花鳥風月、、2023年からの第二の日記

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Nipponの宝物、、京都、、織物で歴史ある所が、残念です。

2023年11月01日 | 日記
サウナストーン
戦後を活きた私たち、、昭和10年代の世代は、、疎開先の和歌山でも、洪水で橋が流れ、、田畑が流れ、、川べりの民家が流れるのを
瞬きもしないで見ていた小学生になった私でした、小学校6年生になって、、疎開の13年は過ぎて、、東京に戻る事になった日には
村はダムが出来て、、、もう、、洪水は無くなりました。20年待たないと、、、もとの鮎の跳ねる姿が、橋の上から見れるような
澄んだ、、、、もとの河川にはならないね、、、安全の確保の為に、、村は20年の年月を待って,もとの河川に戻りました。

一大決心だったと思いますが、、、川底に沈んだ家も、、代替え地として、、ダム湖の周りが桜の花で埋め尽くされた時
多くの観光客が来るようになり、、、旅館などが出来る代替え住宅に移リ住んで、、、ダムのリスクも年月が解決して
あれから70年近く過ぎた今は、、、見事なダム湖の景勝地には、、、多くの観光客が、、、桜の花を愛でていますと
お婆さんになった、、親友だった、、、清美ちゃんから、、、電話がかかってきます。
和歌山の奥地に、、観光客が来るダム湖が出来たのは昭和30年麻ころですよ。
 坂本作次郎さんという、、アメリカから帰って来た土地の旧家の次男坊が、、声をあげて、、、ダムが計画されて
村人も、、どんどん話しに、、乗ってきて、、、固定に沈む民家は全て、、湖畔に代替え地と、、仕事をもらって
ダム湖の観光地に変わりました。この計画は時の役場の長から、、学校長、、、和歌山県庁、、、国会委員と話が伝わり
 疎開先の山奥には、、御爺ちゃんが、旅館を経営して、、、いましたよ。
  成せばなる、、、為さねばならぬ、、、日本男児よ❕!、、国会よ❕!、、京都と付く名は、、、世界中が知っている暖簾。

Nipponの宝物の「京都の一角に、、このような被害の土地を残したままでは、、、残念ですね。国の力で、、
福島県のように
土台をあげて高台にして、、観光客が来るように、、未来永劫残るような、、、山の斜面は絵になるような、トータル設計された
歴史が語る、、絹織物の街を再現させて、、、桑の林を造り、、絹織物の歴史的な時代の機織り機の街を再現させた街道を造り

小学生から、、大学生、、お爺ちゃんばっちゃんが、、、風呂敷など、、小物の機織り経験が出来る
歴史の中の時代を象徴した小物作りなど実地の経験が出来るという「観光の街に作り替えたらどうなのでしょう?」

これからの若者は、、日本が外貨を獲得できるような、、、日本の魅力をアピールして、、、
すでに知られている京都という「世界語」に、、、
歴史の中の、、、すったもんだの結果、、、美しき慣行の街が、、語り部になって
日本国内が、、小さな主義や、、理解不能の宗教がはびこらない様に、、、千年続いた歴史の言い伝えを、、、
世界の人が判るようにアレンジして、
、全世界の観光客に、、日本独特のハンカチやスカーフを織るという、、趣味に使うミニミニ機織り機を
   組み立てれば、、トランクに入る大きさの、、ジャパニーズ、、スカーフなどの、お土産とともに機織り実演をして
「機織りの織り機」販売につなげるといいでしょう!!、、、仕事がなけりゃ、、仕事を製造するといいと思いません?,、

街は復活しませんか?、、,、
若者が声をあげて、、国を動かして、、、やがては「外貨が稼げる」、、、NEW《京都の織物の街》を復活させて

  仕事をを探すのではなくて、、、この際、、、新しい京都の観光地区を産み出して、、人の安心して住める街を通り越して
  豪雨にもビクともしない街に作り替えるのですよ、、、歴史の礎の上に、、仕事を創るといいのですよ!!
東京大学の出来る前は、、、哀しい花街だった。
洪水で流れた街が、、生まれ変わったところは,、、一杯ある、

