快談爺流離日記

思いの儘に記す自然を好み手近の被写体を撮り歩く暇爺。

わが街のエジソン「加藤与五郎博士」フェライトの父ふるさと刈谷を愛し続けた日本のエジソン

2019年12月27日 08時45分22秒 | 日頃の写真新活動

加藤与五郎は博士は明治5年7月2日誕生、若くして母こうをチフスで亡くし、本人もチフスで大患、新しく母たかを迎え、小学校に通学を再開、野田村西屋敷で誕生、野田小学校入学(現在の双葉小学校)小学校卒業小学校授業生(教師)検定試験に合格し鶴ケ崎(現碧南市)小学校授業学心得となる、若くして研究心に長けていた。

加藤与五郎記念館のメーンホールに有った、教訓と肖像。

この度は、以下モノクロで撮って来ました。

加藤与五郎博士の、数々の功績を記している。

フェライト磁石、(酸化金属磁石)フェライト制コア(酸化金属磁石)アルミナ

(酸化アルミニュウム)と世界3大発明をしました。これらは、テレビ、ラジオ、

電話、磁気テープ、コンピューター、現在のエレクトロニクスに不可欠なものと成っています、加藤与五郎は「フェライトの父」と称賛され、多くの発明をした事

から『日本のエジソン』とも呼ばれ世界の工業会に大きな貢献をしました。

 

この様な教訓を、送って居ます。

記念館に展示して有った。

加藤与五郎、生誕の地、

生誕地まで行く細い路地、当時はリヤカーが通ればよかったのでは?。

刈谷市教育委員会の名盤、

加藤与五郎生誕地に石塔。「生誕地の清掃は双葉小学区の生徒が行って居る」

昌福寺に有った「加藤与五郎博士」生誕の地の案内板。これより180m車では行けない道幅が狭くて、カメラぶら下げ、杖を頼りに行ってきました。

昌福寺の観音像、加藤与五郎の葬儀が営まれたお寺。

昌福寺の山門、このお寺で、安らかに眠ってみえる。加藤与五郎博士は、明治42年

8月13日午後4時熱海の自宅にて永眠。(95才)

   令和元年12月28日投稿