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(右)国鉄湖原線(現・第三セクターふきはら鉄道)蕗原駅 昭和48年9月21日
戦後間も無い頃、日本の鉄道は壊滅的な輸送力不足に悩まされておりました。
空襲で破壊され尽くされ、ただでさえ稼動する機関車・客車が少なくなっていた上に復員兵や買い出しなどで旅客が急増。GHQの命令で貨物用機関車が客車を引いたり、旅客用機関車に改造されたりしました。
しかし、それでも客車不足は如何ともし難く、特に地方の支線や地方私鉄などでは疎開状態で空襲を免れた客車が進駐軍専用車両として接収されてしまった事もあり、新製車は本線や都市部の線区に優先的に配備された関係で後回しにされるなど、慢性的な客車不足に悩まされていました。
そこで、余っていた貨車を改造して客車に転用する事となりました。
タネ車はトラ6000。これの上回りを客車に換えた……というか、雰囲気的には、台車の上に建てたバラック小屋みたいな、いかにも戦後混乱期の車両といった代物でした。
地方の町工場みたいな所でそれぞれ車体更新され、昭和30年頃に全車、現在の上回り(丁度オハ35を短くしたような車体)に改良されたようです。
動力分散化とモータリゼーションの影響で、その大半は廃車となりましたが、近年、梅大路蒸気機関車館のB20動体保存に先立ち、その相棒としてコハ10-103が奇跡の復活を遂げ、新たに予備車含めた四両のコハ10が復刻新製された事は記憶に新しい。
だめ?(^^;)
戦後間も無い頃、日本の鉄道は壊滅的な輸送力不足に悩まされておりました。
空襲で破壊され尽くされ、ただでさえ稼動する機関車・客車が少なくなっていた上に復員兵や買い出しなどで旅客が急増。GHQの命令で貨物用機関車が客車を引いたり、旅客用機関車に改造されたりしました。
しかし、それでも客車不足は如何ともし難く、特に地方の支線や地方私鉄などでは疎開状態で空襲を免れた客車が進駐軍専用車両として接収されてしまった事もあり、新製車は本線や都市部の線区に優先的に配備された関係で後回しにされるなど、慢性的な客車不足に悩まされていました。
そこで、余っていた貨車を改造して客車に転用する事となりました。
タネ車はトラ6000。これの上回りを客車に換えた……というか、雰囲気的には、台車の上に建てたバラック小屋みたいな、いかにも戦後混乱期の車両といった代物でした。
地方の町工場みたいな所でそれぞれ車体更新され、昭和30年頃に全車、現在の上回り(丁度オハ35を短くしたような車体)に改良されたようです。
動力分散化とモータリゼーションの影響で、その大半は廃車となりましたが、近年、梅大路蒸気機関車館のB20動体保存に先立ち、その相棒としてコハ10-103が奇跡の復活を遂げ、新たに予備車含めた四両のコハ10が復刻新製された事は記憶に新しい。
だめ?(^^;)