#624: カリフォルニアのママとパパ

2014-06-06 | Weblog
さて、前稿で登場したラヴィン・スプーンフルと同様、幻のバンド、ザ・マグワンプス(The Mugwunps)が分裂してできたもう一つのヴォーカル・グループ、ママス&パパス(The Mamas & The Papas)に触れないわけにはいかないだろう。彼らは60年代フォーク・ロック・グループの中でも、男女2組という他のグループにはない編成と、さわやかでソフトなハーモニーをセールス・ポイントに人気を集めた。

60年代初め、ママ・キャスことキャス・エリオットは、女性1・男性2(いわゆるPPMスタイル)のフォーク・トリオを結成し音楽活動をしていた。同じころデニー・ドハーティは、ザル・ヤノフスキーらとバンド活動をしていた。しかしどちらのバンドもすぐ解散、そのメンバーたちが集まって作った新たなバンドにジョン・セバスチャンが加わって、ザ・マグワンプスというバンドが結成されるのだが、彼らはアルバムを録音してすぐに解散してしまう。このアルバムは発表されずに終わり、それが幻のバンドとされる所以である。キャスは、この後、ジャズ・シンガーとして活動を始め、デニーは、ジョンとミシェルのフィリップス夫妻が在籍していたバンド、ニュー・ジャーニーメン(前身のジャーニーメンにはスコット・マッケンジーがいて、後の「花のサンフランシスコ」へとつながる)に加入する。時代はすでにフォーク・ロックへ向かっていて、ニュー・ジャーニーメンもエレクトリック・ギターなど電気楽器を導入、活動の拠点をカリフォルニアに移すのである。そこで、キャスと再会、ここにキャス、デニー、フィリップス夫妻の4人からなるママス&パパスが誕生することになる。1965年のことであった。


デビュー曲はジョンとミシェルのフィリップス夫妻が書いた『夢のカリフォルニア』(California Dreamin')で、1965年に発売されると、いきなり全米第4位の大ヒットとなり、彼らは一躍トップ・アーティストの仲間入りを果たすのだった。

All the leaves are brown and the sky is gray
I've been for a walk on a winter's day
I'd be safe and warm if I was in LA
California dreamin' on such a winter's day…

木の葉はみんな枯れ 空は灰色
ある冬の日に 僕は散歩に出かけた
ロサンゼルスにいたならば 安全で暖かかったのに
こんな冬の日 カリフォルニアの夢をみる

道の途中で教会に立ち寄った
ひざまずいて祈るふりをしたんだ
牧師は寒いのが好きだからね
僕がここにいるってこと 彼は知っているんだ
カリフォルニアの夢をみる こんな冬の日に

木の葉はみんな茶色くなった 空は灰色
散歩に出かけたある冬の日
もし彼女に言わなかったら 今日にでもここから出ていけたのに
こんな冬の日 カリフォルニアの夢をみる…

この曲を耳にするたびに、必ず高校時代のある日の放課後の教室のことを思い出す。教室には何人かのクラスメートがいて、誰からともなく“All the leaves are brown…”と歌い出す。それに合わせるように歌声が重なる。蚤助は黒板に向って、覚えたばかりの歌詞を書く。しばらくすると、教師が顔を出し「おおやってるな」という風な表情をする。次にその目は黒板の歌詞に注がれる。彼はおもむろに黒板に向うと、歌詞のスペルの間違いを訂正するのだ。蚤助は“gray”を“grey”と綴っていたのだった(笑)。懐かしくも恥ずかしい思い出である。なお、かつてこちらで触れたことがあるが、間奏に入る印象的なフルート・ソロはバド・シャンクである。

この後、彼らはグループが自然消滅するまでに15曲のヒット曲を残すのだが、全米チャートで1位になった曲は、セカンド・シングル『マンデー・マンデー』(Monday Monday)だけであった。しかも、この作品、当初はプロデューサーのルー・アドラーと曲を書いたリーダーのジョン・フィリップス以外の他のメンバーは歌うのを嫌がったという。理由は明らかにされていないのだが、とにかくジョンは嫌がるメンバーを必死に説得してレコーディングにこぎつけた。皮肉なもので、その結果がレコード・セールス600万枚という驚異の記録につながったのだ。


Monday, Monday, so good to me
Monday morning, it was all I hoped it would be
Oh, Monday morning, Monday morning couldn't guarantee
That Monday evening you would still be here with me…

月曜日 心地の良い日
月曜日の朝 僕がそうあるべきと望んだものだった
ああ、月曜の朝は保証できない
月曜の夜まで 君が一緒にいてくれるかどうかなんて

月曜日なんか信用できない
月曜日にあっさり裏切られることだってあるから
ああ、月曜の朝、君は何にも言ってくれなかった
ああ、あの月曜日に僕をおいて行ってしまうなんて

