(前回までのあらすじ)朝早くに叩き起こされ、コーチから受けた指令は、「今日から千葉マリン行きだ」。喜び小躍りしたのもつかの間、コーチから下された過酷な指令、それは、「路線バスだけを乗り継いで千葉マリンへ試合開始前にたどり着け」という、荒唐無稽な命令だった。
その指令を仕方なくこなすために、ロッテ浦和球場脇の、沼影中央バス停を8時51分にスタート。その後、バスを乗り継いで、入谷町バス停でいよいよ東京都内に突入。お昼前には東武伊勢崎線竹ノ塚駅前に降り立ったのだ。
たった1週間や10日の過去ログを見ることさえ面倒くさいものぐさなあなたに、
遙かなる千葉マリンへの道 しょの1
遙かなる千葉マリンへの道 しょの2
さて、狭隘な竹ノ塚駅西口に降り立ち、そのまま竹ノ塚駅を東口へ回る。
竹ノ塚駅は何度か降りたことがある駅だけれども、最後に降り立ったのはいつだったか、全く記憶にないほどご無沙汰している。そもそも千葉県民であるおいらが、縁もゆかりもない竹ノ塚に降り立つ用事などほとんどあるはずもなく、おそらくは15年くらい前が最後なのかなあ…。
当ブログを古くからご愛好なさっておいでの奇特かつ有り難き皆様方におかれましては先刻ご承知とは思うけれど、竹ノ塚といえば、種村直樹氏、いやさ種村直樹先生のお膝元。
この乗り継ぎを行っているのが6月10日、そのつい4日前の6月6日に、無事外周ゴールを果たした種村先生。打ち上げまで出向いてご挨拶させて頂いたことは、先だってのエントリで触れたとおり。さすがにこの辺まではいちいち過去ログのリンクなんか貼りませんよ。興味のある方はご自身でお探し下さいまし。
思えばこの文体も、ほとんど論述調を崩していないのは、ひとえにこれも種村先生の影響。現代ではネットの発達で、論述調で文章を書くと、意に違い「上から目線」と揶揄させることもあり、まあ、実際その通りっちゃあその通りなんだろうけどねえ…。
お陰様で、ミクシイに書いている日記は丁寧調で書かせて頂いておりますです。なにこのへりくだりようw
というわけで、せっかく竹ノ塚に寄ったとあらば、先生の事務所のある「聖地」を頭を垂れつつ訪問しないのはいかがなものか。
竹ノ塚駅東口からは、綾24系統綾瀬駅行きに乗り継ぐところだが、事務所に近いバス停にもこのバスは止まるので、ならば他の系統で少々先回りする手だろう。
ロータリーに降りると、折良く竹15系統花畑団地行きが発車するところだったので、こいつに乗って、3つめの保木間仲通りで降りることに。
初めて竹ノ塚に降り立ったのは、1988年9月11日のことだった。
種村直樹氏の友の会の中で、氏の事務所訪問というイベントがあり、運良くお邪魔させて頂いたことがある。1988年ということでおいらが中学2年生。ああ、もう20年以上も前の話か…。え~、1988年9月11日の段階で、もしかしたら…ですが、まだこの世に生を受けていらっしゃらない読者の方がもしいらっしゃったら迷わず挙手!
