麻宮騎亜 日記

漫画家 麻宮騎亜の日記。仕事の連続の日々ですが、できるだけ更新したい。という希望。

中央フリーウェイ

2006年10月30日 03時11分42秒 | 日常あるいは平穏な日々
もう前の号になってしまうが、週刊プレイボーイ(WPB)に載った「彼女のカレラ」はんぺんで、・・・じゃなくて本編で「中央フリーウェイ」を使用した。もちろんコレはちゃんとジャスラックに申請しているので違法ではないなんて、ちょっとまめ知識を入れてみたりして。
漫画本編で歌の歌詞を使う場合は、ちゃんと社団法人日本音楽著作権協会、またの名を(JASRAC)に申請、許可を得なければいけない。このジャスラックの昔のマークが、なんだかブルマアク(オモチャメーカー)のロゴと似たイメージだったような気もする。

話はそれたけど、中央フリーウエイを今の若い人は知らないこともあるんだなという印象。別の僕の担当は知らなかったようだったし、友人の若い子はなんとなくといった感じだった。中央フリーウエイは荒井由美(現;松任谷由美/ユーミン)のヒット曲で、1976年(S.51)のリリース。ということは今から30年前か!ユーミンのファンならいざ知らず、若い人(特に20代)はしらなくても当然かもしれない。当時は僕も13歳の中学1年生で、巷はフォークソングのブームだったような気がする。これからちょっとするとベイ・シティ・ローラーズに女子は熱狂し・・・また話が脱線してしまった。

「中央フリーウェイ」は中央高速道路のことで、東京から調布を過ぎ、八王子を経由して名古屋方面に向かう高速道だ。歌詞の「右に見える競馬場 左はビール工場」と歌っているが、まさに車で東京を背にして下っていくと歌詞のとおりになるわけだ。ちなみにこの府中にあるビール工場はサントリーの最初のビール工場だそうだ。で、何でこんなことを書くかというと、漫画本編では麗菜は、神田から上がって首都高速を走り、湾岸線に出て羽田を目指すルートをとっている。そこで「なんで湾岸線なのに、中央高速のうた」なのかということ。一言で言えば、「なんとなく雰囲気で」なんだけど、ラストが滑走路に引っ掛けているから(純粋に言うと引っ掛けているのは原詩のほうで、漫画はホントに空港に行ってしまったわけなんだが)という理由。

夕方から夜にかけての滑走路は、誘導灯と街の明かりが綺麗で、コレは高速道路の夜景にも通じる。もし車を持っているなら、夜の湾岸から羽田へのルートはお勧め。羽田は色々なお店もあるので、食事に使ってもいい。もし展望デッキの開いている時間帯なら、ぜひ出てみることをお勧めする。本当にきれいです。それから湾岸道をまたぐ感じで、飛行機の通過のための道(橋)がかかっているけど、タイミングが良いなら目の前(上)を横切るジャンボを見れることもあるはずだ。結構感動する。(^^)

中央高速の話と言いながら、湾岸と羽田の話になってる。(^^;)歌も本当にいい歌なので、聞いたことがないという方はぜひ聞いてみてください。荒井由美時代の歌とはいえ、現在の松任谷由美(ユーミン)のベストにはかなりの確立で入っていますから。そしてこの歌は数年後、「飛んでイスタンブール」「モンテカルロで乾杯」で有名な庄野真代がカバーしてヒットもした。

ところで、この中央フリーウェイの歌詞では、夜になりかけの頃、山を目指して走っていて、調布飛行場を過ぎて、滑走路のようなまっすぐな道を走っている描写になっている。
夜になる時間に下っていくなんて、どこに行くんだろう?しかも府中を過ぎて八王子を越えるとその先は、結構なカーブが連続しているので、まっすぐな道はありえない。つうことは、このまっすぐな道は八王子までのことを指しているのかな?八王子インターで一回降りて、また都内に戻るのか?

