新型インフルエンザの世界的流行が懸念されています。蚤助の知り合いもこのGWにアメリカ旅行を計画していてだいぶ悩んでいたようですが、結局、渡航を中止してしまいました。アメリカの西海岸、特にカリフォルニアはメキシコと国境を接していることもあって、ヒスパニック系住民が多いところです。今回のインフルエンザの発生地がメキシコということもあり警戒するのは当然だとしても、メキシコ国内の死亡者数が突出して多いというのが気になるところです。やはり現地の医療事情や経済格差の問題が複雑にからんでいるような気がします。大観光地のカンクンやアステカの遺跡群のあるユカタン半島へは十数年前に訪れたことがありますが、今回の騒動で遺跡が閉鎖されるなど相当な影響があるようです。
蚤助がカリフォルニアやウェスト・コーストという言葉をはっきりと意識したのはおそらくママス&パパス「夢のカリフォルニア」(California Dreamin'-1966)を初めて聴いた頃だったと思います。彼らのグループ結成は1965年のことでした。バリー・マクガイアの本邦唯一のヒット曲「明日なき世界」(Eve Of Destruction-1965)でバックコーラスをつけたのがきっかけでした。バリーの紹介でレコードデビューすることになりましたが、ママス&パパスの「クリーク・アレー(Creek Alley)」という曲の中で、バリーを「フォーク・ロックにメッセージを持ち込んだ」と歌っているのは、おそらくそのためでしょう。この「夢のカリフォルニア」は彼らのデビュー曲で、メンバーのジョン&ミシェル・フィリップス夫妻のペンになるものでしたが、続く「マンデー・マンデー」の全米ナンバー1ヒットと合わせて彼らをフォーク・ロックの人気グループに押し上げることになりました。
ところでこの曲の間奏部に印象的なフルートソロが出てくることを覚えているでしょうか。現在でも「夢のカリフォルニア」のカヴァー版にはこのフルートソロのメロディーが使われることが多いようです。実はこのフルートソロ、かつてウェスト・コーストのジャズシーンにおいてアルト・サックス三羽ガラスといわれた三人の一人、バド・シャンク(Bud Shank)なのです。ちなみに三羽ガラスのあとの二人はArt PepperとHerb Gellerです。バド・シャンクは、画像のように俳優のジョージ・クルーニー似の二枚目ですが、アルトをはじめテナー、バリトン、フルートと何でも器用にこなすマルチリード奏者でした。スタン・ゲッツがジョアン・ジルベルトやアントニオ・カルロス・ジョビンとともにボサノヴァをブームにする以前の1950年代からギターのローリンド・アルメイダとともにブラジル音楽を演奏していたことはあまり知られていません。この双頭バンドの演奏はゲッツ=ジルベルトのような洗練された演奏ではありませんが、素朴な味わいがあってなかなか好もしいのです。そのバド・シャンクがちょうど一月前の4月2日に亡くなりました。享年82歳、前日まで新しいビッグバンドのアルバムの録音をしていたとのことでした。
画像は「The Bud Shank Quartet」(1956)というアルバムで、ピアノのクロード・ウィリアムソンの素晴らしいバッキングもあって人気盤となっています。このアルバムと同時期の録音で同じメンバー、同じタイトルのアルバムもあるので紛らわしいのですが、こちらは青年バド・シャンクのポートレイト写真ジャケット、もう一枚はサックスをかかえたバドのイラストジャケットです。どちらもワンホーンで若々しいプレイが聴ける名盤です。晩年はかつての軽やかな音色からかなりへヴィーで激しさを増した演奏をしてそれはそれでなかなか良かったのですが… ご冥福をお祈りします、合掌。
「若者の眉はあくまで一文字」(蚤助)
蚤助がカリフォルニアやウェスト・コーストという言葉をはっきりと意識したのはおそらくママス&パパス「夢のカリフォルニア」(California Dreamin'-1966)を初めて聴いた頃だったと思います。彼らのグループ結成は1965年のことでした。バリー・マクガイアの本邦唯一のヒット曲「明日なき世界」(Eve Of Destruction-1965)でバックコーラスをつけたのがきっかけでした。バリーの紹介でレコードデビューすることになりましたが、ママス&パパスの「クリーク・アレー(Creek Alley)」という曲の中で、バリーを「フォーク・ロックにメッセージを持ち込んだ」と歌っているのは、おそらくそのためでしょう。この「夢のカリフォルニア」は彼らのデビュー曲で、メンバーのジョン&ミシェル・フィリップス夫妻のペンになるものでしたが、続く「マンデー・マンデー」の全米ナンバー1ヒットと合わせて彼らをフォーク・ロックの人気グループに押し上げることになりました。
ところでこの曲の間奏部に印象的なフルートソロが出てくることを覚えているでしょうか。現在でも「夢のカリフォルニア」のカヴァー版にはこのフルートソロのメロディーが使われることが多いようです。実はこのフルートソロ、かつてウェスト・コーストのジャズシーンにおいてアルト・サックス三羽ガラスといわれた三人の一人、バド・シャンク(Bud Shank)なのです。ちなみに三羽ガラスのあとの二人はArt PepperとHerb Gellerです。バド・シャンクは、画像のように俳優のジョージ・クルーニー似の二枚目ですが、アルトをはじめテナー、バリトン、フルートと何でも器用にこなすマルチリード奏者でした。スタン・ゲッツがジョアン・ジルベルトやアントニオ・カルロス・ジョビンとともにボサノヴァをブームにする以前の1950年代からギターのローリンド・アルメイダとともにブラジル音楽を演奏していたことはあまり知られていません。この双頭バンドの演奏はゲッツ=ジルベルトのような洗練された演奏ではありませんが、素朴な味わいがあってなかなか好もしいのです。そのバド・シャンクがちょうど一月前の4月2日に亡くなりました。享年82歳、前日まで新しいビッグバンドのアルバムの録音をしていたとのことでした。
画像は「The Bud Shank Quartet」(1956)というアルバムで、ピアノのクロード・ウィリアムソンの素晴らしいバッキングもあって人気盤となっています。このアルバムと同時期の録音で同じメンバー、同じタイトルのアルバムもあるので紛らわしいのですが、こちらは青年バド・シャンクのポートレイト写真ジャケット、もう一枚はサックスをかかえたバドのイラストジャケットです。どちらもワンホーンで若々しいプレイが聴ける名盤です。晩年はかつての軽やかな音色からかなりへヴィーで激しさを増した演奏をしてそれはそれでなかなか良かったのですが… ご冥福をお祈りします、合掌。
「若者の眉はあくまで一文字」(蚤助)
1960年代半ばのポップス界は、ロック志向が強まって、ボブ・ディランのほかやビートルズをはじめとした英国勢らの影響力がますます強くなっていきました。バリー・マクガイアの「明日なき世界」は、反戦、プロテストソングの代表曲のひとつで、あまりにも厭世的な内容のため一部のメディアでは放送禁止になったにもかかわらず、チャートはどんどん上昇しついにはトップにランクされました。バックに後のママス&パパスとなる4人と、作者には「孤独の世界」のP・F・スローンの名があります。スローンは当時ダンヒルレコードのライター兼プロデューサーでもありました。
バリー・マクガイアはほぼ一発屋と呼ぶべき存在で、その後目立った活動はなくいつの間にか音楽シーンから消えていきました。