小馬太郎兵衛@タコのイカ踊りぃっ!!

ブログの老後をユラユラ楽しむ悦楽ブログって言ったけどさ、もう一発くらい狙ってもいいのかな。やってもいいかな?

さあ頑張るぞオグリキャップ!!

2010-07-03 22:50:53 | 競馬の話をしようか
80年代末から90年代はじめにかけて、競馬ブームの火付け役となった、笠松が産んだスーパーヒーロー、「芦毛の怪物」オグリキャップが、天国へ旅立ちました…。

芦毛の怪物・オグリキャップ天国へ(読売新聞) - goo ニュース
 1980年代後半から90年にかけて活躍し、国民的人気を博した名馬オグリキャップ(牡25歳)が3日、 繋養 ( けいよう ) 先の牧場、優駿スタリオンステーション(北海道新冠町)で放牧中に骨折し、近くの診療所に運ばれたが、死んだ。

 関係者によると、今月半ばにも「お別れの会」が開催される予定。

 オグリは1987年、地方競馬の岐阜・笠松競馬でデビューし、12戦10勝と圧倒的強さを発揮。翌年中央競馬に移籍した後も、重賞6連勝と勝ち続けた。ところが、日本ダービーなど中央競馬の三冠レース出走に必要となるクラシック登録をデビュー前に済ませていなかったため、当時の規定で三冠レースには出走ができなかった。

 このため、かえって「幻のダービー馬」として注目を集めるようになった。バブルの好景気という時代背景もあって、灰色の 芦毛 ( あしげ ) 馬体の同馬は、女性ファンなど新たなファン層拡大のきっかけを作り、1970年代の「ハイセイコー」ブーム以来となる、第2次競馬ブームを呼ぶきっかけを作った。

 G1レースは、有馬記念2勝など計4勝。中でも現役最後の年となった1990年後半は、G1で連続して大敗し、もう往年の走りが見られないと思われていた時期、引退レースの有馬記念で武豊騎手が手綱を取って優勝。中山競馬場の観客席に「オグリ!」の大コールがわき起こり、感動的な復活劇は競馬ファンの枠を超え、国民を魅了した。

 引退後は同牧場で 種牡馬 ( しゅぼば ) となり、その姿を一目見ようと、多くのファンが牧場へ駆けつけた。だが残念ながら、その優秀な能力は産駒に受け継がれず、中央競馬の重賞を勝つ馬は現れなかった。


ああ、オグリよ…。
久々に名を聞いたと思ったら、こんな悲しい、今生の別れとは…。・゜・(ノД`)・゜・。
引退後、いくらでもオグリキャップを一目見に行く機会はいくらでもあったのに、ついつい後回しにしていたら、こんな悲しいお別れになってしまうとは…。

おいらが競馬を見始めるようになったのは、中学1年生の頃。1987年の秋頃ではなかったか。
当時、ファミコンでナムコが出していた「ファミリージョッキー」というゲームがあった影響で、本物の競馬とはなんぞやと触れ始めたのがきっかけ。
ただ、当時は「馬が走っているのを見られればなんでもいい」というタチだったので、なかなか1頭の馬を覚えようという気もなければ、具体的にレース体系を覚えてスターホースを知ろう…などという気もなかったのは、当時は競馬ブームに火がつく前で、1990年代の競馬ブーム真っ只中の時のように、小中学生が気軽に競馬に触れることができるような状況下ではなかったから、そんな本がどこにも売ってなかったということもある。
そんなわけで、競馬に対する情報源はもっぱら競馬中継。
しかもサンテレビと関西テレビの。
当時は兵庫県宝塚市に住んでいて、通っていた中学校は丘陵地帯にあり、小高い丘の上のグラウンドから阪神競馬場が一望できる場所。それでも、おいらが通った中学校から阪神競馬場までは、歩いてもゆうに20分、当時の自宅からは一駅分は歩く場所に住んでいたから、今の中山競馬場と一緒で、沿線に競馬場がある環境ではあっても、身近な存在という訳ではなかった。なにせうちの家系は競馬などのギャンブルとはおおよそ縁がない生活をしていたし、競馬=今津線がおっちゃん達で埋まる…という印象しかなかったからだ。
そんな中でも、オグリキャップの中央移籍初戦のペガサスステークスはテレビで見た記憶があり、「この馬は4歳馬で強いけれど、ダービーへは登録がないから出られない」ということが、初戦からひっきりなしにアナウンスされていた。
今ではオグリキャップのように地方馬出身でも、追加でクラシック登録料を払えば出走できたが、当時の規定ではあらかじめ登録がないと、いくら中央で通用してもクラシックを走ることができなかった。
事実、この年の皐月賞も日本ダービーも、本命馬を語る前に、「オグリキャップにクラシック登録があれば…」と言われていたものだった。もしも時代が違っていたら、皐月賞をヤエノムテキが勝つことはなかったし、ダービーをサクラチヨノオーがメジロアルダンを差し返して勝つという名勝負を見せることもなかっただろう。
そういう意味合いでも、1988年のクラシック世代の馬達には、とりわけ強い思い入れがある。どれもこれも皆、好きな馬達ばかりだ。
今となっては、中央移籍初戦のペガサスステークスをテレビでリアルタイムで見て、「オグリキャップ」という存在を、移籍初戦から認識できていたのは、競馬ファンとしてもとても有り難い経験だったと思う。
当時は今のように関西のレースを全レース買えるなどということはなくて、限られた重賞レースしか買えなかったから、関西の重賞レースは、関東の競馬中継ではダイジェストのVTRが流されて、上位入着馬が紹介される程度だったから、関東地方に住んでいるファンからすれば、「笠松からオグリキャップという強い馬が転入してきた」というニュースは、ニュースの体感温度としては、関西のファンより一回り、二回りほどはぬるかっただろう。

