名無しの教師の日誌

ある公立中学校教師の教育私論と日記です。

学校の先生の授業はつまらない?

2016-09-22 21:41:16 | 教育に関する私論
「学校の先生の授業はつまらない」

「塾の先生の授業の方が面白いし分かる」

これは本当でしょうか?

正直、本当だと思います。

以下、その理由。もとい、自己弁護・身内弁護。



塾の授業と学校の授業の違いは何でしょうか?

まぁ色々とありますが、私が強調したいのはクラス編成の自由度でしょうか。

塾であれば、習熟度や学力によってクラスを分け、生徒の実態に合わせた指導が出来ます。

一方学校では、そのような事は出来ません。

学級間の学力差が出ないように、学級編成を行うからです。

そうしないと、不公平だとか差別だとか言われる危険性があるし、その他諸々の理由で、学力によってクラス編成を行うことは出来ません。

あ、私立高校とかは別ですよ。

私が言ってるのは、公立小中学校の話です。



正直、公立中学校で授業をしていると、効率悪いなーと感じてしまいます。

公立ですからね、1つのクラスの中に頭の良い生徒もいれば悪い生徒もいるわけです。表現悪いけど。

自分は今、中3の理科を担当していますが

教科書の内容なんて自習で理解し、高校生レベルの質問をしてくる生徒もいれば、小学校レベルの算数も出来ないような生徒もいます

そんな算数も出来ないような生徒に、古典力学を教えて果たして意味があるのかと感じてしまうことがあります。

この子、私の授業なんて受けなくて良いから、隣の部屋で誰かかけ算割り算教えてやれよ、って思ってしまう。



上位層に合わせれば、中間層・下位層には理解できないような内容になり、下位層に合わせれば、上位層・中間層は教師の授業を聞き流し自習を始めるでしょう。

なので必然的に、中間層に合わせた授業を強いられる訳ですが

そうすると、上位層を満足させつつ下位層にも「わかる」と感じさせる授業作りを目指すことになります

正直、これはとても難しい事です。

経験値の高い教師ならば、そういった授業を行えるわけですが

若手はただただ難易度の高い仕事を、「若いんだから頑張れ」と激励されるだけで、完遂するよう求められるのです。

一方塾は、下位層クラス、中間層クラス、上位層クラスと分けることが出来るわけですから、比較的経験値の低い先生でも満足度の高い授業を、そこそこの練度の教師ならより良い授業を、作れてしまうのです。

その究極が、個別指導です。マンツーマン指導を売りにした塾とかあるでしょう?

その子のつまづきに即応できるわけですから、そりゃ教育効果は高いでしょう。

もっと言うと、塾は学習意欲の無い生徒を追放することが出来ます。

「おまえは授業の邪魔だから、もう来なくて良い」

塾はこれ出来る。

一方学校でこれは許されない。

公立学校の教師は、1時間弱という限られた時間で勉強が出来る出来ない、やる気が有る無い、という多様な生徒を満足させることを目標としなければならないのです。



もう一つ学校の教師の授業をつまらなくしている原因は、多忙感でしょうか。

塾の先生は、学習指導のみ、またはそれに加えて進路指導だけしていれば良い。

勤務のリソースのほとんどを授業とその準備に注げるのです。

一方学校の教師は違う。

生活指導に校務分掌、そして部活動指導……やることがたくさんです。

15時半くらいに帰りの会が終わったとして

そこから17時から18時くらいまで部活動指導をします。

その後校務分掌や様々な事務処理をすると、だいたい19時から20時。

教師なんてだいたい7時半から8時には出勤してますから、この時点でだいたい10時間以上はすでに勤務しています。

それからやっと翌日の授業準備が始まるわけで……質の良い授業準備なんて出来るわけありません

これでもなお現場に求められる事は「各員の奮闘による業務の効率化

要するに、気合いと根性と生徒愛でどうにかしろって事です。

現在の公教育は、精神論で支えられています。


文科省は何年か前にこれではまずいと教員増のための予算増を求めましたが

むしろ教育への支出を抑制したい財務省は教員減を提案。

結果現状維持となりそれ以降何かが良くなる兆しはありません。

前のブログで「文科省は何もしてくれない」といった趣旨の文を書きましたが

正確には「文科省は、財源がなく身動きが取れないので、何もしてくれない」なのかも知れません。



部活指導や校務分掌なんて前からあっただろう?最近の若手教師の怠慢なだけでは?

そういった声も聞こえてきそうです。

それに対する反論もあるのですが、長くなってきたのでまた今度にします。

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2 コメント

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考えさせられました (昔の先生)
2019-02-14 19:30:44
公立の学校でも学級の壁を外して、習熟度別グループでの学習をしてきましたけどね。
塾の先生方は、客観的な成果や親や子どもの評判で評価され、常に淘汰や代謝のある厳しい世界です。(大手の事情しか知りませんが)それだけにプロ意識が問題になります。
教員の多忙化と疲労感ですが、45人学級からの定員減、昔は無かった教員加配、使い回しが出来るデジタルデーターの利用(PC),土曜休業、校務支援システムの普及、市販のテストや問題集の利用・・・・。そう言えば要支援の子どもたちが昔は普通にクラスの中に混在していましたね。
軽減と言うか楽を求めると、人間の欲と同じでどこまで行っても際限がない様に思います。

今、公立の教師に求められるものをとらえ直すとともに、内部の英知で改善出来そうなことへの取り組みなど、プロとしての自助努力を前提にしながら、制度の改善、教育環境の整備充実など公的支援をも求めて行くのはどうでしょう?

全く当たらない話なのか、釈迦に説法なのか解りませんが、目からウロコの成る程という説明を受けたいとこの頃特に感じています。

ブラックのレッテルを張ってしまうと評定終了で、大変ですねと言う感想か愚痴の話にしかならないように思います。
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Unknown (筆者)
2019-02-17 11:08:45
コメントありがとうございます
正直、2年近く前に書いた記事で、自分でも「そんなこと書いてたっけな……?」レベルで、戸惑いもあります。

おっしゃるとおりで、「だからどうする」の部分が大切だと思います。
私が現在勤務している学校では、行事の精選(というか断捨離)に力を入れております。
先生たちが、行事の準備に翻弄され、疲弊した結果、授業準備や学級経営がおろそかになったり、いじめを見落とすようなことがあってはならない、という考えです。
こういった現場の努力も必要ですよね。
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