月曜日以外の他の日なら
一週間のうちの他の日なら大丈夫なんだ
でも月曜日が来るたびに 毎週来るたびに
僕は一日中泣いているのさ…

彼らは、元々ニューヨークを中心に活躍していたフォーク歌手たちの集まりであったが、当時まだ生まれていなかったウェスト・コースト・ロックのパイオニアであり、花を飾って西海岸を目指したヒッピーたちの先駆者でもあった。そういう意味でも「フラワーピープル」たちにとっての“ママス&パパス”であったわけである。

美しいハーモニーを持つ彼らは、サンフランシスコを中心に盛り上りつつあったフラワー・ムーヴメントの流れにも乗って、ある意味コミューンのような理想的なグループというイメージを売り物にしていた。しかし、その理想が幻想であったことはすぐに明らかになる。ラヴィン・スプーンフルの場合には、ドラッグ問題が契機だったが、彼らの場合には、何と不倫問題であった。デニーとミシェルが不倫関係にあることを知ったジョンはミシェルをグループから追放した。だが、ほどなくグループに復帰させ、理想的なグループの体面を保つことにしたのだ。ママ・キャスは激怒したという。そんな状況下で出したセカンド・アルバム(The Mamas & The Papas-全米4位)、サード・アルバム(Deliver-全米2位)とも大ヒットし、グループ内の不和は嘘のような活躍ぶりであった。

67年に開催されたモンタレー・ポップ・フェスティヴァルでは、彼らは発起人とコンサートのトリを務め、まさしく主役であった(映画『モンタレー・ポップ』)。中でもママ・キャスとして多くのファンに親しまれたキャス・エリオットは、面倒見がよく、ジョニ・ミッチェル、CS&N(クロスビー・スティルス&ナッシュ)など後進のアーティストを支援するなどまさに母親的な役割を果たした。フィリップス夫妻作の『クリーク・アリー』(Creeque Alley-67年5位)という曲には、ザル・ヤノフスキー、ジョン・セバスチャン、ロジャー・マッギン、バリー・マクガイア等、フォーク・ロック界のアーティストのことが歌われている。

だが、夫婦間に亀裂が入っていたフィリップス夫妻は、68年に入ると再び衝突し、、ミシェルはグループから完全に追放されてしまう。ママ・キャスは、自分がリード・ヴォーカルを担当した楽曲を、ソロ・アルバムとして発表(この中に例の“Dream A Little Dream Of Me”も収録)、いよいよメンバーはバラバラになってしまうのである。

その後、レコード会社(ダンヒル)との契約上、アルバムを1枚制作しなければならなかったが、それは、各メンバーが別々に録音したものをダビングして作られたものだった(71年“People Like Us”)。そうしているうちにキャスは74年に心臓麻痺で急死してしまった。蚤助はキャスの個性的なキャラが好きだったが、特に初期(65年)の『青空を探せ』(Go Where You Wanna Go)がお気に入りだ。「行きたいところに行けばいい、したいことをすればいい、一緒にいたい誰かと…」と、キャスのリード・ヴォーカルで素晴らしいハーモニーが聴ける。80年代には、ジョン、デニー、スコット・マッケンジーでママス&パパスが再結成されるが、もはやかつての素晴らしいハーモニーは甦ってくることはなかった。なお、ジョンは01年、デニーは07年に死去している。

パパとママどっちも好きと如才ない  蚤助






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2 コメント

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Unknown (けいこ)
2014-07-11 20:15:19
蚤助さん、こんばんわ。

『夢のカリフォルニア』
今も色々なシーンで歌い継がれている名曲ですよね。
読みながら頭にメロディが浮かぶ、
蚤助さんの記事では数少ない(!?)
今回のお話(過去記事少しずつ
読ませていただいてますヨ^^)。
高校時代のエピソードもステキです♪

私がローティーンだった60年代って
今から思えば欧米のポップス(ファッションにしても)が
どっと入ってきて、長子の私は、兄や姉のいる
友達が情報源でした。皆ギターやりだすし
(かくいう私も雨音?雨漏り?のごとく弾き語り・・・)

ミシェル・フィリップ・・・そりゃキュートだもん、
小悪魔的だし。私はフリートウッドマックの
スティービー・ニックスとか(容姿から入るタイプ)
大好きでした。でその恋多きミシェルの娘のチャイナとビーチボーイズのブライアン・ウィルソンの双子の娘が
結成してヒットさせたウィルソン・フィリップスの
『Hold On』なんですけどね・・・・。

次男が3年前院試に落ちまして(その後奮起して
進学出来たんですけど)チョー落ち込んでるときに
ユーチューブをメールに張り付けて送ったことを
思い出しました・・・蚤助さん的には苦笑モンでしょ
(那智の滝汗)
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Unknown (蚤助)
2014-07-12 05:51:33
けいこさん、おはようございます。

過去記事までフォローされているとは、お恥ずかしい(笑)。
元々ポップス小僧だったのですが、高校生のある日、突然、モダン・ジャズにも目覚めて現在まできているというわけです。
正直、80年代以降のポップス、ロックはほとんど空白状態です。どんどん昔の音楽にはまって行って、同時代の音楽にはあまり食指が動かない状態になっていました。というわけで蚤助の音楽観は基本的にレトロなのでした(笑)。
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