ミハ缶ブログ

ヘタレ大学院生が綴る日常と非日常。
はてなブログへ引っ越しました。→http://miha.hateblo.jp/

チビロコを見ていて浮かんだ妄想

2010年09月06日 | 2010年以前の記事
 いやぁ、ポケットラインのチビロコ、良いですね。Bトレ的な可愛さだけではなく、そこはかとない「本物っぽさ」を兼ね備えている辺りが、いかにもKATOっぽいです。
このまま眺めていても、充分楽しいのですが、ふつふつと、近江鉄道みたく魔改造したくなってきました。
そんな訳で、魔改造のためのネタを、メモ代わりに、ちょっと晒してみるテスツ。

プラン1)東美鉄道キボ1000形蒸気動車
軽便鉄道であった東濃鉄道(初代)は、新多治見~広見間が国有化された際に、標準狭軌に改軌。社名も東美鉄道と社名を変更した。
新多治見駅(現在の多治見駅)~広見駅(現在の可児駅)間国有化の直前、名古屋鉄道(初代)と大同電力は、東濃鉄道に対し、経営への参加を希望していた。これは、大同電力が建設を予定していた丸山ダムへの建設資材運搬を見込んでの事であり、両社は、東濃鉄道の路線の一部へ乗り入れる事によって、丸山ダムへの建設資材運搬線を新たに敷設する距離を短くする事を目論んでいた。
  しかし、可児郡広見町(現在の可児市広見地区)や中村(現在の御嵩町)の有力者は、この動きに難色を示した。同地域は、江戸時代末期には、尾張藩領であり、県庁が存在する岐阜市より、都市の規模も大きい名古屋市を指向していた。しかし、ここで名鉄の資本が入ってしまい、あろうことか広見線との直通となってしまうと、名古屋まで、犬山を経由しなければならなくなる。これはとんだ大回りである。
結局、名鉄との提携は見送られ、代わりに、鉄道省との交渉によって、太多線多治見駅~広見駅間の乗り入れが実現した。これによって、東濃鉄道改め東美鉄道は、軽便鉄道時代同様、多治見から広見を経由して御嵩を結ぶ事となったのである。
そのような背景の中、昭和元年の改軌に併せて3両導入された工藤式蒸気動車が、キボ1000形である。大正末期には、既に蒸気気動車は廃れ始め、代わって、内燃気動車が普及し初めていた。しかし、あえて蒸気動車を導入した背景には、御嵩から久々利にかけて採掘されていた亜炭の存在が大きい。東美鉄道の出資者の中には、亜炭採掘業を営んでいる者がおり、そこから、市場価格と比較して割合安価な価格で、亜炭を提供して貰えたという経緯があった。そのため、キボ1000形は、最初から亜炭を燃料とする事を前提とし、劣悪な燃料でもそこそこ動くように設計されていた。設計には、相当苦労したようで、最初は、鉄道省の2等車相当の豪華な内装とする予定だったのが、車両価格高騰を受け、軽便鉄道時代の車両と同程度の内装に落ち着いた。
キボ1000形は、非常に幸運な車両だった。まず第一に、その製造年。折しも昭和恐慌の4年前であった。もしこれが、昭和恐慌と重なっていたら、車両価格高騰に耐えられず、製造されなかっただろうばかりか、恐らく、東美鉄道そのものが消し飛んでいただろう。第二に、亜炭などの劣悪な燃料で動く事を前提とした設計。戦時中、多くの地方私鉄において、気動車が運行不能となっていく中、石油を使わずに、しかも劣悪な燃料でも動くキボ1000形は、燃料不足の煽りを受ける事無く、稼働し続けた。亜炭どころか、一時期は、建築廃材や切屑を袋に詰めたものなどを燃料にして動かしていたという伝説も残っている。このキボ1000形のあまりの調子の良さに、鉄道省は、戦時型蒸気動車の傑作キハB50000形を新造するに至った。このキハB50000形は、後に運輸省規格型車両となり、戦後復興期を支える事となる。ある鉄道技師は、キボ1000形とキハB50000形を指して、「華麗なる血筋」と評している。
東美鉄道は、戦中、他の私鉄同様、戦中合併によって名古屋鉄道(大名古屋鉄道)東美線となっていた。戦後、GHQによる私鉄解体により、再び独立を果たした東美鉄道は、キボ1000形の更新工事を実施。運輸省規格型と同様の外見となった。
その後、燃料革命によって一時期全廃されるものの、SLブームに乗じてキボ1001号が動態保存機として復活。現在も、定期的に営業運転に就いている。残りの2台についても、可児市と御嵩町にカットモデルが保存されている。
<製作にあたって>
GMの運輸省規格型の車体に、チビロコのボイラーと足回りをそれっぽくくっつければ、なんとかなるかなぁ、と。満鉄(朝鮮鉄道だったかな?)の蒸気動車みたく。
車体色は、東濃鉄道色って事で、赤(ソース:鉄道省文書)。ただし、機関部分は、やっぱり黒でしょ。……誰だ、「白帯入れろ」なんて言った奴は。

プラン2)鉄道省キハB50000形
東美鉄道キボ1000形の成功や、他私鉄での工藤式蒸気動車の運用実績を踏まえて製造された、戦時型蒸気動車である。ボイラーと走り装置は、既に製造が開始されていた、B20形蒸気機関車のものを流用する事で、合理化を図った。B20形の性能は、蒸気機関車としては、非常に非力であった。しかし、蒸気動車としては、必要充分だった。戦時中に、数多く(正確な数は不明)のB50000形が製造され、また、一部の気動車も、キハB50000形に改造された。
戦後になると、運輸省規格型として、(ボイラーの設計が変更されたものの、ほぼ同型機が)更に製造され、日本各地で復興に貢献した。
現在、梅小路蒸気機関車館にキハB50001号が、B20形1号機と共に保存されている。また、各地に、キハB50000形やその派生形式の車両が保存されている。
<製作にあたって>
プラン1と同じ。車体色は、鉄道省らしく、茶に赤帯かな。

プラン3)間接式機関車
複雑な地形を持つ日本列島において、鉄道の敷設は、非常に困難なものであった。特に、明治時代の技術では、トンネルを掘る技術も、まだ未熟であったため、どうしても、曲線と勾配が多くなってしまう。そのような曲線だらけの線路に、大型高出力の機関車を投入するためには、(線形改良を除けば)やはり、間接式機関車しか、ありえない。
各国でもそうだったように、日本でも、関節式機関車の研究と試作が進められていた。
<製作にあたって>
ほとんど一発ネタ。……まあ、上の2つも、ある意味一発ネタだけど(^^;)
色々考えたんですよ。B-Bのメイヤー式とか、ガラット式とか。ただ、いずれにしてもB-Bだと迫力に欠けるので、思いついたのが、B-B-B-Bの(仮称)メイヤー・ガラット式。B-Bのメイヤー式を2つくっつけたものです。上手く説明できないのですが、丁度、シキみたいに、ボギーを更にボギーしているような構造。H形蒸気機関車という前代未聞なバケモノ機関車になります(笑)
やってみたいけど、んな事やるためには、チビロコが4台も必要な上に、上回りを別途調達になるので、うーん……って所です。キャラメルNのSL版が出たら、4500形っぽいマレー式を作っても良いかも知れませんね。



……っつーか、こんな時間に、一体何書いてるんだか(^^;)

最新の画像もっと見る