Circle of Life

COURAGE=Communication+Simplicity+Feedback
膠原病・MCTDの通院記録など

14年ぶりの母校

2011-03-29 23:57:14 | その他


長年の友人、なっちゃんとデート。

●誕生日割引ハガキ片手にイタリアン・レストランでパスタランチ。
 遅れたけど、Happy Birthday!
 ケーキと花火は、お店のサービスです。
 前菜:ローストビーフのカルパッチョ
    美味しいお肉でした。
 パスタはふたりで注文したのを、分けあって食べました。
 パスタ:広島県産もち豚をトロトロ煮込んだトマトソース(タリオリーニ)
     豚肉が口の中でとろけて、最高でした。
 パスタ:阿蘇地鶏と季節野菜のジェノバクリームソース(フェットチーネ)
     鶏肉があるし、季節の野菜もあって、バランスがよかったです。
 おかず:モッツァレラのはさみ揚げ。
     衣がしっかりしていて美味しかったです。

●14年ぶりに母校へ
 春休みに入っていたし、夕方だったので、学生の数は少なく、お世話になった教官も不在が多かったです。
 病弱だった私の面倒をよく見てくださった保健師さんを訪問しました。
 あの当時と変わらず、活気のある美人でした。
 ムーンのまるまる顔のせいで、一瞬私が誰かわからなかったみたい……
 卒業時の自分の写真を見たけど、もう発病していてステロイド治療を受けていたはずなのに、顔はまるくありませんでした……
 保健師さんは、なんと、私が膠原病だったってことを、ご存知でなかったのです……
 入院していたのが夏休みだったので、学校に来なくても不思議じゃないよね……
 膠原病を発病したことを知っていたのは、担任とZombieぐらいだったらしいです。
 保健師さんの同級生の看護師さんも膠原病だそうで、事情をすぐにわかってくれました。
 ですから、病気のことを説明せずにすみました。
 当時の私のこと、よく観察されていて、「逃げ回っていたでしょう」とザクリと言われました。
 ええ、当時は酷い対人恐怖症だったのです……
 図書館に通ってばかりで、ロクに勉強しなかったから留年したのです。
 自分では居眠り常習犯の学生と思っていましたが、教官たちの評価は頑張って勉強しているのに報われない学生でした……

 情報工学科の教官、ケンシローの教官室がある情報棟へ行くには、階段を使わないといけません。
 間質性肺炎患者の私には、階段移動はハードで苦しいことです。
 なわけで、保健室にケンシローに来ていただいてもらって、ありがたかったです。
 ケンシローは名前がケンシロウだからケンシローと呼ばれていて、本名を忘れとりました……;
 焼き海苔のような眉と鍛え上げられた筋肉、胸の七つ傷のケンシローとは違い、ひょろんとした雰囲気の教官です。
 本人はケンシローと呼ばれるのを不快がっていたけど、学生らがそう呼ぶので諦めてしまったようです。
 ケンシローの顔は昔と変わらず若々しかったけど、後退した前髪が14年の歳月を物語っていました……
 ああ、ケンシローの髪が薄くなるなんて想像もしていなかったと言えば、北斗神拳で「ひでぶ」にされるのは目に見えているので、黙っておきました。
 当時の同期生の話になり、ケンシローの口から出てくる名前は問題児ばかり……
 いまでも学生相手に苦労されていて、「ちょっとでも目を離したら、なにをやらかすかわからん連中」と嘆息されていた。
 私が高学年の時にケンシローは自転車にはまって、学生と一緒になって自転車通勤していたと思います。
 今は美味しいビールのため、走ることに夢中だそうです。
 若い学生相手に張り合っているせいか、まだ若々しくお元気そうでした。

 Zombie以上に厄介だったあのクソジジ……あら失礼、桃吉爺さんはまだ生きていました。
 ……戦争はもう終わったんだよ、お爺ちゃんな軍国主義者で、厳しくて怖かったです。
 桃吉伝説という、内容を忘れましたが、下級生に語り伝えられる怖い言動ある教官です。
 定年退職後も非常勤で電気関連を教えるために、隣県から軽トラ通勤されていました。
 私たちに教えたのを最後に非常勤を辞められ、たまに学生に焼きを入れに来ていたみたいだけど。 
 今は学校の近所で所有している船の解体作業をしているそうです。
 ファンキーな桃吉爺さんのことだから、船を改造して海路で学校へ来そうです。
 Zombieの葬儀の時、桃吉爺さんは号泣されていたそうです……

 P教官にも会いました。
 P教官は私たちに講義をしたと言っているのだけど、受けた記憶がありませぬ……
 実験実習の時、助手の技官としておられたのは覚えているような……
 教官室は素人が見ればガラクタの山だけど、価値を知る人が見ればお宝の宝庫でした。

 教官たちの高齢化に対処するためか、学内の改築工事が進んでいました。
 なんと、障害者用トイレがあったり、エレベーターが設置されていました。
 私が在校生だったころは、国がお金をくれないからと、オンボロ校舎だったのに……

 卒検でお世話になったI教官は先月お子さんを産まれて育児休暇中でした。
 私たちが卒業したことに結婚されて、それから14年、待望の女の子です。
 
 母校を訪ねるのにドキドキしたけど、温かく受け入れてくれて嬉しかったです。
 なによりも覚えていてくれたのに感動したけど、そういや私も問題児でした……

 今日、出会った人たちに、ありがとう。

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