ハルウララついに引退!113連敗生涯勝てないまま:社会:スポーツ報知
あのー…。
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高知競馬場に芝コースなんてありゃしませんがなにか?
○○○○馬主の安西美穂子が、「ハルウララには休養が必要だ」と、強引に高知競馬場から遠路栃木県那須まで拉致監禁してから2年。ハルウララも10歳になり、2年前から予想はされていたが、誰もが思い描いたとおりの、最悪な展開を迎えたまま、ついにハルウララは、高知競馬場に戻ってくることはなかった。
思えばハルウララフィーバーがもっとも華やかだったのは、武豊が「高知競馬場のためならば」と一肌脱いで背に跨って、しかも最下級の条件戦なのに、異例の全国発売を行った、2004年3月頃だったろう。ユタカ騎乗の話が最初に出た頃は、ユタカも「ブームになっているハルウララの引退レースという話だし、高知競馬場直々に乗ってくれという話だったので一肌脱いだ」はずだった。
ハルウララが素直に、2004年3月の時点で引退できていたら、日本国民に惜しまれながら引退できただろう。
高知競馬場も、安西と関わってしまったのが運の尽き。
ハルウララフィーバーに沸く2004年3月頃、奴は突然ハルウララに近づいた。「余生の面倒を見るからハルウララを私に譲れ」というのである。
心ある競馬ファンの悲鳴を他所に、ハルウララの馬主名義が安西に変更される。
それからというもの、グッズの売り上げのロイヤリティは分捕られるし、3月のレースを境に、ハルウララの人気も急激に下降し始め、高知に置いておいてもこれ以上の人気回復は難しいと判断するや、ハルウララを管理する宗石大調教師などを恫喝してハルウララを連れ去り拉致監禁、そのまま自身の持つ栃木県那須の牧場へ。
以来、2004年12月で閉鎖された高崎競馬場の境町トレーニングセンターで新規に競馬場を立ち上げようとするグループに接触、そこでハルウララをマスコットにする話が持ち上がるや、各方面から囂々たる非難を浴び、新競馬場の設立構想もハルウララのマスコットの話も、全部暗礁に乗り上げ、ハルウララ自身も高齢であるために、もう一度一から競走馬としての身体を作り直す体力はもちろん、那須から高知へ行く体力すら疑問視され、高知の人々にお別れを告げられないまま、2年という無情な時が流れ、現在に至る。
時というのは非情なもの。
今やハルウララは、2年前は時代の寵児よ、負け組の星よとちやほやされた週刊誌でさえも、完全に「あの人は今?」扱いである。
人気が出ると、どこでどんな人間が近寄ってくるかわからない。
ましてや高知競馬など、競馬界のブラックリストなどはもはや要らないような場所だっただけに、ハルウララの人気と金回りに目をつけて、「ハルウララの余生の面倒を見る」などと言われたら、主催者側からすればまさしく渡りに船、青天の霹靂。その姿たるや、甘い言葉に誘われて見境もなく貢ぎまくるすけべオヤジそのものである。ちょっとでも競馬界にアンテナを張っていれば、安西美穂子がどれだけの危険人物であったかは理解できたはず。競馬ファンでさえも、ほぼ全員から総スカンを食っていた人物だったのだから…。
しかし、馬主サイドのコメントは諸説混在しており、情報が錯綜している。
リンクしたスポーツ報知では「引退式は行わない方向」と話す割に、他のメディアでは「どこかで引退式が出来れば」という話もあり、また、「今後は人のために新たな仕事で生き抜かせることで、勝たせたい」と語るなど、今後もハルウララを食い物にする魂胆は相変わらず。
これ以上ハルウララを引っ張り回して、更なる負担を強いるのだけは勘弁して欲しい。ハルウララはあんたの銭ゲバのために生きているのではない。
今でもあたしが心残りなのは…。
今でも、安西美穂子が競馬界デビューの礎となってしまった、安西が楽曲の作詞を担当したCD「OGURICAP FOREVER」を、今でも持っていること…_| ̄|○
