列車の中からみた景色(ほとんど海)
イスタンブ-ルの駅
トルコに行った時に『アンカラからイスタンブ-ル』まで
の移動にアンカラ特急に乗りました。
見た目より中は随分と年代を感じる列車でした。
日本では考えられないくらい古い作りでした。
そこで、事件はおきました。
私たちはの部屋は一番後ろの貨車でまたその
一番後ろの部屋でした。つまりほんとうに列車の
最後尾、11号車で食堂車は5号車にありました。
食事の時、移動が随分と遠く大変でした。
乗ったのは夜の10時30分でしたので近くの
ホテルでシャワ-を済ませて乗車。
乗ってすぐにベットを作ってもらい寝巻きに
着替えてすぐに寝ました。しかし私は上のベットで
音も振動もうるさくて中々寝付けませんでした。
やっとそれでも眠りに付いたんです。
その時ベットの近くで「ドン! ドン!」と何回も
聞こえたのでもう、朝のモ-ニングコ-ルが・・・?
と義姉にドアを開けてもらったんです。ところが外には
だれもいなかった。またしかたなく寝ようとすると
また、「ドン!ドン!」と何かさっきより鈍い感じの音が
後ろの方から聞こえました。2階のベットから降りて
外に出て周りを見ましたが誰もいません。
少し怖くなりました。他の部屋の人達はみんな
気がつかないで寝ているのか誰も出てこなかった。
まさか、トイレの中?部屋の後ろにトイレがあった。
そっと駈け寄って声をかけてみました。
するとにぶい声で返事が返ってきた。
どうも建付けが悪くドアが開かなくなったようでした。
二人で一所懸命眠い目を擦りながらひっぱたり
たたいたりしたけど開きません。中に誰が
入っているのかも解かりません。だんだん声が
小さくなってしまっていました。トイレは日本の和式
と同じスタイルで座るところもありません。
義姉が「私が誰か呼んで来るよ。」と言って
列車の前の方へ走って行ったんです。
でも、いっこうに戻ってきませんでした。
私は部屋に戻るわけにもいかず一人で中の人を
立ったまま、言葉をかけ励まし続けました。
暫くして、義姉がやっと食堂車で寝ていた
がっちりとした男の人を連れてきました。
それでやっと開けてもらい中からすっかり疲れきった
感じの婦人が出てきました。ふ~良かった
義姉が言うのには中々起きてくれず、説明して
連れてくるのに時間が掛かったようです。
トラベル英語を習っているけれどあわてて
いる時には適切な言葉が出てこなかったと。
結局「ヒヤ-、ゴ-」の一言で良かったと。
男の人は「ノ-プログラム、OK?」と言って去った。
結局は簡単な英語だけ解かれば良いみたいでした。
さんざんの寝台特急の旅でした。
イスタンブ-ルの駅の近くにアガサクリスティ-の小説
寝台特急のモデルに使われた所がありました。
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