私の通った、、東京の小松川高校のあたりは、、、「天上川」と言って、
 川の方が天井より高い所を流れていた。

   男尊女卑でハ世界から引けをとらない日本女性から

    逞しい政治活動家が出ました。

    山口シズエ、、、さんといったかしらね、、、?!
    高校時代は、、、女性でも、、東京の一角に光を当てた政治家が居た。

    私たちの高校は、、、あたり一帯のさんみょくが見渡せるという
    蓼科山に、、、山の寮が有った。

    山歩きの好きな私は、、その山の寮が有るおかげで、、、己の小ささを知った。
   昭和30年代は、、100円のお金にも困った時代であったが

     蓼科山の頂上には木が無くて、、、頂上の広さは抜群で、、
  Nipponの屋根と言われる名山が、、、友達のように、、取り囲んでくれたように見えた。

   あの頃の女性議員は、、今の国会のように、、

   「2番ではダメな時代だった!!」

    その勢いだけに、、圧倒されて、、、高校を、、ともかく出ましたが、、、

     私は、、、人生で、、やっと自分が活きただけで、、、

      子育てした母ちゃんですが、、、あの、、天上側の一帯を

     洪水の出ない街にした、、政治家は、、偉いと思っている。

     川の傍の住民は、、感性が鋭く、、、一芸に秀でていたㇼ
     手仕事は、、宇宙探検の部品を創るという、、、

      こだわりの職人さんゾーンにもなっていた。

     あの、、荒川、隅田川、、葛飾地区が、、江戸川と、、水路によって、
     側溝や、、、水門や、、、貯水池や、、、あらんかぎりの智慧で

     住める地区になったのは

     各政党が、、手を取り合って、、、女性議員は目的の為には
     私的なイデオロギーも、、、棚の上に仕舞って、、
     、民主党の議員を動かしたのではないのでしょうかね???

    政治音痴の上に、、、女学生だった私は、、、世界史が5点しか照れなくて、、、
    職員室で、、お小言を受けながら、、、
     職員室の中に張られたポスターばかりが気になっていたのを思い出します。

     一人の、、女性議員が、、小松川高校から出たことが、、、

     世界の人にも誇れる、、「スカイツリーの職人魂の傑作タワー」に到達したと

     昭和30年代から、、、洪水をおびえて暮らした私には

     金持ちには、、、絶対に出来ない、、職人さんの根性が、、、守られた地区と言えるでしょうね。

    あの頃の高校は、、、経済的に行けないのは解っているが、、、
     多くの女性が大学を受験して合格していた。

       合格のプライドとともに、、、結婚したり、、就職していった時代だった。

     政治は、、経済にこだわってくれるのは、、ありがたいが

     技術を持った人たちの住むゾーンを、、、洪水から救うという事が、

     目下の課題だと思いますよね。

     隅田川、、荒川、、江戸川、、、お茶の水の運河、、
     江戸時代から明治大正昭和の時代

     湿地帯から武蔵野だった、、原野の東京を、、、
          世界の東京にした、、、第二次世界大戦後、、、の復活。

      京都の洪水で流れた歴的な職人の街だった「織物街道」の復元、、観光街道への未来都市計画。

       その気になれば、、、政府にとっては、、、出来ない相談どころか

     外貨を稼げる街づくりになると思うんですよね。

      ヘンナ宗教のはびころない、、、健全な、、観光都市にして

         歴史的な絹織物を復活させて、、、アフリカあたりに

         日本の着物を、、着付け教室ごと創り、、復活させて、、、

        一枚の着物が、、、ウエスト55センチの娘時代から、、

                 ウエスト80歳の、、、婆ちゃんまで着られるという、、、

         髙そうに見えて、、安値の、、、実用美術品の着物を復活させれば

       京都の洪水ゾーンは、、、超、、日本的な織物街道に復活させて、、、

        アフリカからも、、観光客が来るようになれば、、、

          ガソリンで走る、、名車も、、、嫁ぎ先が出来て、、、

         外貨によって、、京都に、、「べニシアさん」さんの様な方が

        本当に、、京都の良さを知って、、、大原に住んでくれたみたい位に、、
      国際都市、誕生の夢も、、正夢になる間もしれません。

       

     
     、


        

戦争のように破壊されても、、、君は生きている。
  神様がくれた命だかラ、、、その一帯を、、福島のように,、
    石で好いと思うよ、、、どうやって運んだんだろうね?
   不思議になるような、、イギリスや「スコットランド」の北の彼方の、、、
     空から見える街のように、、、
     水害除けの、、防水石垣で囲ったっていいよね!

   京都まで来た観光客が、、、
       あの村はみておくべきという、、
            、京都まで来た観光客に、、
                   別の次元の歴史の
                       走馬灯を見れるような街づくりをして、、、
   
「塞翁が馬」となるような、、危機管理を兼ねて、、日本の建築や造成技術が

  世界をうならせるような、、、歴史博物館的な、、観光ホームセンターも兼ねる、、世界への

   日本の復興技術の、、見本ゾーンとしても、、、宣伝できる「京都の歴史復活地区見本」を

      戦争が終ったら、、、ウクライナの人にも見てもらって、、、

          日本の建築技術、、、土木技術で復活させたい、、
              「世界の破壊された街を、、未来への「ニッポンとの友好都市」に
                 復活で来たら、、、最高じゃないですか?

     日本を理解してもらい、、好きになってもらい、、、

     日本が手掛けた象徴の記念の建物を、、、京都の復活した街から、、どれでも選んでもらえるような

       街にしたらどうでしょうね。

         若者が帰ってくるどころではなくて、、、田舎に帰ったつもりが

           歴史の技ありの工芸や機織りで、、世界への道が出来ているという

             身についた日本の、、日本人の職人が育つ歴史街道にすると素敵ですね!!。。。

   アピールの地区にすることで、仕事はできるし、、、在日の外国人の働ける国際観光地にすれば

    土台の造成から、、国を動かせるという、、経済対策を兼ねた,、『外貨獲得の「京都の奥地、、観光都市!」』

  二度とこんな被害が起きない様に、、
           貴重な京都のど真ん中を、、、
             放置しておく手はないと思いませんか?