・・・なんて思いながら、中央高速を下っていくとまた面白さが一つ増すはずだから、ユーミンの曲はi-podには必需品なのだ。やってみて(自己責任で)。(^^;)




漫画文庫版 蒸気探偵団3&4

2006年10月19日 02時01分10秒 | Comic
蒸気の漫画文庫版の3&4巻のカバーデザインが上がってきました。毎月2冊ずつなので、2冊ずつの連続カバーという構成です。今回は主要キャラのマークをそれぞれバックに配置しております。

コレは4巻のカバーですが、3巻のカバーに映っているキャラクターは果たして? 答えは来月、11月15日に本屋さんで確認してくださいね!(^^)以上、宣伝でした!!(^^;)

と、コレだけではアレなので、巻末に毎巻描き下ろしている連載マンガ。久々に蒸気キャラを描いている訳ですが、懐かしい上にやっぱり楽しいですね。ただ、コレに引っ張られているのか、どうか分かりませんが、だんだんと「彼女のカレラ」のキャラクターが幼くなっていってますねぇ・・・。(^^;)

遅ればせながらのF1日本GP 

2006年10月14日 08時05分11秒 | 日常あるいは平穏な日々
ということで、(何がということでなんだか分からないが)F1日本GPも終わってしまいましたけれど、毎年回を重ねるにしたがって、テレビ観戦(地上波)の意味というのが薄れて行ってるんじゃないだろうかと思う今日この頃なわけです。やっぱりCSか!欧米か!?ぺちん。

今年は用事があったので録画してみましたが、中継の外野がコメント過剰気味180%増(前年比)で肝心のレースの方になかなか集中できない。肝心のシューマッハのリタイヤは、CM中に起こってしまうという「生放送をしているのにがっくり」みたいな有様だし。

この仰々しさはまるで2003年のブラジルGPの悪夢の再来か?!欧米か!?みたいな、ね。昔なんかはそれでもF1を徹底的に見るならテレビ観戦かな?いや、でも現場に行った方が音や匂い、テンションもひっくるめて上がるんじゃないだろうか?なんて迷っていた頃が懐かしい。

鈴鹿のF1も20周年の今回、コレがラストで来年からは富士スピードウエイになるそうで、コレもまた初年度の状況を見てから現地に行こうかどうか考えてる弱気な自分。(^^;)富士ってアクセス道路が鈴鹿に比べて少ないから、思いっきり生テレビ・・・じゃなくて、思いっきり混むのは目に見えているからなぁとおもいつつ、そんなのは覚悟の上だ!って意気込みでないと生のF1観戦は無理なのか??

そういえば2003年の鈴鹿の日本GPは直接行ったのだが、ひとつ気になったことがあった。いろいろなところで応援フラッグを配っていたのだが、その応援フラッグをデイバッグやリュックサックに突き刺して歩いているファンの多いこと多いこと。コレって危険じゃないのかな?というのも背中のデイバックに突き刺したフラッグ(の棒)は、高さ的に小学生高学年から中学生、または女性の目の位置に来るくらいの高さになる。アレだけ大勢の人が連なって歩くサーキット内は、結構目の前にその棒がにょいと出ていて、ちょっとでも何かあったら目に突き刺さりはしないかとどきどきしていた。
応援フラッグは背中に背負うバックの中ではなく、手荷物か紙袋の中に携帯しましょう、なんて取り決めをしたほうが良いのでわ?今はどうなっているかは分からないけど。

レースに話を戻すと、ミハエル・シューマッハがリタイアしてしまって、一番勝ってほしくない(シューマッハ側からすると)ルノーのアロンソが優勝した。お、この響き。響きだけで言うとマクラーレンのセナと、フェラーリに移ったばっかりの年のプロストを思い出す。コレで勝利数はミハエルとアロンソは並び、ポイント的にもアロンソが10ポイントリードで、次の最終戦へともつれ込む。もつれ込む?
ミハエル的には、アロンソがリタイアか9位以下になって自分は優勝するしか大逆転の残された道は無い。というわけでミハエルにしても「もうだめだ」的なコメントが聞こえてきたわけだけど、それでも最終戦は何が起こるかわからないので、じっくりと見ておきたい。

シューマッハに関してはまた別の機会に?

ぼくの動物園日記

2006年10月13日 06時14分02秒 | 日常あるいは平穏な日々
またまた更新できなくてすいません。って、固定読者の方がいるといいんですけど。覗くたびに更新してないなぁなんて思われているかも?
やっと仕事がひと段落・・・といいつつまたすぐに仕事はやってくるわけです。でも仕事があるということは幸せなことで、来年もこういった仕事を体に無理を強いないようにやれることができたら良いですね。

先日、西山登志雄さんがお亡くなりになられたという報道がありました。西山登志雄さんと書くよりも「かば園長」と書いたほうが、知っている方が多いかもしれません。東武動物公園の名物園長で、よくテレビにも出演されていましたから・・・。

西山登志雄さんは、高校を卒業後「上野動物園」に入り、かばをはじめライオンやサイなどを担当し、81年の東武動物公園開園とともに園長に就任。親しみのある風ぼうとカバをこよなく愛したことから「かば園長」と呼ばれました。00年に名誉園長となり、05年に退任してます。

