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目指すは道の駅完全制覇?

松浦佐用姫伝説

2019-02-16 22:01:34 | 旅行

2019年2月9日 15時39分 道の駅 大和(佐賀6)を出発。
国道263号で川上峡を素通りして→長崎自動車道 佐賀大和IC→多久IC→厳木多久有料道路 牧瀬IC→国道203号
道の駅 厳木(佐賀2)

16時05分 到着。厳木多久有料道路の牧瀬ICを降りたところにある道の駅です。

佐賀県唐津市(からつし)厳木町(きゅうらぎまち)牧瀬(まきせ)にあります。
唐津市は、佐賀県の北西部の位置しています。東部は福岡県糸島市・佐賀市、南部は多久市・武雄市・伊万里市、西部は玄海町、伊万里湾を隔てて長崎県松浦市に接し、北部は玄界灘に面しています。厳木町は、唐津市の東南端に位置し、山々に囲まれた山村地域です。2005年(平成17年)1月に、唐津市・東松浦郡の浜玉町・厳木町・相知町・肥前町・鎮西町・呼子町・北波多村の1市6町1村が合併。また、2006年(平成18年)1月に東松浦郡の七山村が編入し、新たな唐津市が誕生しました。

施設案内図↓

厳木多久有料道路 牧瀬ICを降りた時に すぐ気付きましたが、道の駅に大きな像があります。

誰だろう?お尻を向けて建っています。

松浦佐用姫(まつらさようひめ)の像です。
うむ?ジロジロ。松浦佐用姫伝説があるのね。
宣化天皇2年(537年)、朝廷の命を受けた大伴狭手彦(おおとものさでひこ)は朝鮮半島の任那・百済を救援するため、軍を率いてこの松浦の地にやってきました。厳木町笹原地区の長者の娘、佐用姫と知り合い夫婦の契りを結びました。狭手彦が出発する日、別れが悲しくて佐用姫は鏡山へ駆け登り、身にまとっていた領巾(ひれ)を一心不乱に振り続けました。玄界灘を見下ろす鏡山は、領巾振山(ひれふりやま)と呼ばれるようになりました。
万葉の歌人はその情景を「海原の沖行く船を帰れとか 領巾振らしけむ松浦佐用姫」と歌っています。
軍船は、次第に遠ざかり小さくなっていきます。佐用姫は、鏡山を駆け下り栗川(現在の松浦川)を渡って海沿いに北へ向かって走り、加部島(唐津市呼子町)の天童岳の頂きに達しましたが、遂に舟が見えなくなるとその場にうずくまり、七日七晩泣き続けて石になってしまったと言われています。
その石は、「望夫石」と呼ばれ、現在、田島神社(唐津市呼子町)の本殿床下に祀られています。

高さ14mある真っ白な像は、回転式です。15分で1回転します。だから、お尻を向いていたのね。

道の駅へ

館内は、こんな感じ。

そうそう、厳木(きゅうらぎ)って読めませんよね。

スタンプは、レジ横に置いてあります。

スタンプGET!

入って右手の奥が食堂です。

あっ、館内にも松浦佐用姫像があります。

佐用姫だんごは、厳木産の小豆に小麦粉と白玉粉を練り込んで作られたもっちり食感の団子です。

団子なのに なぜ?平べったいの?
佐用姫が狭手彦を追って行った時に踏みつけて、平べったくなった
そうです。
え~ これも佐用姫伝説なのね。
情報・休憩コーナーへ

厳木ダムの模型が展示されています。


というわけで 次は、道の駅 伊万里(佐賀3)を目指します。


コメント
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