…いや、たぶんいるだろうなあ…。
イベント自体は、他数名の参加者と共におしゃべりを楽しみ、時には読者からの質問のお手紙をどのように処理しているかという実演までついてきて、実に機能的にまとめられた数々の膨大な資料と共に、圧倒された記憶が、つい昨日のように蘇る。
というわけで保木間仲通り。
しかし、いかんせん氏の事務所へお邪魔したことがあるのが20年以上前。
先生の外周ゴールの時のエントリにも書いたけれど、やっぱり記憶って薄れるのね。
竹ノ塚駅から日光街道に至る道も、事務所前の光景も、全然思い出せないやorz
実はおいらが乗ってきた花畑団地行きのすぐ2~3台後ろを、綾瀬駅行きバスが続いていたようで、降りたって後ろを振り返ってみたら時既に遅し。
…まあいいか。この系統は毎時4本程度と頻発しているので問題はないだろう。次のバスは12分後なので、このあたりを歩いた記憶の糸を、一生懸命にほどく時間に充てよう。6日から、そんな作業ばかりやっているような…。
11時30分発の綾24系統綾瀬駅行きで一路綾瀬へ。
途中、TXの六町駅に寄りつつ綾瀬駅へ、
六町駅周辺は、とても東京23区とは思えないニュータウンの様相。
真新しい戸建て住宅やマンションが並んでいると、ここは千葉か埼玉かと見まがうほど。
車内は保木間仲通りを出たあたりは結構混んでいたが、六町あたりで乗客の流動は落ち着き、首都高加平ランプにかかるあたりで、ちらほらと乗客がある程度。
この道中で乗車時間が長い方で、35分かかって12時05分に綾瀬駅着。
この駅も懐かしいなあ…。
1999年1月、ここから八潮方面行きのバスに乗って、八潮市の体育館で行われた、全日本プロレスの「新春ジャイアントシリーズ」を見に行ったっけなあ…。
当時は全日本プロレスの年間全シリーズを観戦すると、特製Tシャツがもらえるスタンプラリーが行われていて、その前年、1998年の景品のTシャツが、当時の日本テレビのキャッチフレーズ「日テレ営業中」をもじった、「全日プロも営業中」というデザインに思いっきり心惹かれ、他のシリーズは武道館大会のチケットでいいとして、このシリーズだけは大会場でのイベントがなく、後楽園ホールのチケットを取らないと、この八潮大会を観戦する以外に方法がなかったのだ。
土足厳禁の会場だったのにスリッパを忘れ、靴下一丁で観戦していたから、寒くて寒くて仕方がなかった記憶しか残っていないのがなんとも…。
綾瀬へ降り立つのはそれ以来かあ…。
お次は12時15分発、新小51系統新小岩駅行きに乗り継ぎ。これまでの東武バス(セントラル)のテリトリーを抜け、いよいよ京成タウンバスのテリトリーへと突入する。
この京成タウンバスは、元は京成バスの奥戸営業所の一部が分社化されたもので、京成バスの奥戸営業所自体は、今でも都内からの各高速バスを受け持つ拠点として、今でも健在である。
バスは7割方の乗車率で終始入れ替わるような状況。
年に一度の菖蒲祭りで提灯が並ぶ堀切菖蒲園駅前は、さすがに人通りが多い。
駅から本物の堀切菖蒲園までは、徒歩で15分ほどかかる。
菖蒲と言えば、さて問題です。
よく似た花の、アヤメと菖蒲。
漢字で書くと、全く同じ文字である。
○か×かさあ来い!
ちなみに、この問題はウルトラクイズの本物の問題です。
水戸街道をアンダーパスし、ネックとなっている京成押上線の踏切も一発でクリアして、12時34分の渋江公園で下車。
ここで、同じく新小岩駅から来る新小52系統市川駅行きに乗り継ぐ。
この路線のルーツを辿っていくと、以前走っていた上34系統上野松坂屋~市川駅間の京成バスにたどり着く。
この上34系統はおいらも何度か乗ったことがあって、この系統を利用して、自宅がある八千代市から浅草雷門まで、バスだけを乗り継いで5時間でたどり着いたことがある。確か1992年頃にやったと記憶しているが、当時は西船橋駅南口から本八幡駅南口まで結ぶバスがあったから、ルートにはほとんど難儀せず、唯一難儀するのが自宅近所を通る勝田台駅発津田沼駅行き京成バス(1996年の東葉高速開業と引き替えに廃止)の時間という至便さだったので、今とは状況がまるで大違いなのだった。
この上34系統も、京成バスの大幅な路線改変に伴って、現状の新小岩と市川を結ぶ系統に変更されたので、小岩から市川橋を通って県境越えするのも、この系統だけということになる。
バス停のポールが、その路線改変の歴史を、今に色濃く伝えているよう。
ちなみに、この渋江公園から先は、上34系統時代と全く同じルートを辿ることになる。
渋江公園では有り難いのか何なのか、実に中途半端な15分待ち。
バス停の前にコンビニでもあれば、そこで軽くおにぎりかサンドイッチでも買ってきて昼食とするところだけれど、道を見ている限り、コンビニがあるような気配はないので、バス停に小振りなベンチがあったのをこれ幸いと、しばし腰を落ち着けて休憩時間としよう。
っていうか、なにより食事の時間すらままならないのが一番辛いorz
このあたりは、乗り鉄をしている最中に、駅前にコンビニはおろか商店や食堂一つすら満足に見つからない状況と似ているような気がする。
バスはほぼ定刻の12時49分にやって来た。
この路線は大型も中型も入るようだが、今回は中型バス。
最近、なぜか未だに方向幕が幕式で残っているバスを見ると(*´Д`)ハァハァしてしまいたくなるのはなぜだろう。
バスは奥戸街道をそのままトレースする形で、進み、小岩で蔵前橋通りに合流。
ここからはおいらも勝手知ったるルート。
というわけで、東京都内をわずか2時間足らずで通過しますよ。
やっとというか、あっさりというか、ここまでは極めて順調に、お昼1時過ぎには千葉県内に突入!
