映画・アート・時代を読む

映画、演劇、アートの感想や批評、ときには日々の雑感を掲載します。

カラマーゾフ力

2007-10-18 14:06:29 | Weblog
 今話題になっている亀山郁夫訳のドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(光文社、全5巻)を読みました。文庫版全5巻、合わせて2500ページを超える大長編。しかし朗読にも耐え得るような流暢な訳文にひきこまれ、いっきに読んでしまいました。この作品には多様な哲学的、人間学的テーマがちりばめられていて、読者の関心や年齢によって、様々な文学的体験ができます。そして今回、ぼくのこころのなかにするどく突きささってきたのが、「カラマーゾフ力」という言葉です。その言葉を含むフレーズを三兄弟(ミーチャ、イワン、アリョシャ)の台詞からいくつか抜き出してみました。

アリョーシャ「それには、いつだったかパイーシー神父が言っていた『地上的なカラマーゾフ力』が働いているんです。地上的で、凶暴で、むきだしの力です。…この力のうえにも神の聖霊が飛び回っているのか、ぼくにはわからないんです。わかっているのは、ぼくもカラマーゾフの一人だってことだけ…。」

ミーチャ「おれはな、アリョーシャ、まさにこの虫けらそのものなんだ。で、この詩はな、特別におれのことをうたったもんなのさ。そしておれたちカラマーゾフ家の全員が、じつはそういう虫けらだったんだ。だから天使みたいなおまえのなかにも、この虫けらが住みついていて、おまえの血のなかに嵐を引き起こすのさ。そいつは嵐だ。なぜって、嵐のような好色だからさ。」

アリョーシャ「そう、あなたは知らないでしょうけど、ぼくだってカラマーゾフなんですからね。」

イワン「この生きたいっていう願望を、肺病病みで洟ったらしのモラリストどもは、しょっちゅう卑劣とか言うんだな。とくに詩人どもがさ。でもな、この生きたいっていう願望というのは、ある面、カラマーゾフ家の特徴なんだよ。ほんとうなんだ。生きたいっていう願望はだな、だれがなんといったって、おまえのなかにかならず棲みついている。だのにどうして卑劣ってことになる?」

イワン「驚くかもしれんが、アリョーシャ、おれも恐ろしく子どもが好きなんだよ。それに、いいか、残酷な人間、情熱的で、好色なカラマーゾフ的人間っていうのは、えてして子どもが大好きってことがあるもんなんだな。」

 多様な語り方で例証される「カラマーゾフ力」というものの意味、なんとなく理解してもらえましたか?

そして「ぼくだってカラマーゾフなんです」という台詞、心にずしりと響いてきませんか。                          (つづく)