(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−194(尼子・毛利の対決)
戦国の石見−4(続き−4) 61.4. 尼子・毛利の対決 61.4.1.元就小早川・吉川 両家を掌中にする 小早川家 当時安芸の小早川家は分かれて、本家沼...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−193(広瀬富田城攻め−2)
戦国の石見−4(続き−3) 61.3.広瀬富田城攻め(続き) 61.3.5.毛利元就の帰陣 一方毛利元就は吉田の本拠郡山城に、様々な困難に遭い帰陣している。...
望洋−53(戦時下の宮古島)
31.戦下の宮古島 昭和19年(1944年)10月10日(火)のいわゆる「10・10空襲」が、宮古島における初空襲である。 その後の空襲は、年内は細切れに行われたが、ほぼ小康を...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−192(広瀬富田城攻め)
戦国の石見−4(続き−2) 61.3.広瀬富田城攻め 天文10年(1541年)尼子勢の吉田敗退の結果は備前・安芸・岩見の諸族に大衝撃を与え、尼子家を離れて大内...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−191(吉田郡山城戦)
戦国の石見−4(続き) 61.2.吉田郡山城戦 大内、尼子が石見で攻防戦を演じている間に、 安芸国では大内方の毛利氏が強固な地位を固めつつあった。 ...
望洋−52(多良間島の㋹艇回収(続き))
30.多良間島の㋹艇回収(続き) 30.2.2.青木雅英 青木雅英県会議員は村の有力者であった。 昭和6年(1929年)から昭和8年(1933年)まで多良間島第6代村長に就任...
望洋−51(多良間島の㋹回収)
30.多良間島の㋹回収 海上挺進第四戦隊が駐屯地の宮古島に向かう航海で、時化に遭い数多くの船が漂流し与那国島、西表島、石垣島、多良間島、台湾に漂着した。 台湾に漂着した船以外は...
望洋−50(多良間島)
29.多良間島 多良間島は宮古島圏域内の島で、宮古島の西方約67km、石垣島の北東約35kmの海上に位置した、面積19.75k㎡の楕円形の島である。また、その北方約8kmに面積2...
故郷の風景(45) 笠取りの墓
笠取の墓 浜田市三隅町黒沢に「笠取りの墓」という場所があります。 ここに古い小さな三基の五輪墓があり、観応3年/正平7年(1352年)京都岩清水八幡の戦いで討たれた石見宮(後醍...
望洋−49(第四戦隊の状況(続き))
28.第四戦隊の状況(続き) 28.2.高山第一中隊長の回想 マラリアの脅威 基地隊にマラリア患者が多発し亡くなられた方も多かったが、(...