どうやって離れたらいいのだろうか。ときおりぼくは、彼女の死の責任も自分にあるのかと考えた。そしてときには、彼女に対して、また彼女がぼくにしたことに対して、腹を立てた。怒りが力を失い、問いが意味をなくしてしまうまで。ぼくがしたこと、しなかったこと、彼女がぼくにしたこと―何であれ、いまではそれがぼくの人生なのだ。」

この映画を一言で表現すれば、ある戦後世代ドイツ人の良心と悔悟の物語ということになろうか。そしてそのような良心と悔悟をはたしてわれわれ戦後世代の日本人は持ちえてきたのだろうか。いや「知ってしまった」過去の犯罪とどう向き合うか、を問う前に、教育が、教科書検定を通じて、若い世代に知らされないようにしてきた、あるいはそのことを許してきた責任をまずは問うてみたくなる。

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福島智  バリアフリーの教育

2009-06-20 23:29:45 | Weblog
今日は、東京大学安田講堂で、「教育のバリアフリー、そしてバリアフリーの教育」という公開フォーラムに参加した。これは、東京大学教育学研究科に新たに設けられたバリアフリー教育開発研究センターの開設記念行事として行われたもので、メイン講師は、福島智(東京大学先端科学技術研究センター教授)氏であった。800名の参加者の多くと同様に、私も福島氏の講演を聞くことが目当てでこのフォーラムに参加したのだが、氏のお話はもとよりフォーラム全体から予想以上に大きな収穫を得ることができた。

私が強く共感したのは、「バリアフリー」という概念をどのように理解するかという点だ。バリアフリーとは、すなわち「障壁のない状態」を指す。そしてわれわれはしばしばそれを社会のめざすべき理念型として語る。しかしながら、それを一つの理念として語った瞬間、それは対極の現実を前に、空虚なスローガンと化してしまう。また「バリアフリー」は、人間の善意ややさしさを前提とした調和的な社会規範としてしばしば理想化されがちである。

それに対して、福島氏は「バリアフリー」にとってのポイントは「異質なものがぶつかり合うときの摩擦や衝突」であると主張した。

つまりバリアフリーにとって重要なのは、人間のやさしさや共感、調和ではなく、誤解、葛藤、対立、抗争なのだ。それは、障害者と健常者(それはときに逆転することすらある)の、あるいは障害者と障害者の葛藤(例えば「段差や起伏」など身体障害者にとって不便なものが、視覚障害者にとって有意味であったりすることがある)、対立の一つ一つを克服していく過程としてのアゴーン空間である。

その意味で「バリアフリー」とはある完成された理想状態を指すのではなく、いまだ完成されざるものに向けた「未完のプロジェクト」を指すものでなければならない。

彼の「バリアフリー」論は、慈善家のそれではなく、まさにその葛藤の渦中にあった(にある)人間の言葉としてとてもリアリティがあった。福島氏は言う。「人間は異質であり、完全に同化できないがゆえに、つながり合おうとし、コミュニケーションを求めるのだ。」

暗闇と静寂、孤独のふちにあった彼を救ったのは「指点字」であった。彼は、指先の感覚だけで、この世界とつながり、この世界へとコミュニケートする。

近年、教育の世界で「コミュニケーション力」といったことが盛んに言われるが、彼の語る「コミュニケーション」は、それとはまったく別物である。それは「社会的動物(ゾーン・ポリティコーン)」としての人間存在の条件とも言い得る。「バリアフリー」とは、われわれの社会が、人間の条件としての「コミュニケーション」を回復する営みなのだ。

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竹石鹸のネイチャーテクノロジー

2009-06-17 08:21:18 | Weblog
今日、NHKニュースで、
ネイチャーテクノロジーのことを知りました。

生物や植物の中にある天然の成分や素材の効能に注目し、新たな技術や商品を生み出すというものです。

これって、私が愛用している「淡竹(はちく)石鹸」のことじゃない?
そう思いました。

竹には、驚異的な成長力があり、そのパワーは様々な分野に応用可能だと思います。

詳しくは「淡竹石けんブログ」をご覧ください。

また「すこやかショップ」ではネット限定キャンペーンを行っているとのこと。

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不可能を可能にするということ 映画「マン・オン・ワイヤー」

2009-06-14 16:58:06 | Weblog
今日、新宿テアトル・タイムズスクエアで映画「マン・オン・ワイヤー」(綱渡りの男)を観てきた。

アカデミー賞ドキュメンタリー賞をはじめ世界各地の29の映画賞を獲得した作品と聞き、いやがうえでも期待は高まった。

1974年、ワールド・トレード・センターのツインビルを、許可なく綱渡りした伝説の大道芸人=アーティスト フィリップ・プティ。

作品は、その男とプロジェクトをともに取り組んだ仲間たちのインタビュー、当時のフィルムや写真、そして再現フィルムで構成されている。

世界一高いビルで綱渡りをする、だれが考えても馬鹿げたことをやってしまった男の物語。彼らはいかにして不可能を可能にしたのか、映画はそのプロセスを丹念に追う。

実現への壁は、綱渡りの技量ではなく、そんな危険な行為にけっして許可がおりないということだ。だから彼らは「華麗なる犯罪」をもくろむ、綿密な計画を立てあたかも70年代のアメリカやフランスの犯罪映画の主人公のように。

夢はかなう、あきらめなければ、そんな男たちの姿に心揺り動かされた。

一編の詩に人が心揺り動かされるとしたら、彼らのパフォーマンスもまた一編の詩でありアートだ。

岡本太郎は「アートは爆発だ」といった。

プティなら言うだろう。「アートは犯罪だ」


マン・オン・ワイヤー - goo 映画

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簡単、ベトナム風春巻

2009-06-13 19:58:23 | Weblog
今日はベトナム風生春巻きをつくりました。
作り方はきわめて簡単。
水で戻したライスペーパーにお好みの具財を入れるだけ。
今回は、
胡瓜
焼いた鶏ささみ
三つ葉
を入れてみました。
たれは市販のスイートチリソース。

タイやベトナム料理に欠かせないチリソースは
ほかにもいろいろとつかえて便利です。

から揚げした海老をフライパンで煮詰めたスイートチリソースで和えると格別です。

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日比谷のカエル

2009-06-10 20:07:22 | Weblog
写真は、日比谷のビル街の一角にあるネオ屋台村のコンテナに展示してあった段ポール・アート。たぶんというかきっとカエルです。このカエルの妙な動作、それがアーティストの個性を表しているような気がします。
最近のTBSが開設したラジオステーションOTTAVAにはまっています。クラシック専門のネットラジオで、心地良いクラシックのメロディーを24時間楽しめます。

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小倉コレット井筒屋で はちく石けん

2009-06-08 00:23:10 | Weblog
また地元ネタです。

6月10日~16日、小倉駅前のコレット井筒屋二階にて、「淡竹(はちく)石鹸」の展示販売が行わます。竹炭ではなく、「淡竹」という生の竹粉末を使った天然石鹸。お近くの方はぜひ覗いてみてください。
(写真は博多大丸です)


竹から生まれた天然石鹸 淡竹石鹸ブログ もみてね

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