名無しの教師の日誌

ある公立中学校教師の教育私論と日記です。

今までの生徒指導とこれからの生徒指導

2020-07-23 09:19:53 | 教育に関する私論
東京都議会で「なぜツーブロックがいけないのか」という議論が行われ、話題になりました。

今回はツーブロック頭髪の話でしたが、実は、学校の校則なんて、「なんで?」というものが結構あります。

これについて少し意見を述べたいと思います。



結論を先に書くと、「世の中の大人の意見の多数派が変わった」というだけな話だと思います。

昔は、どういう考えが多数派だったかというと

・学校は、世の中の不合理や理不尽に対しての耐性を学ぶところである。
・子どもは、校則が多少おかしくても、我慢すべきである。
・これらの我慢によって忍耐力や人間性が培われ、その子の将来のためになる。

こんなところじゃあないでしょうか。

だから、我が子がルール違反したとき、ルールに対して疑問を投げかける保護者よりも、我が子を叱る親の方が多かったのではないでしょうか。



一方で、今は異なります。

ツーブロックの話が好例だと思いますが

・よくわからない理由で子どもの行動や身なりを規制するのはおかしい。
・理由が不明瞭なルールを違反したと言うことで我が子が叱られるのは納得いかない。


こんな考えが多数派になってきたのだと思います。



生徒指導は変わらなければならないと思います。

理由は簡単です。世の中が変わったから。

すなわち、今までの、「大前提としてルールがあり、それを守れない者に注意し、場合によっては厳しく指導する。」

というやりかたから転換するのです。

どうするべきかというと

まず、「このようなことをするとorこのようなことをしないと、集団生活上、こんな困ったことが起こったり、こんな不利益を被る人が出てきたりしてしまう」とルールの由来を説明をする。
→その由来を踏まえ、ルールを周知し、子どもたちに理解させる。
(この時点で、教師が由来・理由を説明できないルールは廃するべきである。)
→ここまでやった上で、なおルールを守れない者に対して、指導する。


このようなやり方に変わるべきなのです。



一昔前、不良・ヤンキーと呼ばれる種族に学校が悩まされた時期があります。

確かに、不良やヤンキーは独特の身なりで群れる習性があります。

それらへの対策としては、厳しい身なり指導というのは、多少の効果があったかも知れません。

ところが、今はそんな時代じゃありません。

ツッパリを題材にしたドラマ、「今日から俺は」なんてもはや時代劇を見るような感覚で皆さん見ているでしょう?

令和を生きる人の大半にとって、不良やヤンキーなどというものは、侍みたいなもんなのではないでしょうか。
(一部の地域では違うかも知れませんが)

現代においては、厳しい身なり指導によって得られるメリット、すなわちヤンキー対策の治安維持としての効果よりも

・保護者が疑問を投げかけてくる。こちらが上手に理由を説明できなければ、激しいクレームになる。
・生徒に対しては「ルールだから」で押し通すことは可能だが、それを繰り返すと教師は人望を失い、結局学級崩壊につながったり、不登校生徒が増加してしまったりする。

というデメリットの方が圧倒的に大きくなったと思うのです。



もっと言うと、ツーブロック禁止だとか、靴下は白でなければならないだとか、「そこまでこだわらなきゃいけないこと」でしょうか?

生徒、保護者、市民から「なんでダメなんだよ、先生たちは何を考えているんだよ」と不信感をもたれているわけです。

そのリスクを背負ってまで、死守しないといけないルールなのでしょうか?

本当に、このルールがなくなったら学校の治安は乱れるのでしょうか?

実を言うと、この辺に大きな「しがらみ」があるのです。

私は、「こんなルール無くしてしまえ」と思っています。

ところがそうは思わない、教育委員会の人やそのOB、歴代校長や歴代PTA会長、地域住民や自治会の方々等々・・・・・・が多数いらっしゃり、結局現場の教師サイドから校則を変えるのは困難なのです。

ですから、今回のように、教育委員会に対して「なんでだめなの?」って質問して、その答弁が意味不明なものだったら批判する、これは民主主義的で大変素晴らしいことだと思います。

私は立場上難しいので、皆さんはどんどん教育委員会に質問状を送れば良いと思います。


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