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ピースおおさかとメルケル首相演説

2015年05月04日 16時50分28秒 | 歴史

 最近関心を持ったニュースが二つあります。

 一つは、大阪市中央区の博物館「大阪国際平和センター」(ピースおおさか)が4月30日、リニューアルオープンし、改装前に大きく紹介していた旧日本軍による侵略や植民地支配に関する展示は縮小され、空襲被害と戦後復興を展示の中心に据えたというニュース。

 もう一つは、ドイツのメルケル首相の負の歴史遺産を受け継ぐ重要性を説く演説でした。

 現在の日本にも、両方の考えがあり、時々不安になることがあります。こんな閲覧数も少ないホームページでも、声高に平和を訴えたら、それだけでバッシングされる事もあるのかも知れないという不安です。「最近までネトウヨってなあに?」と呑気に構えていた私ですが、ネットで起こっている様々なことを友人から聞いて驚き怖くなったのも事実です。

  何度も訪ねた長野県阿智村にある満蒙開拓平和祈念館には「前事不忘、後事之師(ぜんじをわすれざるは、こうじのしなり」(過去の経験を忘れないで、将来の教訓とする)という碑があります。日本全体がピースおおさか化しようとしているように思えてならない昨今ですが、満蒙開拓では、8万人以上が犠牲になっています。ダッハウ強制収容所のユダヤ人4万人の倍の人数です。中学時代に「アンネの日記」を感情移入して読み、大学時代、フランクルの「夜と霧」に衝撃を受けました。しかし、私が満蒙開拓について知る機会は成人するまでほとんどなかったのです。

 メルケル首相の言葉になぞらえて「我々は、皆、満州移民のすべての犠牲者(現地の中国人も含む)に対する責任を負っている。これを繰り返し自覚することは、国民に課せられた義務だ」と書かせていただき、地味に少しずつ証言を増やして行きたいと思っています。

                                 (四国の温泉で海を見ながら)

 以下は、毎日新聞 2015年04月30日 13時13分 ネット配信記事より抜粋

{同館は1991年、大阪府と大阪市が出資する財団が設立。南京事件や朝鮮半島での労働者の強制連行などの加害行為について、写真などを用いて大きく紹介していた。しかし、大阪維新の会の府議らから「自虐的」と批判を受け、昨年9月から休館して改装作業を進めていた。新たな展示は、大阪大空襲の被害と戦後復興が中心。南京事件は終戦までの流れを説明する映像の一部で扱うにとどめ、慰安婦問題への言及はなくなった。

午後1時の開館に先立ち、松井一郎知事らが館内を見学。松井知事は「偏った見方の展示はやめるべきだと思っていた。満足している」と話した。一方、改装に反対してきた市民団体「ピースおおさかの危機を考える連絡会」は、館周辺で横断幕を掲げて抗議。世話人の黒田薫さん(76)は「加害行為が抜け落ちては正確な歴史を次世代に伝えることができない」と話した。【大久保昂】}

 以下は、メルケル首相の演説に関するネット配信記事より抜粋

{5月3日、ドイツのメルケル首相は、ダッハウ強制収容所の解放70年式典で「ナチスがこの収容所で犠牲者に与えた底知れない恐怖を、我々は犠牲者のため、我々のため、そして将来の世代のために、決して忘れない」と演説した。また、メルケル首相は「我々は、皆、ナチスのすべての犠牲者に対する責任を負っている。これを繰り返し自覚することは、国民に課せられた義務だ」と演説。「若者たちが過激な思想に影響されることがないよう、一体となって取り組む必要がある」「我々の社会には差別や迫害、反ユダヤ主義の居場所があってはならず、そのためにあらゆる法的手段で闘い続ける」と述べ、ナチス時代の記憶を世代を超えて受け継ぐ重要性を訴えた。報道によると、元収容者ら約130人が参列した。

収容所ではユダヤ人ら4万人以上が犠牲になった。式典に先立ち、2日付で映像メッセージを公開。「歴史に終止符はない」と述べ、ナチスの過去と向き合い続ける決意を表明した。さらに「われわれにはナチス時代に引き起こしたことを注意深く敏感に、十分な知識を持って扱う特別な責任がある」と指摘。国内のユダヤ人関係の施設が今も警察の警備を必要としていることは「恥だ」と訴えた。}

 

 


海の癒し、山の癒し、川の癒し

2015年05月03日 21時32分59秒 | 取材の周辺

 

ずいぶん長い間、ホームページの更新も出来ず、ブログの更新もしないままに来てしまいました。

昨年8月にリタイアしました。それまではリタイアに向けた雑用に忙殺され、リタイア後は、嬉しくて子供が野原を駆け回るが如く、しばらくは夫婦で旅行を楽しんだり、自由な時間を楽しんだりして来ました。やっとひと心地ついて、次の旅の計画を考えているときに、大学時代の友人から、「リタイアしたら四国に遊びに来て」と言われていたのを思い出し、いい機会なので、中国残留孤児の聞き取りをしようと計画をたてました。

そんな訳で、今、四国にいます。四国道はいたるところでお遍路さんに会います。小さな商店もコンビニも道の途中にも、お遍路さんの休憩用のベンチが置かれています。長い年月、お遍路さんを優しく受け止めて来た四国道には海あり、山あり、川ありで、それぞれの豊かな恵があります。その上に温泉です。正直なところ、インタビューは、なかなか順風満帆とはいいがたいですが、四国の恵に癒され、慰められ、励まされて頑張っています。

また、近々、四国の残留孤児の皆さんのお話をホームページにアップしますので、是非お付き合いください。