          理解不能の宗教だって、、はびこらない、、人間が、、人間に幸せの作れる田んぼ

          耕せば、、収穫できる、、田んぼを創るのですよ。、、、世界とつながった稲が育つ田んぼ!!

    マチュピチュが、、、日本人の移民が、、、大きな力を発揮して、、、

       今日の、世界の観光地にしたと知った時、、、

            薬剤師の仲間たちも、、、未だ、、バス道が無いころ、、、

               現地に行って、、写真に撮ってきた、、歴史地区の復興の様子を
                 見せてくれました。もう一度、、往くから、、一緒に行かない?と言われましたが

                   、、旅行費が工面できませんでしたね。

         今でも、、悔しいですね、、、日本人の快挙を、、体感しておきたかったですね。

   80歳になろうという婆ちゃんが、、、頭の中で描く京都の危機管理は、、、
                      日本の危機管理でもあると思いますよ。

   戦後の大使様に、、、日本の「はるさん」という女性と結婚された方が、、
                          京都に詳しい人でしたね。

   京都を原爆から守ってくれたのは、
           、日本の京都を母国に帰って、、、
                  歴史の街であることを伝えたからだとも

   子供の頃社会科で習いました。
          戦後は、、ライシャワー大使,、はる婦人が、
           京都をバックに、週刊誌などに
              笑顔で映っていたことを思い出します。

   原爆で、、溶解してしまった、、、広島の見事な復活した街を見るにつけ、、、

   水害で壊されたから、、、
         地区の弱点がわかり、、、
              総合開発できるという、、、
                    誰かが声をあげれば、、、
    
                「塞翁が馬」という、、、、
             「仕事の在る、、観光歴史機織りの街道」が、、出来上がり、、、

    、宗教問題や、、人種問題や、、、戦争や。。原爆が。。避けて通過して、、
     観光の外貨を落してゆくという

    100年後には、、
     世界遺産の再現お待ちになっているという
         未来希望の街に作り替えればいいと思いませんか?

         季節のよい時期に、、、一年分の外貨や、、観光客へのお土産を販売すれば、、、

         きっと、、{{京都}}、、という、、、
     世界の誰もがすぐに知ってくれる「世界的に有名という暖簾」が流されるものではないと

                   婆ちゃんは思いますね。
        仕事がITに取って代われるという、、、
        心の要らない仕事で争わない
        世界の観光客の、、心をつかむのです。

     
     一時的に、、ITや、、仮想世界の、、電子人形が、仕事を場うかもしれませんが、、      
            ヒトの心が無くなる時代には、、、、心ある仕事を創るのは、、国の役目かもしれませんよね、

       日本の首相は、、、経済は勿論ですが、、、日本を失っては、、本末転倒だと思いますね。

       日本の良さは、、、皇室の文化が、、、保存してくれていると思いますよ。
         伊勢神宮の20年毎の、、立てなおしは

           世代交代に合わせて、、、技術者も保存しているという、、、

              時代に合わせて動く技術の博物館が、、伊勢神宮の遷宮だと思いますね。

              今日とは、、変てこな宗教がはびこる前に

           日本と世界の技術の、、生き続ける博物館として

            絹織物ん街道を造り、、、《京都の名前の持つ、、、世界的なエネルギーを

             世代交代させない様に、、伊勢神宮並みの、、
             技術保存を、、日本の美術と見なしても良いですよね

         私は2年間も、、、右手の大やけどの手術に、、、京都大学病院に通ったのですが
          子供心に、、ギシギシとなる、、冬は寒い渡り廊下を走り回り、、
           他の入院患者さんの新聞や、、牛乳を持って、、あっちにも、、こっちにも

            入院の御爺さんや、あ婆さんに配っていたという、、

           困っちゃくれた少女でしたが
           京都は、、心の故郷です。

         街の端から,、端まで、、歩きまわりましたね、、、知恩院では廊下に上がって,、、
            ウグイス張りを、、往ったり来たり、、、怒られるまで、、やっていた、、、け。

         お母ちゃんと食べた、、、「くずきり」、、、美味しかった。

          真っ赤な建物の、、、平安神宮の近くの、、坂道にあった、、

            店だったよね。

        
            
     この計画が実行に移せるのは、、、外交官をしていた㎜外国人にとっての「京都」の値打ちを知っている岸田さん以外には
      なかなか話は分かってもらえない子もしれませんね。元、、外務大臣の岸田さん緒時代なら、、
     、通じるものがわかってくれるかもしれません、、、日本緒宗教は、、、アメリカが監視していると思いますよネ。
       日本委は、、変な宗教が、、戦争を起こさない為にも、、、一般国民の総てが受け入れてくれるような
       新設、、、未来の世界遺産の街、、、、綾部、、京都の織物の実地訓練が受けられる、、、観光と仕事の街、、なんて。。?

        これは、、、80婆ちゃん、、、が、、、若かったら、、、考えを実行に移すかもしれないという

        願望の、、日記帳です。読んでくださり、、、お疲れさまでした。心より、、感謝。

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