僕は西山さんとは一切面識はありません。でも、西山さんは深く僕の心に焼き付いています。それはどのニュースでもあまりかかれてはいませんでしたが、僕が子供の頃、週刊少年ジャンプで西山さんを主人公にしたマンガが連載されていたのです。タイトルは「ぼくの動物園日記」主人公西山登志雄は若い飼育係で、動物たちやプライベート、飼育係の仲間と葛藤を繰り返し、喜怒哀楽を交え命の大切さや人間と動物の関係を縦軸に、飼育係として、人間として成長していくといったマンガでした。飯森広一先生の作品です。当時は何度も上野動物園に行きたいなと地方にいた子供の僕は思い描いたものです。

とても人間くさく、なおかつ重厚なドラマは今の時代でもそうは無いかもしれません。当時のジャンプは僕にとっては宝箱のような存在で、動物園日記のほかにも「包丁人味平」や「サーキットの狼」、「ドーベルマン刑事」などがありました。「ぼくの動物園日記」はかなり集中して読んでいましたが、死んだ小猿をずっと離さない母猿の話など名エピソードがやっぱり山のようにありました。

今も鮮明に記憶に残っているエピソードがあります。コレはぼくの動物園日記のオリジナルのエピソードではないのですが、実話として書かれていて当時強烈なインパクトがあったのです。

上野動物園のパンダの人気は凄く、連日列を成して人たちが押し寄せていました。そんな中、主人公西山登志雄は先輩吉岡から驚く話を聞くことになるのです。動物園で動物達を殺したことがある。

第2次大戦中に上野動物園(他の動物園でもそうですが)で行われた悲劇。本土決戦があった場合に、動物園に爆弾が落ちたら動物たちが脱走して人々の命が危険にさらされるという理由で、動物たちは次々と殺されていきました。もちろん飼育係達は猛反対。なぜなら大本営発表によると日本軍は向かうところ敵無しで、常に勝ち続けていたということだったからです。じゃあななぜこんな本土決戦のことを心配しなければいけないのか。本当は日本は負けているのでは?そういった疑問が飼育係たちに浮かぶのですが、軍の責任者は大きな声と暴力でその不安を一蹴させます。

日本軍の命令で動物たち(主に猛獣)は基本的には毒殺で殺され、次々と倒れていきます。飼育係の人たちはつらかったでしょう。なぜなら、飼育係の人を信頼しているから彼らは餌を食べたのです。中に毒が入っているなんて思いもよらずに。マンガの中では飼育係の人が泣きながら日本刀で蛇を殺傷するシーンもあった様な気がします。狂気の時代というには、あまりにも哀しすぎる。そんな中、食べ物に入った毒に気が付いたのか、3匹の像はまったく餌を食べようとはしません。像の名前は「ジョン」「トンキー」「ワンリー」この3匹の像は頭も良く、動物園の人気者でした。

食事をとらないので、次に注射で殺そうとしましたが、硬く厚い像の皮膚にハリは貫通せずに折れたりしました。結局最後にとった方法。それは餓死させるという方法でした。一切の食べ物や水を与えないというこの方法で、ジョンは死んでしまいます。

次はトンキーとワンリー。彼らにも絶食という方法をとらざるを得ませんでした。目はくぼみ、体も骨と皮だけになってしまったトンキーとワンリー。ある日、飼育係の人が像舎に行くと、突然トンキーとワンリーが芸を始めたのです。本当なら体を起こすことさえ不可能なのに。芸をやれば餌がもらえる。そう思って彼らは芸をしていたのでした・・・。

あかん、また泣けてきた。ラストまで書かないので、機会があればぜひ読んでもらえるといいのですが。同じ話は「かわいそうなぞう」という絵本でも読むことが出来ますが、当時のマンガでこの話をやっている、いえ、動物園のマンガをやっていたということはいまさらながら凄いことだなと思うシダイです。上野動物園には、このときに亡くなった動物達の慰霊碑が今もあります。もし上野動物園に行く機会があったら訪れてみてはいかがでしょうか?

今ですと100円ショップのダイソーで1.2巻が100円で手に入りますが、このエピソードはありません。アマゾンでもいくつかは手に入るようですが、なかなか全部というのは難しいようです。これ以外にも「僕の動物園日記」は素晴らしいエピソードが満載で、ぜひまたじっくりと読みたい、皆さんにも読んでもらいたいお勧めのマンガなのでした。

「僕の動物園日記」の主人公、かば園長、西山登志雄さんのご冥福をお祈りいたします。