多少の渋滞はあっても、この時間に千葉県に入れれば、とりあえず安泰…かなと思いつつ、13時16分に市川駅に到着。
しかしながら、「しょの2」のエントリで触れたように、千葉県内に突入してからが、実はルート検討にアタマを悩ませる本番なのだった。
目標は、船橋駅と津田沼駅を結ぶバスが船橋駅を発車する15時30分。
それまでには、なんとか船橋駅に到着しておきたいところ。
残り2時間で船橋へ。
さあ、たどり着けるかどうか、それは次回のお楽しみ。
(※以下続く)
(今回のルート)
…竹ノ塚駅東口1115(竹15花畑団地 東武バスセントラル2754)1118保木間仲通り1130(綾24綾瀬駅 東武バスセントラル2553)1205綾瀬駅1215(新小51新小岩駅 京成タウンバスT011)1234渋江公園1249(新小52市川駅 京成タウンバスT186)1316市川駅…
↓すいません、マジで押して貰ってもよろしいですか?すいません…。
その指令を仕方なくこなすために、ロッテ浦和球場脇の、沼影中央バス停を8時51分にスタート。その後、バスを乗り継いで、入谷町バス停でいよいよ東京都内に突入。お昼前には東武伊勢崎線竹ノ塚駅前に降り立ったのだ。
たった1週間や10日の過去ログを見ることさえ面倒くさいものぐさなあなたに、
遙かなる千葉マリンへの道 しょの1
遙かなる千葉マリンへの道 しょの2
さて、狭隘な竹ノ塚駅西口に降り立ち、そのまま竹ノ塚駅を東口へ回る。
竹ノ塚駅は何度か降りたことがある駅だけれども、最後に降り立ったのはいつだったか、全く記憶にないほどご無沙汰している。そもそも千葉県民であるおいらが、縁もゆかりもない竹ノ塚に降り立つ用事などほとんどあるはずもなく、おそらくは15年くらい前が最後なのかなあ…。
当ブログを古くからご愛好なさっておいでの奇特かつ有り難き皆様方におかれましては先刻ご承知とは思うけれど、竹ノ塚といえば、種村直樹氏、いやさ種村直樹先生のお膝元。
この乗り継ぎを行っているのが6月10日、そのつい4日前の6月6日に、無事外周ゴールを果たした種村先生。打ち上げまで出向いてご挨拶させて頂いたことは、先だってのエントリで触れたとおり。さすがにこの辺まではいちいち過去ログのリンクなんか貼りませんよ。興味のある方はご自身でお探し下さいまし。
思えばこの文体も、ほとんど論述調を崩していないのは、ひとえにこれも種村先生の影響。現代ではネットの発達で、論述調で文章を書くと、意に違い「上から目線」と揶揄させることもあり、まあ、実際その通りっちゃあその通りなんだろうけどねえ…。
お陰様で、ミクシイに書いている日記は丁寧調で書かせて頂いておりますです。なにこのへりくだりようw
というわけで、せっかく竹ノ塚に寄ったとあらば、先生の事務所のある「聖地」を頭を垂れつつ訪問しないのはいかがなものか。
竹ノ塚駅東口からは、綾24系統綾瀬駅行きに乗り継ぐところだが、事務所に近いバス停にもこのバスは止まるので、ならば他の系統で少々先回りする手だろう。
ロータリーに降りると、折良く竹15系統花畑団地行きが発車するところだったので、こいつに乗って、3つめの保木間仲通りで降りることに。
初めて竹ノ塚に降り立ったのは、1988年9月11日のことだった。
種村直樹氏の友の会の中で、氏の事務所訪問というイベントがあり、運良くお邪魔させて頂いたことがある。1988年ということでおいらが中学2年生。ああ、もう20年以上も前の話か…。え~、1988年9月11日の段階で、もしかしたら…ですが、まだこの世に生を受けていらっしゃらない読者の方がもしいらっしゃったら迷わず挙手!