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高知競馬のアイドルホースとして一世を風靡(ふうび)したサラブレッドのハルウララ(牝10歳、宗石大厩舎)が競走馬登録を抹消し、現役引退することが2日、分かった。113連敗となった2004年8月3日のレース以降、2年以上も出走がないまま10歳を迎えた地方競馬最大のスター。事実上の引退状態にあったが、10月1日付(公示は11月中旬)の登録抹消で正式に引退確定。一度も勝てないまま、ターフを去る。
「勝てない」ことが魅力だった異色スターホースが、競走馬生活にピリオドを打った。最後に出走した04年8月22日の高知競馬第9レース「ハルウララ・チャレンジカップ」から2年以上が経過。事実上の引退状態にあったハルウララだが、関係者が協議の結果、現役引退が決まった。
高知競馬が加盟する地方競馬全国協会(地全協)では、1年以上出走していない馬を半期(4月、10月)ごとにリストアップ。関係者に現役続行の意思があるか確認する。ウララの場合、今年4月1日時点では登録は継続されたが、10月1日付の抹消に対しては、2日までに地全協登録課に連絡はなかった。意思確認は今月10日すぎまで行われるが、所属厩舎の宗石大調教師(55)は「抹消しました」と、過去形で発言。11月中旬には10月1日付の抹消馬として公示され、正式に引退が決まる。
勝てないながらも勝利を目指して懸命に走る姿が共感を呼んで沸き起こった大ブームは03年末から翌年にかけ、日本中を熱狂させた。関連商品もTシャツを始め、キーホルダー、携帯ストラップ、ぬいぐるみ、シングルCDまで発売され、本、漫画、映画にもなった。
JRAのスタージョッキー、武豊騎手(37)が騎乗した04年3月22日の一般レースでは、馬券が異例の全国発売までされ、売り上げは5億円以上。106連敗とはなったが、海外メディアを含め、86社350人の大報道陣が詰めかけるフィーバーだった。
「高知競馬にとって多大な貢献をした馬でした。ここ2、3年競馬ができたのもハルウララの力じゃないですか。つらいこともうれしいこともありました」と宗石大調教師。今もリンゴやニンジンなどを贈ってくるファンが絶えないという。
04年9月に栃木県黒磯市の那須トレーニングファームへ放牧。その後、武豊騎手再騎乗による引退レースなど、出走プランは何度か浮上したが、実現しなかった。馬主サイドは「昨秋に引退レース、今春に引退式をしたかったができなかったので、その時点で抹消を受け入れていた」と説明。今後、引退式などは行わないという。
◆ハルウララ 父ニッポーテイオー、母ヒロイン。高知・宗石大厩舎所属のサラブレッドの牝10歳。1996年2月27日生まれ。生産は北海道三石郡三石町の信田牧場。馬主は(株)エムエイオフィス。総収得賞金112万9000円。
◆ハルウララの通算成績 98年11月17日にデビューしてから04年8月3日のレースまで通算113戦で113連敗。2着は5回で連対率はわずか4・4%。3着が7回、最下位は13回。
◆ハルウララの足跡
▼98年11月17日 高知競馬1Rでデビュー。
▼03年 90連敗前後から地元マスコミが注目し人気沸騰。米誌も取り上げる
▼12月14日 100連敗。高知市が観光功労者として表彰
▼04年3月17日 CD「ハルウララの詩」発売
▼同22日 大フィーバーのなか、武豊騎手騎乗で出走も106連敗。小泉前首相も「武騎手でもだめか」とコメント。全国発売を含め、売り上げは5億円超
▼同31日 高知競馬12年ぶりの黒字
▼4月9日 漫画でもデビュー
▼8月3日 3兄弟対決のレースでも5着となり、113連敗。05年3月の引退を発表
▼9月1日 映画「ハルウララ」撮影スタート。主演は渡瀬恒彦と賀来千香子
▼同15日 休養放牧をめぐり、関係者間でいざこざ発生
▼05年2月10日 武騎手騎乗で3月21日に予定されていた引退レース延期を発表
あのー…。
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高知競馬場に芝コースなんてありゃしませんがなにか?