この頃の競馬ブームを体験している、おいらより少々年上の世代の方々で、「オグリキャップで競馬を覚えた」という方は数多くいらっしゃるだろうけれど、おそらくそれは、オグリで競馬ブームに火がついた後の話だろうし、実際問題、「オグリキャップの成長過程と共に競馬を覚えた」という、おいらのような経験をされた方というのは、かなり少数ではないかと思うのだ。
ペガサスステークス→毎日杯→京都4歳特別(現在はレース廃止)→ニュージーランドトロフィー-4歳S→高松宮杯と走って、4歳夏には早くも古馬陣を一蹴していたのだから、裏街道は歩んでいても、実績はこの時点で折り紙付きだった訳。
その後のオグリのあゆみは…、今更振り返らなくてもいいだろう。

この馬を思い返すと、今でも悩むことがある。
それは、オグリキャップのベストレースはどのレースだろう…ということ。
イメージ的には、大川慶次郎翁が、フジの実況大川アナが「オグリ先頭!」としか言わず、「ライアン!ライアン!」と叫んだ、或いは「さあ頑張るぞオグリキャップ!」「オグリコール、皆さんもご一緒にどうぞ」という、ラジオたんぱ(現ラジオNIKKEI)白川アナの名実況がオグリコールと共に思い出される、オグリのラストラン、1990年有馬記念がすっと出てくるだろうが、あれは「印象に残るレース」ではあっても、オグリの「ベストパフォーマンス」かと言われたら、当時を知る競馬ファンが100人いたら103人「違う」と答えるだろう。レースタイム自体も平凡だし、ユタカの苦肉の策であるまくりが決まったようなものだから。
ただ、あのレース、あたしゃラジオを机にガンガン叩き付けながら、オグリの最後の激走に涙した一人でやんす。恥ずかしながら(笑)。

さて、ベストレースというと、どれでしょうかね…。
やはり当時の2400メートルの世界レコードにクビ差迫った、ホーリックスとの死闘を演じた1989年ジャパンカップがまず筆頭に来るだろうか。
或いはその前週、直線内から鬼脚を発揮し、完全に勝ちを決め込んだバンブーメモリーをゴール前で差し切った、1989年マイルチャンピオンシップだろうか。
或いは、4頭の叩き合いが3頭に、そして2頭の叩き合いの末にイナリワンを下した、これも1989年の毎日王冠だろうか。
もしかしたら、古馬と2度目の対決で、1985年のダービー馬シリウスシンボリを完封した、1988年の毎日王冠だろうか。
おいらの中では、タマモクロスの天下だった1988年の古馬世代、タマモクロスの引退レースに引導を渡した、1988年有馬記念が印象強い。

どれもこれも、おいらの青春時代真っ只中。
その思い出も、徐々に薄らぎ、やがて思い出に蓋をする時が、こうしてやって来ようとしている。

冒頭の写真は、オグリキャップが引退式を行った1991年春に発売されたCD。なけなしの小遣いをはたいて買ったCDだが、今となっては、ハルウララで一躍悪名を轟かせた、安西美穂子が関わったCDとして、今やいわくつきになっちまうとはなあ…_| ̄|○

オグリキャップ…。
天国で、ゆっくり、ゆっくり、走って下さい…。
さようなら、オグリ…。・゜・(ノД`)・゜・。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
白川次郎アナの (雷庵博人)
2010-07-04 00:21:16
「さあ頑張るぞ」は何度聴いても鳥肌モノ。そして感涙。

ニュージーランドトロフィーの桁外れのぶっちぎりも凄かった。
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Unknown (なお★)
2010-07-04 01:33:39
オグリキャップ。
私にとって、一生に一度の馬。
返信する
しかし (小馬太郎兵衛)
2010-07-04 21:58:11
>雷庵さん

「オグリ先頭!」「オグリ1着!」の2つの単語だけで競馬実況を成り立たせた、フジテレビの大川アナは神だと思います(笑)。

ちなみに、あたしは白川御大より、中根幹男アナの方が好きでした(笑)。

>なお★さん

いい出会いでしたね…。
一生に一度と言い切れるのは凄いです。
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悲しい (mikeyama)
2010-07-06 15:25:27
一般公開していたので久しぶりに会いに行こうと思ってたのに・・・・涙。私は毎日王冠を現地で観ていて脚の震えが止まりませんでした
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