…いや、たぶんいるだろうなあ…。
イベント自体は、他数名の参加者と共におしゃべりを楽しみ、時には読者からの質問のお手紙をどのように処理しているかという実演までついてきて、実に機能的にまとめられた数々の膨大な資料と共に、圧倒された記憶が、つい昨日のように蘇る。
というわけで保木間仲通り。
しかし、いかんせん氏の事務所へお邪魔したことがあるのが20年以上前。
先生の外周ゴールの時のエントリにも書いたけれど、やっぱり記憶って薄れるのね。
竹ノ塚駅から日光街道に至る道も、事務所前の光景も、全然思い出せないやorz
実はおいらが乗ってきた花畑団地行きのすぐ2~3台後ろを、綾瀬駅行きバスが続いていたようで、降りたって後ろを振り返ってみたら時既に遅し。
…まあいいか。この系統は毎時4本程度と頻発しているので問題はないだろう。次のバスは12分後なので、このあたりを歩いた記憶の糸を、一生懸命にほどく時間に充てよう。6日から、そんな作業ばかりやっているような…。
11時30分発の綾24系統綾瀬駅行きで一路綾瀬へ。
途中、TXの六町駅に寄りつつ綾瀬駅へ、
六町駅周辺は、とても東京23区とは思えないニュータウンの様相。
真新しい戸建て住宅やマンションが並んでいると、ここは千葉か埼玉かと見まがうほど。
車内は保木間仲通りを出たあたりは結構混んでいたが、六町あたりで乗客の流動は落ち着き、首都高加平ランプにかかるあたりで、ちらほらと乗客がある程度。
この道中で乗車時間が長い方で、35分かかって12時05分に綾瀬駅着。
この駅も懐かしいなあ…。
1999年1月、ここから八潮方面行きのバスに乗って、八潮市の体育館で行われた、全日本プロレスの「新春ジャイアントシリーズ」を見に行ったっけなあ…。
当時は全日本プロレスの年間全シリーズを観戦すると、特製Tシャツがもらえるスタンプラリーが行われていて、その前年、1998年の景品のTシャツが、当時の日本テレビのキャッチフレーズ「日テレ営業中」をもじった、「全日プロも営業中」というデザインに思いっきり心惹かれ、他のシリーズは武道館大会のチケットでいいとして、このシリーズだけは大会場でのイベントがなく、後楽園ホールのチケットを取らないと、この八潮大会を観戦する以外に方法がなかったのだ。
土足厳禁の会場だったのにスリッパを忘れ、靴下一丁で観戦していたから、寒くて寒くて仕方がなかった記憶しか残っていないのがなんとも…。
綾瀬へ降り立つのはそれ以来かあ…。
お次は12時15分発、新小51系統新小岩駅行きに乗り継ぎ。これまでの東武バス(セントラル)のテリトリーを抜け、いよいよ京成タウンバスのテリトリーへと突入する。
この京成タウンバスは、元は京成バスの奥戸営業所の一部が分社化されたもので、京成バスの奥戸営業所自体は、今でも都内からの各高速バスを受け持つ拠点として、今でも健在である。
バスは7割方の乗車率で終始入れ替わるような状況。
年に一度の菖蒲祭りで提灯が並ぶ堀切菖蒲園駅前は、さすがに人通りが多い。
駅から本物の堀切菖蒲園までは、徒歩で15分ほどかかる。
菖蒲と言えば、さて問題です。
よく似た花の、アヤメと菖蒲。
漢字で書くと、全く同じ文字である。
○か×かさあ来い!