○○○○馬主の安西美穂子が、「ハルウララには休養が必要だ」と、強引に高知競馬場から遠路栃木県那須まで拉致監禁してから2年。ハルウララも10歳になり、2年前から予想はされていたが、誰もが思い描いたとおりの、最悪な展開を迎えたまま、ついにハルウララは、高知競馬場に戻ってくることはなかった。
思えばハルウララフィーバーがもっとも華やかだったのは、武豊が「高知競馬場のためならば」と一肌脱いで背に跨って、しかも最下級の条件戦なのに、異例の全国発売を行った、2004年3月頃だったろう。ユタカ騎乗の話が最初に出た頃は、ユタカも「ブームになっているハルウララの引退レースという話だし、高知競馬場直々に乗ってくれという話だったので一肌脱いだ」はずだった。
ハルウララが素直に、2004年3月の時点で引退できていたら、日本国民に惜しまれながら引退できただろう。
高知競馬場も、安西と関わってしまったのが運の尽き。
ハルウララフィーバーに沸く2004年3月頃、奴は突然ハルウララに近づいた。「余生の面倒を見るからハルウララを私に譲れ」というのである。
心ある競馬ファンの悲鳴を他所に、ハルウララの馬主名義が安西に変更される。
それからというもの、グッズの売り上げのロイヤリティは分捕られるし、3月のレースを境に、ハルウララの人気も急激に下降し始め、高知に置いておいてもこれ以上の人気回復は難しいと判断するや、ハルウララを管理する宗石大調教師などを恫喝してハルウララを連れ去り拉致監禁、そのまま自身の持つ栃木県那須の牧場へ。
以来、2004年12月で閉鎖された高崎競馬場の境町トレーニングセンターで新規に競馬場を立ち上げようとするグループに接触、そこでハルウララをマスコットにする話が持ち上がるや、各方面から囂々たる非難を浴び、新競馬場の設立構想もハルウララのマスコットの話も、全部暗礁に乗り上げ、ハルウララ自身も高齢であるために、もう一度一から競走馬としての身体を作り直す体力はもちろん、那須から高知へ行く体力すら疑問視され、高知の人々にお別れを告げられないまま、2年という無情な時が流れ、現在に至る。
時というのは非情なもの。
今やハルウララは、2年前は時代の寵児よ、負け組の星よとちやほやされた週刊誌でさえも、完全に「あの人は今?」扱いである。
人気が出ると、どこでどんな人間が近寄ってくるかわからない。
ましてや高知競馬など、競馬界のブラックリストなどはもはや要らないような場所だっただけに、ハルウララの人気と金回りに目をつけて、「ハルウララの余生の面倒を見る」などと言われたら、主催者側からすればまさしく渡りに船、青天の霹靂。その姿たるや、甘い言葉に誘われて見境もなく貢ぎまくるすけべオヤジそのものである。ちょっとでも競馬界にアンテナを張っていれば、安西美穂子がどれだけの危険人物であったかは理解できたはず。競馬ファンでさえも、ほぼ全員から総スカンを食っていた人物だったのだから…。
しかし、馬主サイドのコメントは諸説混在しており、情報が錯綜している。
リンクしたスポーツ報知では「引退式は行わない方向」と話す割に、他のメディアでは「どこかで引退式が出来れば」という話もあり、また、「今後は人のために新たな仕事で生き抜かせることで、勝たせたい」と語るなど、今後もハルウララを食い物にする魂胆は相変わらず。
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馬にとってはニュースにならない方がいいのでしょうが、馬主はニュースにならなければ死活問題w
1月28日のNHKニュース(関東ローカル)で、ホースセラピーとして千葉の勝浦にいらっしゃいます。
静観視しようや!