花鳥風月、、2023年からの第二の日記

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もう、、雪は要らないネ(;v;)

2024年02月29日 | 日記
2024年、、今年の冬のことは、、忘れられないだろうね、、、

   毎日雪ばかり搔いていた。

     肩も居たい腰も痛い、、、こむら返りもする、、、

        ふくらはぎが突っ張っていたい

          80歳になったって、、、シップは張らない、、、ロキソニンも飲まない

     かたい決心で、、運動と、休息のバランスをとりながら、、、
    筋肉ウーマンとして、、、、
 
   今年の雪は、、、別格であった!。

    量が多いとか、、も、、、、、確かにそのとおりですが

   降り方が、、、たたみ掛けるように、、、毎日降るのだから、、、

         も~~~^参った!!

     13歳まで住んでいた南紀は、、、今頃は梅の花が満開だった。

        小学校6年から、、疎開地の南紀を離れて、、、

              父の代まで何百年も前から住んでいたという

             東京に帰って来れた、、、
           しかし、、祖父が住んでいたという市ヶ谷界隈は
         戦後は、復興されて、ソ祖父の、、もっと前からの父の家はビル街になっていて

        住み慣れた故郷の市谷飯田橋四谷界隈は、、、個人の住宅などは一括して

       焼け野原になっていたそうです。

        東京に帰れっと言っても、、、江戸川の近くの、下町の一角なったお寺さんお跡に

         地域が助かる医療施設が出来るのならと、、、言われて、、、そこに戻ってきたのでした。


        子供達の教育を、、、東京で受けることができるのなら
           下町だって、山の手だって、、、何処だってかまわないと

         戦後の教育は東京で受けさせたいという願いで
           父は東京に帰って来たと言っていた。

        多くの居候が、、、戦後はアメリカに、追い付き追い越さねばと
             父母は嬉しそうだった。

        3月の声を聴くと、、、飯田橋駅の傍から

            水戸の御老公のお屋敷跡だという、、、後楽園の庭園に

             梅を見に行った。


         江戸川を挟んで、、、万葉の時代から語り続けられている,、、

             国府台からは、富士山が見えた、、、け、、、。

        今はスカイツリーが天を指すようにそびえて
          そのはるか、、、向こうの空に

            まだ雪をかぶった、、富士山の姿が見えている事だろうう、、、、

       伊豆は今頃、、、、桜が咲いて、、、、、狩野川の土手には、桜並木が

           春爛漫の、温かさであろうね、、、、


         55年前は、、、日本は戦後のドサクサで、、オール貧困家庭で

        払える立場の人が払っていたという、、、
          戦後の生き残りの残渣が、、、、残っていた。


       東京に住んで、、、開業6年ちょっとで、、、父は過労死してしまった。
       早すぎる、、、54歳の生涯だった。

       学徒出陣から帰還できた父の弟が28歳から早稲田の理工学部に通う事になり

         我が家に同居して、、、一切の親代わりを父が請け負った。

            母の弟も、、日大中退でシベリア抑留の帰還兵であり

          父との同居人の一員であった。

         間もなく、、叔父さんたちの家族も、、、東京の父の開院した広い家に住むようになった。

       春が来たのか来なかったのっかわからないほど、、、

       家族6人で居候だった叔父さんの三人娘と、、、

               末っ子のボクちゃんは

            我が家の4人兄弟よりも、、、母に可愛がられて、、、どっちが居候かわからないような

             生き方上手の3人娘に、、、母を確保されてしまっていた。

         春が来ると、、、居候の長女が、、、ドレメに合格したからといって、

        母は、嬉しそうに、、銀座に一緒に出掛けて、ドレメで使う生地などを

      居候の長女と一緒に、、、「マギー」に買物に行っては

      娘には見せたことのないほど、、、晴れ晴れと、、、ストレス解消の笑顔だった。

      母が楽しいのなら、、、それ以上のことはないと思い、、、

         私は、、、早く大学を卒業して、、、

              この家を出なければならないと、、、

                落ち着く事の出来ない実家の当時の様子であった。

         眠くなってきたので,、、、つづく

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