ちなみに、この問題はウルトラクイズの本物の問題です。
水戸街道をアンダーパスし、ネックとなっている京成押上線の踏切も一発でクリアして、12時34分の渋江公園で下車。
ここで、同じく新小岩駅から来る新小52系統市川駅行きに乗り継ぐ。
この路線のルーツを辿っていくと、以前走っていた上34系統上野松坂屋~市川駅間の京成バスにたどり着く。
この上34系統はおいらも何度か乗ったことがあって、この系統を利用して、自宅がある八千代市から浅草雷門まで、バスだけを乗り継いで5時間でたどり着いたことがある。確か1992年頃にやったと記憶しているが、当時は西船橋駅南口から本八幡駅南口まで結ぶバスがあったから、ルートにはほとんど難儀せず、唯一難儀するのが自宅近所を通る勝田台駅発津田沼駅行き京成バス(1996年の東葉高速開業と引き替えに廃止)の時間という至便さだったので、今とは状況がまるで大違いなのだった。
この上34系統も、京成バスの大幅な路線改変に伴って、現状の新小岩と市川を結ぶ系統に変更されたので、小岩から市川橋を通って県境越えするのも、この系統だけということになる。
バス停のポールが、その路線改変の歴史を、今に色濃く伝えているよう。
ちなみに、この渋江公園から先は、上34系統時代と全く同じルートを辿ることになる。
渋江公園では有り難いのか何なのか、実に中途半端な15分待ち。
バス停の前にコンビニでもあれば、そこで軽くおにぎりかサンドイッチでも買ってきて昼食とするところだけれど、道を見ている限り、コンビニがあるような気配はないので、バス停に小振りなベンチがあったのをこれ幸いと、しばし腰を落ち着けて休憩時間としよう。
っていうか、なにより食事の時間すらままならないのが一番辛いorz
このあたりは、乗り鉄をしている最中に、駅前にコンビニはおろか商店や食堂一つすら満足に見つからない状況と似ているような気がする。
バスはほぼ定刻の12時49分にやって来た。
この路線は大型も中型も入るようだが、今回は中型バス。
最近、なぜか未だに方向幕が幕式で残っているバスを見ると(*´Д`)ハァハァしてしまいたくなるのはなぜだろう。
バスは奥戸街道をそのままトレースする形で、進み、小岩で蔵前橋通りに合流。
ここからはおいらも勝手知ったるルート。
というわけで、東京都内をわずか2時間足らずで通過しますよ。
やっとというか、あっさりというか、ここまでは極めて順調に、お昼1時過ぎには千葉県内に突入!
多少の渋滞はあっても、この時間に千葉県に入れれば、とりあえず安泰…かなと思いつつ、13時16分に市川駅に到着。
しかしながら、「しょの2」のエントリで触れたように、千葉県内に突入してからが、実はルート検討にアタマを悩ませる本番なのだった。
目標は、船橋駅と津田沼駅を結ぶバスが船橋駅を発車する15時30分。
それまでには、なんとか船橋駅に到着しておきたいところ。
残り2時間で船橋へ。
さあ、たどり着けるかどうか、それは次回のお楽しみ。
(※以下続く)
(今回のルート)
…竹ノ塚駅東口1115(竹15花畑団地 東武バスセントラル2754)1118保木間仲通り1130(綾24綾瀬駅 東武バスセントラル2553)1205綾瀬駅1215(新小51新小岩駅 京成タウンバスT011)1234渋江公園1249(新小52市川駅 京成タウンバスT186)1316市川駅…
↓すいません、マジで押して貰ってもよろしいですか?すいません…。
本当におつかれさまです
しょのいちより、ワクワクしながら拝読しております
昔、大阪ドーム(京セラ以前)へ徒歩で行った事を思い出しました(約50キロ、電車で1時間強、徒歩10時間www)
バス連絡悪いとこは歩けば?なんて
いやいや、バス移動に意味が
武蔵浦和~海浜幕張50キロ弱時速5キロで徒歩10じか…
少し間に合わんか
続き楽しみにしておりまする
それは凄すぎる…。
それ以前に、ドームでは疲れ果てて野球観戦どころではなさそうな気がしますね(笑泣)。
私だったら確実に半日はかかるでしょう。
休みなく歩いても時速4キロ相当で12時間半ですから、歩かれたペースは相当なものかと。
お褒め頂きありがとうございますm(_ _)m